コロナ禍が明け、札幌市内各所を見ると大きいスーツケースを引いた外国人の姿を目にすることが増えました。2023年に札幌を訪れた外国人宿泊者数は約160万人と、札幌市の人口に届きそうなほど、インバウンド観光需要は高まりをみせています。
そんなインバウンド観光を迎える側にいる外国人が今回の取材対象者です。名前は、ジェン・シーヤオさん。故郷の台湾を離れて、現在札幌でインバウンド観光業の仕事をしています。ジェンさんから見る札幌の魅力や、今後の将来展望などについてお伺いしました。
憧れから、いつか住みたい国に。
爽やかな笑顔と穏やかな雰囲気をまといながら現れたジェンさん。流暢(りゅうちょう)な日本語を話す姿からは、彼は日本人なのではないかと錯覚してしまうほどです。ジェンさんに、小さい頃から日本に興味があったのかを聞いてみると…。
「子どもの頃は、ドラえもんやクレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃんなど、日本のアニメが好きでよく見ていました。台湾では、日本のアニメがたくさん放送されていたので、周りの友だちも日本のアニメが好きな子が多かったです。ただ日本という国を意識したのはもう少し大きくなってからですね」
中学校に入ると、ジェンさんはアートに関心を持つようになり、頻繁に美術館へ足を運んで、現代アートの展示会を見に行っていたそうです。
「台北にある美術館で展示会が開催されるたびに通っていました。毎回新しい発見があるので楽しかったのと、チケットが折り紙でできているなど、遊び心があったんですよね。チケットのデザインも凝っていたので、コレクションすることも面白かったです」
さらに、「この頃から日本に関心を持ち始めた」とも話します。当時、台湾では浜崎あゆみさんや宇多田ヒカルさんらが大流行。J-POPが大人気だったそうです。
「僕は、浜崎あゆみさんが大好きでした。まだYouTubeがない時代だったので、MTVなどの音楽番組で日本の音楽に触れていたんです。その時に見たミュージックビデオで映っていた東京の景色に憧れて、初めて日本に行ってみたいと思いました」
その想いを感じたジェンさんの母が、東京旅行を計画しジェンさんを連れていってくれたそうです。
「実際に来てみたら、想像していた以上の景色でした。新しい建物がたくさんある一方で、下町や古い街並みもあったりして、独特の文化があるなと感じたのを覚えています。東京の街並みを見てから、日本の都市計画事業にも興味を持つようになりましたね」
高校生になってからも、年に一度ほど日本を訪れ、東京・大阪・京都などを中心に足を運んだというジェンさん。当時は、まだ北海道のことはあまりよく知らず、日本に来るなら東京に住みたいという気持ちを持っていたそうです。
日本への留学を目指していた大学と兵役時代。
台湾の大学に入学したジェンさんは、中学の頃に興味を持ち始めた都市計画を専攻し、日本の都市開発について学びます。
「日本の都市計画の事例を学びながら、将来は台湾の街づくりに貢献したいと考えていました。台湾も日本と同じように地震が多い国なのに、古いマンションがたくさん残っているので、そういう建物を整備したいと思ったんです」
4年間の大学生活の間にも、実習や個人旅行で毎年のように日本を訪れていたと言います。
「大学の実習で毎年夏休みに金沢大学に行き、互いの文化や研究について発表したり、意見交換したりしました。金沢の街並みを歩いて、歴史的な建物の保存方法なども学びましたね。旅費をためて、個人で旅行に来たこともあります。日本は台湾と違って四季があるので、季節ごとの美しい景色を見られるのが楽しかったです」
大学の副専攻を日本語にしていたジェンさん。日本の都市計画の勉強と日本語の勉強をするうちに、日本に対して新たな感情が湧き上がりました。
「『日本に住みたい』『留学したい』という気持ちが強くなってきたんですよね。そこで、日本の大学が台湾の留学したい生徒を募る『留学展』に行き、日本の大学の情報を集め始めたんです。でも、台湾には兵役制度があるので、卒業してすぐの留学は叶いませんでした」
台湾では、18歳以上の男子に対して当時1年間の兵役を義務付けていました。大学に進学したジェンさんも、卒業後に兵役の義務を果たすことに。兵役と聞くと、厳しい訓練を受けるイメージを持っていますが…そこで、兵役中の生活についても聞いてみました。
