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遠回りは人生の醍醐味。狸小路のピザ職人が20年かけて得たもの。

2024.2.12

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狸小路7丁目タヌキスクエアの細い廊下を進むと、オレンジの壁にポップなポスターが飾られた黒く大きな窯があるピザ屋があります。お店の名前は「PIZZERIA DEL CAPITANO(ピッツェリア デル カピターノ)」、CAPITANOはイタリア語で「キャプテン」という意味です。この店のオーナーであり、ピッツァ職人の宮本翼さんが今回の主役。「夢にたどり着くのに、遠回りは無駄じゃない」と話す、宮本さんが歩んできた人生とこれからをうかがいます。

人に「ありがとう」と言われる仕事。

宮本さんが飲食業と関わることになったのは、20歳ごろです。それまでは、高校時代に行ったボランティア活動が自身の性格にあっていたので、福祉の道に進みたいと考えていたそう。大学も福祉系に進学しましたが、家庭の事情で大学2年生への進級を目前に学校を離れることに…。

「頑張ったことに対して『ありがとう』と言われることが嬉しくて、福祉の道が僕には合っていると感じていましたね。ただ明確に『福祉のこの職種につきたい』といった情熱はなかったので、奨学金を借りて大学に残ろうとまでは思いませんでした」

大学中退後、宮本さんは生活のためにすぐに仕事を探します。友人からバイト先の求人情報をもらい、新規オープンする焼肉チェーン店の面接を受ける機会を得ます。

こちらが宮本翼さんです。

「『学歴も経験もない人間でも社員として働ける仕事』という基準で探して入社したものの、飲食業でも『ありがとう』と言われることが多かったのが意外でした。僕は主に接客担当をしていたのですが、『美味しかったよ』『またくるね』と言った言葉も多くもらうことがあり、福祉だけが人から感謝を伝えられる仕事じゃないんだと気づきます」

不思議な縁を感じつつ、宮本さんは飲食業での接客が徐々に楽しくなっていきます。さらにメキメキと接客の腕を上げ、このチェーン店で最年少の20歳で店長に昇格。しかし、20歳という若さでの店長就任は、素直に喜べるものではなかったようです。

「ホールスタッフでいるときは、極端ですが接客の力だけを求められていました。だけど、店長になってからはバイトの教育やマネジメントや売上管理など、店全体の管理がメインの仕事です。これがかなりきつくて、20代前半は苦労の連続でした」

社員は自分よりずっと年上でバイトも同世代の大学生が多く、なかなか宮本さんの話を聞いてくれないことが多かったと苦笑します。最年少で店長になれたのは自信と同時に苦い経験にもなったそう。

「それから閉店も経たり、違う会社のダイニングバーなどで3年ほどがむしゃらに頑張っていたのですが、転職しました。『転職しようと思う』と知人に話したところ、人づてにハンバーグ屋とふぐ専門店から声をかけてもらったんです」

まさかここでふぐが出てくると思っていなかったため、「ふぐですか!?」と取材班が声を上げたところ、宮本さんは笑いながら…

「ふぐ、北海道民は食べることあまりないですよね(笑)。この先を話すと僕はふぐ専門店を選ぶんですけど、それは珍しさだけからじゃないんです。今まではほぼ接客サービスしかしてこなかったので僕自身、手に職をつけたくなったんですよね。ハンバーグ屋さんでも、もちろん手に職はつきますが、『ふぐって食べたことがないから、ちょっとわくわくするかも』と好奇心がわいた方に決めました」

宮本さんが24歳の時に、すすきのにあるふぐ専門店で再度キャリアをスタートさせます。同時にふぐ調理師免許を取得するため、調理の親方から手ほどきを受けます。

「親方からは『料理に向いてないな』と言われていましたね(笑)親方は天才肌なので、一度見ただけで真似できるようなタイプ。僕は器用じゃないので、努力しないとだめなんです。ふぐをひたすらさばいて、北海道で1番早くできるようになるぞと思って練習していました」

