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仕事や暮らし、このまちライフ

世界に届け! 札幌から各国へ北海道の美味しい食材を届ける。

2023.10.31

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「原動力は好奇心!」と笑って話す、鈴木智子(すずきさとこ)さん。札幌で貿易会社を経営しています。取引先は主にシンガポールや台湾などアジア圏が多く、北海道の美味しい食材を届けています。しかし、意外にも居住経験のある土地は、出身地の小樽と札幌のみ。海外と取引するには利便性の高い、東京にも住んだことがないそうです。どうして北海道から出ることなく、札幌で貿易の仕事を選んだのでしょうか?そこには、常にチャレンジし続ける彼女だからこその答えがありました。

10代で経験したアメリカ留学が人生の原点に。

2021年3月に創業したSS GLOBAL株式会社。鈴木さんがひとりで始めた貿易会社です。創業して約2年半(2023年10月現在)、今まで全ての仕事をひとりで鈴木さんが行っていましたが、最近、信頼できるビジネスパートナーと出会い、一緒に活動できる仲間が増えたそう。これから、さらに業務拡大が出来そうな喜ばしい兆しがあるそうです。

この札幌で貿易会社を創業するまでには、様々な人との出会いがありましたが、物語のスタートは小樽から始まります。

鈴木さんは北海道小樽市出身。小樽運河の近くに住み、地元でシャッターを製造する会社を経営する父と母の3人で暮らしていました。高校入学後には、アメリカでの交換留学にも挑戦。ホームステイ先で、1年間の現地の高校に通うための生活がスタートしました。その時、鈴木さんはかなりのカルチャーショックを受けたと言います。

「アメリカでは、高校生が通学に車を運転していたり、大人っぽい濃い化粧をしていたりして、日本とは違う文化に衝撃を受けました。父が商売をしていた関係で、幼少期に海外からお土産を買ってきてくれたり、小樽は港町なので、海外からの文化に触れやすい環境にいたはずだったのですが、私のイメージ以上の世界がそこには広がっていました」

さらに鈴木さんはこう続けます。

「高校2年生の時に留学したのですが、今から43年前の小樽では留学自体が珍しいことだったんです。なので、現在の学校の留学制度とは違い、1年留学して戻ってきたら、もう1回2年生をやらないといけなかったんですよね。ただ、1年を無駄にしたとしても、やりたいことにチャレンジしたい!という想いの方が強かったので、2年生をもう1度やることに抵抗はありませんでした」

この10代の経験は、このあとの価値観を広げてくれる大切なものとなり、少し足を伸ばせば異国の新たな文化に触れられるという事実は、短大時代にも影響を与えます。

「就職は外国に関係する職業にしたい」と思った鈴木さんは、CA(キャビンアテンダント)になりたいと考えます。短大に入学し、「世界を見たい」という原動力で、大手航空会社にトライするものの、内定はもらえず…。

「ここから暗黒時代に突入した」と、鈴木さんは笑います。

自分のやりたいことが見つけられなく、もがく日々。

「20代前半の就職活動時期は、私の暗黒時代でしたね。今のように航空会社がたくさんある時代ではなかったので、大手航空会社に落ちたらCAになる夢はほぼ敗れたようなもので…。卒業間際の大学に貼り出された求人も私にとっては、全く魅力的じゃなく『私、このまま就職できないんじゃ…』とすごく不安でした。それでも外国に少しでも触れたいという気持ちだけで、就職先を探して、やっと見つけたのが札幌に進出していた外資系の金融会社の事務職でした」

当時は、大学で閲覧できる求人以外は、新聞の求人欄が主流な時代。詳細な情報なども少なく、新聞の文字だけを頼りに海外と繋がれそうな求人を毎日探します。

やっと見つけた外資系金融会社の事務は、契約社員での雇用だったそう。正社員での雇用が主流だった時代に、契約社員での雇用は相当な勇気が必要だったのではないかと思います。

鈴木さんに、雇用条件での不安がなかったのか聞いてみると。

「不安しかなかったですよ(笑)。なので、1年で退職してしまいました。ただこの外資系の金融会社が悪かったわけではなく、私の気持ちの問題でしたね。中途半端だったんじゃないかな。その後、地元の小樽のクレジット会社に正社員で入社し、やっと手に入れた安定だったはずなんですが、ここにも私の気持ちの問題が立ちはだかりました」

このクレジット会社では、加盟店の集金などの事務作業がメインで、定時退社ができるため趣味に時間をかけられる職場で、バンド活動やエアロビなどのプライベートの時間を満足させることができました。「自分の人生は、充実している!」と当時の鈴木さんは思っていたそうです。

