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最先端エンジニアチームに学ぶ、プログラミングより重要なスキル

2024.6.3

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ビルの一角にあるオフィスの前に到着すると中から楽しそうな笑い声が…ここは株式会社マーベリックスのオフィス。現在15名が在籍し、全員がエンジニアというちょっと珍しい会社です。代表の竹部裕介さんがオフィスに招き入れてくれ「今ちょうど休憩中で、元整体師のメンバーが腰や肩の負担を軽減する柔軟体操を教えてくれているので、少しにぎやかなんです」と、にこやかに教えてくれました。そこへ明るく挨拶してくれる女性が…彼女の名前は、高田朱美(あみ)さん。彼女もまたマーベリックスのメンバーでエンジニアです。

今回は、おふたりがマーベリックスで今のポジションになるまでの経緯を伺いました。

北海道函館市で育った青年が、エンジニアを目指すまで。

まずは、代表の竹部さんから話を伺います。

竹部さんは、北海道函館市出身。エンジニアと聞くと、幼少期からパソコンに触れているイメージですが、中学で行われた授業でパソコンを触る程度のごく一般的な知識だったと言います。

「僕が高校生の時は、家庭にパソコンがあること自体がまだ珍しかった時代でした。ただ世の中でIT化が進んでいく状況を見て『これからはパソコン操作やタイピングができれば、就職に困らないだろう』と思い、函館市内の情報系専門学校に進学しました」

専門学校進学後、竹部さんは周囲とのスキルの差にがくぜんとします。学校には自分でWebサイトやゲームを作る才能あふれる学生がたくさんいて、自分の力不足を実感。修業年限の2年間必死に学び、卒業後は就職のため札幌へと引っ越しました。

21歳で札幌にある全国規模の医療系システム会社へ就職。Windowsで使用するアプリを作成する会社で、専門学校で取得した技術が活き、業務にはすぐに慣れていきました。

「仕事には面白さや安定性もありましたが、年数が経つにつれて自分は他社のエンジニアと比べて成長できていないのではないかと感じ『このまま現状に甘んじてるのは良くない』と、危機感を抱き始めました。そこで新しい環境に身を置きたいと思い、転職を決意します」

6️年勤めた医療系システム会社を退職後、竹部さんは「これからはインターネット上で様々な情報を閲覧できるWebの時代がくる」と感じ、Webサイト制作に強い会社への転職を考えるようになりました。そこで札幌のWebディレクション会社への転職を考えます。

研磨されていく心。

竹部さんが気になっていた会社は、Web制作をメインに行うディレクション会社でした。この会社で竹部さんはフロントエンジニアとして採用され、Webサイト制作の構築を担当。

「札幌のクリエイティブ業界で有名な会社なのですが、制作物のクオリティが高く、発想力も生産性も群を抜いていました。前職で6年間エンジニア経験があったので、そのキャリアがあれば大丈夫だろうと思っていましたが…甘かったですね(笑)。年下でキャリアが浅い人が、僕が作れないようサイトをどんどん作っていく…やばいと思っていました」

この会社ではエンジニアの他にも、Webディレクターやデザイナー、海外事業展開のために活躍するプランナーなど多彩な職種で魅力的な人たちが働いていました。その全てから、竹部さんは刺激され、自分が本当になりたいエンジニア像を追及していきます。

「自分自身の理想を探求していくうちに、フロントエンドからバックエンドに徐々に興味が移って行ったんですよね。かいつまんで言えば、目に見えるWebサイト構築ではなく、裏側にあるシステムの開発をやってみたくなったと言ったところでしょうか」

バックエンドエンジニアとは、ユーザーの目に見えないサーバーやデータベース、機能、処理を担うプログラムなど、仕組みや機能を開発する人の事をいいます。一般ユーザーである私たちは目にする機会がほぼないので、あまり馴染みがないかもしれません。

「Webディレクション会社には、事情を話し退職しました。転職は少しだけ難航しましたが、アプリとWebシステム制作会社に就職が決まり、バックエンドエンジニアとして入社。『技術取得のためには、なんでも知っておかないといけない』と思い、いろいろな案件に参加させてもらいました」

竹部さんのやる気は社内評価に繋がり、すぐにマネージャーに昇格しました。少し経つと、事業部長になり、部下が80名いる状態に。自分のエンジニア業務をこなし、部下のケアや取引先とのやりとりなどで、竹部さんの疲労はピークに達していました。

「このままじゃ体調を崩すと思い、部署の異動申請を出しました。全くトライしたことがない営業へ異動したのですが、この経験や出会いがその後の大きな財産となりましたね」

その頃から、本業のかたわら始めていたエンジニアの仕事に構築や開発の依頼がくるようになります。少しずつ実績を上げ、フリーランスで仕事をしていくことを考え始めました。

「2019年に退職し、フリーランスへ転身しました。『自由に仕事ができる』と感じたのは最初だけで、自宅でひとり仕事する状況に寂しいと思うことの方が多かったです。しかも、ひとりだと案件を受け入れる量にも限界があり、案件を断わざるを得ない状況は良くないとも感じていました」