狸小路外れの奥深くにある、穴場的な空間。隠れ家要素たっぷりの店内です。

人より遅いですが、宮本さんの努力が実り、入社して半年後にはやっとふぐがさばけるようになります。ふぐ調理師免許も無事取得し、通常なら7分程さばくのにかかるものを、3分程度あればさばけるまで上達しました。

「自信につながりましたね、不器用でもやればできるんだっていう。会社も努力を認めてくれて、25歳くらいのときに100席あるふぐ専門店の新店を任せられたんです。『これは頑張らないといけない』と思って意気込んだんですが…全然だめでした」

冬はふぐ鍋などのニーズがありまだお店の経営はまわっていたそうですが、夏の集客は壊滅的な状況だったようです。長く続けることはできずお店は閉めることになり、宮本さんはすすきの店に戻ることになります。しかし、この出来事をきっかけに宮本さんに心境の変化が訪れました。

「すすきのに戻れば、前と同じ仕事で安定した給料がもらえて、なにも不安はない状態になるなって思ったんですけど…ただ、僕ってずっとふぐ調理師をやっていくのかな?って疑問に思ったんです。突き詰めて考えていったら『もっと広い世界を見てみたい、違うことにもチャレンジしてみたい』と答えがでました」

その後、宮本さんはふぐ専門店を退職し、違う道を模索します。

突き進んで見つけたひとつの答え。

ふぐ専門店退職後、宮本さんが興味を持ったのはコーヒーでした。コーヒーを淹れるバリスタとしてカフェで働きたいと思ったのには、ふぐ調理が関係しているそうです。

「コーヒーは、単純に好きだったというのもありますが、より高度な技術をつけたいと思ったのもあります。ふぐの調理は一度覚えれば、同じ行程を繰り返す一種『作業』に近いものがありました。もちろん極めるというのはその先にありますし甘く見てるわけではありませんが、親方も既に退職してしまっているので自分自身の成長も著しく低下し、悩んでいた時に、セミナーなど通い、コーヒーは豆や注ぐお湯の熱さなどで、味が全く変わるので奥が深い。バリスタという職業はただコーヒーを淹れるだけではない。そういう複雑な部分に惹かれたのかもしれないです」

しかし、就職は難航。どうしようかと悩んでいると、知人から「札幌でエスプレッソマシンがある飲食店の立ち上げの話があるけど、どう?」と声をかけてもらいます。

「バリスタになりたかったので、エスプレッソマシンがあると聞いてすぐに『お願いします』と返事しました。でも現実はそう甘くないですよね(笑)その飲食店はピザがメインでコーヒーはあくまでもオマケ。僕はこの時まだピッツァを焼けないので、接客の仕事の割合が多かったです」

ピザ生地作りは命そのもの。その日の気温によって、発酵時間や水の配分を変えるそうです。
真剣にピザを焼く宮本さん。

お店ではバリスタとしての経験は積めず、少しずつ焦る日々。ある日、宮本さんはオーナーから「ピザを焼いてみないか?」と声をかけられます。このお店ではオーナーがピザを焼くスタイルでした。

「洋食の経験がないので最初は不安しかありませんでしたが、始めてみるとピッツァの奥深さが面白いと思いましたね。ピッツァって生地発酵状態や気温湿度、窯の温度などを最適にしないと美味しく出来上がらないんですよ。しかも毎日気温も湿度も変わるので、同じピッツァが出来上がることがないことに気づいてからは少しづつのめり込んでいきました」

それからは毎日ピッツァを焼く練習をし、休みの日にもピッツァを焼くほどハマっていきます。ただ宮本さんの中では、バリスタになることも諦めていませんでした。

「ピッツァも楽しかったんですけど、バリスタの夢が中途半端だったんですよね。この会社に在籍中に系列のパンケーキ店の立ち上げも経験するんですけど、そこもコーヒーはありつつもメインはパンケーキなので、ちゃんとバリスタとして立てる場所を探していた気がします」