「僕は、配属先が刑務所だったので、1年間刑務官として働いていました。なので、厳しい訓練を受けることはありませんでした。ただ配属先によっては、イメージされている訓練を受けることもあるので、少し大変かもしれませんね」
兵役中は寮生活をしながら、昼は刑務官として働き、夜は日本の大学に留学するための勉強をしていたそうです。
「入試の勉強ももちろんですが、日本の大学の試験を受けるには、日本語能力試験のN2レベル以上を取得していなければなりません。僕は当時まだ取得していなかったので、兵役中に勉強して、2014年にN1を取得しました」
日本語能力試験は、母語が日本語以外の人が受けることができる試験です。N1からN5のレベルで分かれており、N1が最高レベルになります。ジェンさんは、難関の試験を突破したということです。
そして、1年間の兵役が終わり、ジェンさんは「日本に留学したい」という夢を実現するために動き始めます。
1本の映画から始まった「北海道LOVE」。
兵役を終え、ジェンさんは留学先の地に北海道を選びました。これは、1つの映画がきっかけだったと話します。
「台湾の大学にいたときに、図書館で『幸せのパン』という映画のDVDを見たんです。洞爺湖を舞台にした映画で、景色の美しさにとても感動し、そこから僕の北海道LOVEが始まりました(笑)」
その後、『留学展』の中に北海道大学が出展していることを知ったジェンさんは、北海道大学大学院の観光学科を受験することに決めます。しかし、都市計画を学びたかったジェンさんが、観光学科を選んだのはなぜなのでしょうか。
「僕は、観光も都市計画の一部だと思っています。台湾と日本はどちらも少子高齢化が進んでいて、どんどん人口が減っています。観光を通じて交流する人口が増えれば街が活性化しますし、結果的に都市計画も進むのではないかと思うんです。また僕が日本の大学を探していた頃は、ちょうど2020年の東京オリンピックが決まった時期でもあったので、日本もこれから海外からの観光客を受け入れる環境を整えていくだろうと直感的に感じました。そこで、僕のような外国人のニーズがあるかもと思ったんですよね」
大学院を受験するために札幌に来たジェンさんは、なんと試験を受ける前に定山渓のホテルで働き始めます。
「万が一、大学院の試験に落ちてしまっても日本に住めるように、ワーキングホリデーのビザも同時に申請していたんです。ビザの申請が通ったので、まずワーキングホリデーとして札幌に来ました。他の仕事もありましたが、これから観光の勉強をしたいと思っていたので、ホテルの方がいいんじゃないかと思い、働き始めました」
試験の前日まで仕事をしていたというジェンさん。見事、北海道大学大学院の観光学科に合格し、いよいよ念願の札幌での生活が始まりました。
ここまでのお話を聞くと、自分のやりたいことがすんなり叶っていっているようにも思えます。今まで挫折しそうになったことはなかったのかを聞いてみました。
「奨学金の試験も受けましたが、それには残念ながら落ちてしまいました。でも、大体のことは順調に進んできたので、僕はラッキーだったと思います。大学院の試験に受かったときは、『やっと日本に住める!』と、日本への第一歩がクリアできてすごく嬉しかったです」
コロナ禍でも日本に残る選択肢しかなかった。
順調に学生生活を送っていたジェンさんですが、就職に関して日本と台湾の違いに驚いたそうです。台湾では、いつでも求人が出ていて好きなタイミングで就職できるため、学生のうちから就職活動をすることはほとんどないそう。ジェンさんも、札幌に来て初めて『日本の就職活動』というものを経験します。
「日本は学生のうちから就職に向けて動くのが普通なので、僕も見習いました(笑)。就職説明会に参加したり、インターンをやってみたりと、いろいろ経験しましたね。公務員になろうかと思ったこともありましたが、外国人枠が少ないのと、たくさんの人と交流しながら自由な働き方をしてみたかったので、一般企業に就職することに決めたんです」
日本に興味を持ち始めた頃は、東京の街に憧れていたジェンさん。東京での就職は考えなかったのでしょうか。
「東京にある大手の貿易会社の面接を受けに行ってみて、その帰り道に東京では働けないなって思いました(笑)。みんな同じようなスーツを着て、同じような表情で街を歩いているのを見たときに、北海道の自由な雰囲気の方が僕には合っていると感じたんです。就職活動を進めていくうちに、このまま北海道に住み、働きたいという気持ちがどんどん強くなりました」