ここで前職の営業先で出会った人たちが、竹部さんを次のステージに引き上げてくれたと言います。

「社長や代表という肩書の方が多く、僕の悩みを相談すると、法人化という言葉がよく出るようになりました。しかし、次々と仕事が入ってくる保証もないため、僕は法人化はリスクが高いと考えていました。しかし、営業先で知り合った方々は、『竹部さんが考えるリスクって、本当に解決できないの?』と、一緒に悩み、最終的に背中を押してくれたんです」

仲間と見る、最高に自由な景色。

竹部さんは、法人化することを決意し、準備を進めます。

「まずは、オフィスを借りようと思いました。札幌市中央区の南3西4にあるシェアオフィスを借りたんです。1ヶ月6万円くらいで、6畳くらいの広さだったかな。僕が法人化すると聞いて、一緒にやりたいといってくれる人もいて、ひとりふたりとオフィスに集まってくれました」

こうして、2019年6月4日に株式会社マーベリックスが誕生します。マーベリックスは、英語で「焼き印のない子羊」や「一匹狼」という意味です。型にはまらず自由な発想を持ち、個性豊かなチームにしたいと竹部さんが命名しました。

「チームで案件に取り組めるようになって、仕事の幅が広がったと感じていますね。事業の柱であるシステム開発を始め、ITコンサルティング、Webサイト制作も弊社は行っています。特にシステム開発は、会社の課題や悩みを解決するための新しい仕組み作りです。そのためには、丁寧なヒアリングと十分なリソースが必要。現在も案件を継続し開発できているのは、やはり優秀なメンバーに恵まれたおかげだと実感しています」

さらに竹部さんは続けました。

「あと僕自身も意外だったのが、『誰と』仕事をするかで、仕事の楽しさは変わるんだと発見がありました」

それはどういうことか聞いてみると…。

「弊社にいるメンバーは、コミュニケーションスキルが高く気配り上手な人ばかりなんです。気配りができる人って、仕事もできるんですよね。なので、仕事の進み方もスムーズだし、チェックにも余念がないからクオリティも高い。チームで仕事をする事が楽しくて、全くストレスを感じないんですよ」

竹部さんは「スキルは勉強すれば取得できるけど、コミュニケーションは元々その人が持っているスキル」と話します。そのため、採用面接の時にはコミュニケーションスキルを重視。マーベリックスに在籍するメンバーのうち、3割はエンジニア未経験者だそうです。

「技術はいくらでも勉強で習得できますし、取得場所にこだわる必要もありません。例えば、東京、アメリカ、インドなど、エンジニア技術が発達しているように見える場所であっても、そこで実際に開発に携わっている会社がどのような技術を採用しているかが重要です。ですから、技術を習得したい場合は、地域ではなく、自分が学びたい技術を採用している場所で学ぶことをおすすめします」

導かれて始まったエンジニアへの道。

竹部さんからバトンタッチし、エンジニア未経験でこの世界に飛び込んだ高田さんに話を伺います。

高田さんは、秋田県出身。高校まで秋田で過ごし、卒業後に宮城県仙台市へ就職。エステティシャンとして活躍していました。

「私が母や姉にマッサージすると『優しい手をしているね』とよく褒めてくれていました。それが嬉しくてエステティシャンになったのですが、1年半ほどで退職することに。その後、秋田に戻りECサイトのアルバイトを始めました」

このECサイト会社の社長が元Yahoo! JAPANのエンジニアで、高田さんの今後の人生に大きな影響を与えることになります。

「『エンジニアの仕事、楽しいよ』と言った社長の一言が、妙に心に残っていたんです。それで、『プログラミングのこと教えてください』と社長にお願いして、少し教えてもらったら楽しくて。途中からは独学でも勉強を始め、本気でエンジニアになりたいと思い始めました」

高田さんは、ECサイトの会社を退社。プログラミングを勉強しながら、就職先となるシステム系の会社を探していました。

「就職先は札幌と決めていました。仙台よりも都会で、東京よりも少しだけ田舎の印象があり、住みやすそうで好きだったんです。旅行で行った札幌も良い思い出ばかりで、ご飯もビールも美味しい。札幌に住めたら幸せだなと思っていました」

札幌の会社へ求人応募も少しずつ始めた高田さんは、面接の機会も徐々に増えはじめました。そこで1社、内定確実な会社もあり「この会社にお世話になるのかな」とぼんやりとした未来を想像していたそうです。しかし、ここでマーベリックスの求人を見つけます。

「マーベリックスのサイトにある竹部さんの言葉に、ビビッときました!ぜひ、代表メッセージをご覧いただきたいのですが…竹部さんが、本心で言っているのが伝わってきて『この会社で働きたい』と、はやる気持ちを抑えきれませんでした」

時を同じくして、内定確実だった会社からも正式な内定連絡をもらい、すぐに返事を判断しなければならない状態に。

「その時にはもう『マーベリックスに応募する』と決めていたので、丁重に辞退のメールを送りました。マーベリックスへは、すぐに履歴書とポートフォリオを送りましたが、募集要項に記載されていたプログラミング言語は未経験な状態で…。スキル不足を痛感しながらも『このチャンスを逃したくない』という一心で応募したことを、今でも鮮明に覚えています」

残念ながら、結果は不採用。理由は、自身も感じていたスキル不足で、勢いで応募した自分をすごく責めたそうです。ところが高田さんは、周囲も驚くある行動にでます。

「不採用メールを受け取った後、『どうしても諦めきれないので、再度応募します』と返信しました。返事は期待していなかったのですが『応募、楽しみにお待ちしております』と、前向きな返信に力をもらい『絶対に入社する』と心に決めました」

情熱で叶えた夢。念願のマーベリックスへ!