なんとなく気が晴れないまま過ごす日々に、ひとつの電話が入ります。「バリスタとして働かないか?本物の男にならないか?」と、コーヒーとお酒がメインのイタリア料理店から声がかかります。

「有名店のラ・ジョストラで働けることもですが、ラ・ジョストラのオーナーと一緒に働けることが何よりも嬉しかったです!技術を見ていてもすごいと思うし、自分がやりたいと思っていることをやっているのがかっこよくて。お店での立ち振る舞いにも惚れこんでいました」

ラ・ジョストラのオーナーは料理もバリスタもこなすというオールマイティーな方。イベントやコーヒーの大会にも出場したり、様々なことを体験させてもらったそうです。

「そこで気づいたのが、僕の場合才能もセンスもない人間がコーヒーだけでご飯を食べていくのはかなり難しいということでした。なんとなくコーヒーだけ淹れれても、食事やアルコールなどもないと飲食店の経営は回らないんだなと、スペシャルでないと。ラ・ジョストラで働いて改めて学びましたね。自分のお店を持ちたいとはまだこの時は思っていませんでしたが、漠然と不器用なバリスタでは自分は食べていけない。何より向いていない、人より勝る技術を付けないと、と思いました」

渡伊とピザ大会での全国2位。だけど近くには超えられない壁。

宮本さんの中でバリスタへの夢が消えていく中で、ラ・ジョストラの奥の系列のピッツェリアををリニューアルオープンさせることに。

「『ラ・タヴォロッツァ』というピッツェリアをオーナーがリニューアルオープンさせ、僕はその店舗でピッツァを焼くことになりました。ただ少し不安がありましたね。確かに前職でピザは焼けるようになっていたし、今のオーナーからも料理など学んではいたけど、これだといえる自信がなかった。そこで、オーナーに本場イタリアのピッツァを見てみたいと伝えたんです」

この話をしたところオーナーは快諾、宮本さんにとっての30歳の初海外はイタリアとなりました。2週間イタリアに渡ることになり、ワイナリーやコーヒー豆工場などを周ります。もちろんピッツァの有名店もたくさん巡り、味を確かめに行ったそうです。

「自分が作っているピッツァ、方向性は大丈夫。と思いました。もちろんイタリアのピッツァも美味しいんです。だけど、僕が作りたいのは日本人が作る軽快なピッツァなんだなって気づいたんですよね。イタリアに行く前は『本場に触れて自分が作っているものに納得できなかったら、イタリアで修行も必要だな』と思っていたけど、全然その必要はないなって。自分のピッツァに自信が持てましたね」

帰国後、宮本さんは「一生をかけてピッツァを極めよう」と強く思い、その後出場したつナポリピッツァ職人選手権「ツジ・キカイ チンクエチェントカップ」で日本2位の成績をおさめます。

「単純に嬉しかったです。自分の自信にもつながりますしね。でも、オーナーは様々なコーヒーの大会で1位をとっているので、なんとなく超えられない壁がすぐそばにある状況で…。このままじゃオーナーを超えれないと思い、成長の場を求めて退職を決意します」

オーナーは快く送り出してくれ、宮本さんには江別にある東京の会社から声がかかります。

巡ってきたチャンス。

2019年、宮本さんが35歳の時に江別の商業施設内のピッツェリアで人が足りていないと聞き、統括兼ピッツァ職人として入社します。ただ入社後すぐにコロナ禍になり、当時はただひたすらに闇の中を走っているような感覚だったと話してくれました。

「コロナ禍が始まって、飲食店はかなり打撃を受けましたからね。僕が入社したピッツェリアも例外ではなく。それでも諦めないでキッチンカーや冷凍ピザでの販売を頑張って、なんとかお店を持たせていた状態でした」