大学院を卒業して就職した会社は、Web系の会社だったそう。しかしこの会社はインバウンド観光にも力を入れていたので、ジェンさんは、主に外国人観光客向けのインバウンド事業を担当していたそうです。
「北海道を訪れる外国人の観光客に向けて情報をWebやSNSで発信したり、外国人の対応に困っている飲食店やホテルのサポートをしたりする仕事でした。北海道は地域によって景色や特産品も違うので、札幌以外の地方に行って、現地の人と交流しながら海外から観光に来る人を招致する方法を考えたりもしました」
仕事は楽しくやりがいもありましたが、新型コロナウィルスが世界を襲います。コロナ禍で、母国に帰る外国人の方も多かった中で、ジェンさんはそのまま札幌に残ることに決めました。
「台湾にいる家族を心配させたくないという気持ちもあり、帰国も一瞬迷いました…でも、長く日本に住んでいる間に知り合いもたくさんいるし、日本が生活の基盤になっていたので、戻るという選択肢はありませんでした」
所属していた会社もコロナ禍によりインバウンド事業を縮小せざる得なくなり、ジェンさんは転職を意識し始めます。コロナ禍が明ければインバウンド観光はまた盛り上がりを見せるはずと、観光系の事業を行っている現在の会社に転職しました。そして現在、前職と同様に、国内の観光情報をSNSなどで発信する仕事をしています。
「クライアントさまのSNSを運用したり、中国人や台湾人のインフルエンサーと一緒に取材に同行し、その土地の魅力をより伝えることができるようにディレクション業務がメインです。今の会社は、北海道だけじゃなく日本国内の観光地を発信するので、今まで行ったことがない土地に行けるのも、僕にとっては心惹かれることが多いですね」
札幌に住みながら、道外の仕事もできるというのは、日本人から見てもかなり魅力的です。
「自分には、住みたいところに住んで、仕事でいろいろな所に行くという働き方が合っていると思います。地方自治体の仕事や有名なインフルエンサーを起用した案件などもあって、いろいろな経験をさせてもらえるのも楽しいですね。ただ、どんな仕事でも同じですが、その分求められることも多くなるので、大変だなと思うことももちろんあります」
これからもずっと、札幌に住み続けたい
ジェンさんは「こんなに住みやすく、働きやすい場所はない」と、これからもずっと札幌に住み続けるつもりだと話します。札幌のどのようなところに魅力を感じているのでしょうか。
「人が多くないところです。僕は、ごちゃごちゃと人がたくさんいる場所が苦手なんです。札幌は混雑もなくてストレスを感じることがありません。外国人にとっても住みやすい街だと思います。札幌市は外国人向けの支援が充実していて、あまり日本語を話せない人にとっても便利なサービスがたくさんあるんです。海外からの観光客も多いので、困ったときに対応してもらえる窓口などもありますしね」
今後札幌でどんな暮らしをしていきたいか聞いてみると、こんな答えが。
「今すぐにではないですが、いつかどこかでカフェや民宿をやってみたいです。札幌の南区あたりとか自然が多いところがいいなあ。市外だと、ニセコの方でもいいですし、長沼町もいい場所ですよね。一軒家のカフェで大きなワンちゃんを飼ってみようかな、なんて夢は膨らむばかりです。北海道に住んでいる台湾人や外国人が気軽に集まって、繋がれる場所を作りたいですね」
楽しそうに目を輝かせながら話すジェンさん。実は、北海道のカフェにとても詳しいそうで、札幌市内でおすすめのカフェやスイーツを聞いてみました。
「札幌市内なら『喫茶一粒の麦』さんがおすすめです。1人でも入りやすい雰囲気ですし、外国人観光客にとっても居心地がいいお店だと思います。スイーツもおいしくて、道産野菜を使ったケーキもあります。春先には厚真町の完熟じゃがいも、いまの季節だと、かぼちゃやとうきびを使ったスイーツがおいしいですよ。」
札幌が大好きだというジェンさんに、あえて札幌の嫌いなところを聞いてみました。
「特にないですね。雪の多さにも慣れてきました。最初に見たときの感動は薄れてしまったけれど、やっぱり雪は綺麗ですよね。あ、でもカラスが多いところだけは苦手かな(笑)」
ジェンさんの「北海道LOVE」な気持ちがひしひしと伝わってくるインタビューでした。台湾からやってきたジェンさんに、あらためて北海道や札幌の魅力を教えてもらったような気がします。これからも、どんどん北海道を始め日本の良さを発信していってほしいです。そしていつか、素敵なカフェのオーナーになっていることを期待しています!その時は、ぜひお邪魔させてくださいね。