それから半年後、高田さんはマーベリックスの求人へ再度応募します。スキルアップした点を明確にし、会社が求めるスキルを参考に時間をかけてポートフォリオを作り直しました。履歴書の志望動機にも自分の素直な気持ちを書いて、いざ応募へ。

「これで不採用だったら、秋田で働こうと思っていました。マーベリックスで働きたいという強い気持ちはありましたが、現実では貯金も少なくなっていき、両親にも助けてもらってばかりでした」

書類とポートフォリオ審査結果を待つ高田さんの元に届いたメールには、合格の文字が。次の一次選考である面接も合格し、二次選考の課題が発表されます。マーベリックスでは、この二次選考に合格すると入社が決まります。

「私が未経験だったので技量を測るための課題は、Nuxt.js(エンジニアが使うプログラミング言語の名称)でメモアプリを作成することでした。課題の取り組み期間として設定されていたのは1ヵ月ほどで、その間マーベリックスのスタッフさんと一緒にプログラミングを進めることが条件でした」

この時に高田さんを一番悩ませたのは、制作過程ではなくマーベリックスのスタッフに対する質問の仕方だったそうです。

「質問の文章を考えるのにすごく時間がかかっていましたね。どんな文章であれば、相手に伝わるのか、不快な気持ちにさせないのかなどを考えていたら、キーボードを打つ指が徐々にゆっくりに…。でもそれをスタッフさんたちが察してくれたのか、『困ってない?』とメッセージを送ってくれて、その心遣いにも感動していました」

そうして完成した作品を、オンライン上で竹部さんを含むマーベリックスメンバーに発表するまでが課題でした。動作確認や質疑応答、自分の制作意図を伝え、評価を待ちます。

「翌日にメールでご連絡をいただき入社が決まりました!嬉しくて泣き崩れて、ひたすらビールを飲み続けていました(笑)。それくらい嬉しかったです。近くでずっと私を見守ってくれていた母親も『おめでとう』とお祝いしてくれました」

マーベリックスへの入社が決まり、札幌への引っ越し準備で高田さんの生活は慌ただしくなります。あっという間に時間は過ぎ、いよいよ秋田から札幌へ旅立つ日が訪れます。

「出発当日の事は、よく覚えていますね。やっぱり寂しかったです。秋田に実家もあるし、最後というわけじゃないんですけど。北海道まで船で移動だったので、静かな時間が長く余計にそう感じたのもあるかもしれません」

乗船するまでは寂しさが勝っていましたが、下船するときには「頑張ろう」と心を切り替え札幌での生活をスタートさせます。マーベリックスへの出社初日も、高田さんならではの勢いあふれるユーモアなエピソードがあったそうです。

「緊張のあまり出社時間を間違えてしまった私は、近くで出社時間になるまで待機してからオフィスに向かいました。しかし、オフィスの前で扉をノックしても、中にいるスタッフさんは掃除中で音に気づかず…結局、自分で扉を開けてやっと出社することができました(笑)」

入社して約2年。夢にまで見た会社のメンバーとして働くことができている今をどう思っているのでしょうか。

「充実していて、目まぐるしく日々がすぎていきます。入社後は業務の他にも、先輩方からいろいろな事を学んでいます。こうなりたいと思う先輩が多いので、将来自分がその姿に近づけるように、これからもたくさん学びレベルアップしていきたいと思います」

違うポジションのふたりが考える、これから。

最後に今後について、おふたりに教えてもらいました。

高田さんは、少し考えながら…。

「私は、案件のリーダーになりたいと思っています。そのためは、この人なら任せても大丈夫と思ってもらえることが大切。自分で学ぶことをおこたらずに、成長していきたいです」

竹部さんからは「いろいろやりたいことはあるのですが」と前置きがありつつも…。

「共通するのは人を大事にして、努力し続けていきたいと思っています。急激に変化を求めると、ダメになっていくのも早いのではないかなと僕は考えているので、自分たちのペースを大事にしたいですね」

取材を終えてマーベリックスは、最先端のエンジニアチームだなと感じました。もちろん技術面もですが、コミュニケーションスキルの高さに驚くことが多く、過去のエンジニアが持つパブリックイメージをくつがえすことばかり。この先も、この最高のチームで輝き続けるおふたりでいてほしいと願っています。

竹部 裕介さん

株式会社マーベリックス/代表取締役

竹部 裕介さん

髙田 朱美さん

株式会社マーベリックス/エンジニア

髙田 朱美さん

北海道札幌市中央区南3条東2丁目1 サンシャインビル204号

TEL. 080-5590-7304

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