江別のピッツェリアとは元々契約期間が決まっていたため、2022年の冬に契約が満了します。そして、そんな中にある話が飛び込んできます。

「『ラ・タヴォロッツァの店舗の移転を考えているのだけど、今の店舗買う?』と、回って連絡が入りました。即答で『買います』と返事したのを覚えています。元々働いてた場所だから、客層や売上予想もたてやすいし、何より自分のお店を持てるチャンスが回ってきたので、これにのらない手はないと思いました」

その後準備期間を経て、2022年4月に宮本さんのお店『PIZZERIA DEL CAPITANO(ピッツェリア デル カピターノ)』をオープンさせます。

豊かな人生を歩むために必要なこと。

お店をオープンしてもう少しで2年。幸いお客様も来て下さり、スタッフにも恵まれた日々を送っていると宮本さんは言います。今後の展望を聞くと…。

「まだ自己採点で100点満点のピザを焼いたことがないんです。なので、いつか自分で100点満点をつけれるようなピザを焼くのが目標です。それと…」

宮本さんは、優しいまなざしに変わり話をつづけます。

「ピッツァが縁で、三笠高校の特別講師をしているんです。この春からは母校であるとわの森三愛高等学校でも特別講師として活動する予定でいます。他にも子ども達にピザ体験やSNSを通して、ピッツァ職人になりたいので勉強させてくださいと連絡をもらったり…。最近、誰かに教えることも多くなってきたんです。そういう子たちに自信と共に技術を教えていけたらいいなと思っています」

生徒たちを見ていると「昔の自分」に出会うこともあるそうで…。

「ふぐ専門店の時の親方のように天才肌な子もいれば、僕のように不器用だけど努力が継続できる子もいる。『不器用』って一見ネガティブに見えるけど、ものすごいパワーを秘めててそれが原動力になる場合もあるんですよね。そういう子たちの成長をみるのも楽しみです」

宮本さんは、学生たちがチャレンジしやすい環境をつくるために学生専用のキッチンカーを1台購入することを決めたそう。キッチンカーでピザの販売などを学生たちに経験してもらい、飲食店の楽しさや大変さを一緒に味わっていきたいと考えていると教えてくれました。

ピザ職人宮本さんが丁寧に焼き上げる窯焼ピッツァ。
トマトソース・モッツァレラ・バジルをトッピングした「マルゲリータ」とっても美味しかった〜。

「20歳のころ技術も自信もなかった僕が、自分でピッツァを焼いて直接お客さまに届けられるお店を持っている。僕は今年で40歳ですが、20年間でたくさん遠回りをした部分もあると思います。挫折して、失って。むしろ遠回りしかしていない。だけど、何一つ無駄じゃなかった、無駄には出来ないと胸を張って言うことができる。最近は何となく効率化やすぐに答えを求める傾向にもありますが、遠回りや無駄も大事な経験だと楽しんでこれからも人生を歩んでいきたいです」

取材後、写真撮影のためにピッツァを焼いてくれた宮本さん。使用している野菜や生地の状態を見せてくれたのですが、この時が一番口数が多かったのが印象的でした。「最高級のチーズやめちゃくちゃ品質の良い小麦粉とかじゃなくて、家にある食材とかでもパパッと焼いて『あったかいうちに食べて!』と笑顔で出せる熱々のピッツァがいちばん美味しいんじゃないかな」とポツリとこぼした笑顔からは、ピッツァへの愛を感じます。

遠回りをしたからこそ出会えた「最高の仕事」は、これからも宮本さんの人生を彩っていくのでしょう。次の20年ではどんな遠回りがあったのか、ぜひ宮本さんが焼いたピッツァを食べながら聞いてみたいと思った取材でした。

宮本翼

PIZZERIA DEL CAPITANO(ピッツェリア デル カピターノ)代表

宮本翼

北海道札幌市中央区南3条西7丁目7-4
TANUKI SQUARE 1F 奥

TEL. 011-206-4830

https://capitano-sapporo.com/

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