でも、ある日ふと鈴木さんは自分の心の違和感を覚えます。

鈴木智子さんご提供写真(2010年、中国出張にて)

「私は、こういうことをしたかったのかな? 『外国や英語、もっと広い世界を見たかったんじゃなかった?』と急に雪崩のように感情が押し寄せてきて。それからまた、新聞の求人欄を見る日々が始まります」

ただ、これまでと大きく違ってきたのは、なんとなく求人が出るのを待っている日々ではなく、2社の経験を経て将来ビジョンが明確になり、求人情報を見るのが楽しみになっていたそうです。そんなある日、旅行会社のアテンド業務の求人と巡り合い、応募したところ内定をもらいます。

「海外赴任でのアテンド業務と記載されていたので、『海外に行ける!』とテンションが上がってしまって(笑)。実家の両親も説得し、さあ海外で仕事ができる!いつクレジット会社へ退職を告げようかと意気込んでいたら、内定をもらっていた会社から『鈴木さん、旅行会社の勤務経験がないので、海外赴任の前に3ヵ月間東京で研修してもらえますか?』と言われてしまったんです」

少し悲しげな表情の鈴木さん。この表情の理由を聞くと…。

「東京に行くのが嫌すぎて…。人ごみも嫌だし、とにかくなぜか嫌で(笑)。でも行かないと、海外で仕事はできないので…散々悩んで、占いに行きました(笑)」

占い!?手相占いとか水晶占いとかの「占い」ですか?とちょっとビックリした取材陣に、笑いながらこうお話しされます。

「ビックリしますよね!(笑)。でもきっと、誰かに判断を委ねたい、背中を押してもらいたいみたいなのがあったんだと思います。その占いでは『この会社に行くのは辞めた方がいい。3ヵ月後にもっといいチャンスがくるよ』と言われました。この言葉を鵜呑みにするわけではなかったのですが、自分の直感を信じて旅行会社は内定を辞退させていただくことにしました」

まさかまさかの、実際に3ヵ月後。占いの通りにチャンスが来ることになり、このあと25年働くことになる札幌の貿易会社の求人と出会うことになります。人生って本当にわからないものです。

思いがけず出会った札幌の貿易会社。この出会いが人生を大きく変える。

「札幌の貿易会社の求人を発見した時は『貿易ってどんなことをするの?』と、正直よくわかっていないところもありましたが、海外への扉が開く感じがしました。旅行会社と貿易会社、求人の内容的には両方とも海外に関わる仕事だったのですが、旅行会社は『研修で東京に行きたくない』という自分の中の迷いのようなものを強く感じて。逆に貿易会社は、業務内容がイメージしかない状態でも、迷いは感じなかったので、人の心って不思議ですよね(笑)」

晴れて貿易会社の貿易事務員として入社した鈴木さんは、英文でやってくる通信文や注文書を翻訳し、英語で返信するなどの事務業務から経歴をスタートさせます。このときに頼りになる先輩が、手取り足取り教えてくれて、貿易事務の基本をしっかり教えてくれたそう。

ただ入社して約3年後、この頼もしい先輩が退職してしまいます。それと同時に会社も少しずつ規模を縮小し始め、鈴木さんは営業事務も兼務することになります。

「営業知識が全くない状態からの営業事務だったのですが、やってみると意外と楽しくて!営業事務の仕事内容は、営業の人から依頼された書類を作成したり、電話の取次などがメインでした。この電話の取次が好きで、これまで書類で見ていただけの取引先の人と電話で話せるのが楽しかったですね」

鈴木さんの仕事ぶりが評価され、徐々に営業の仕事も受け持つようになり、営業・営業事務・貿易事務の3つを同時にこなす日々に、鈴木さんはある日気づいたそうです。「あれ?私、忙しすぎない?」と。気づいてからの鈴木さんはすぐに上司に相談。鈴木さんの要望を上司は汲み取ってくれ、営業と貿易事務の2つに集中できる環境を整えてくれました。

安定とやりがいの先に見つけた、新たな夢。

鈴木智子さんご提供写真(2013年、中国出張にて)

営業と貿易事務の二足のわらじで、1年中海外を飛び回る生活。鈴木さんは生活が安定しながら、やりたいことができる幸せを噛みしめていました。

ただいろいろ将来について考えることもありました。

「勤めていた貿易会社は、輸入のみで輸出はしていなかったんですよね。北海道には美味しい食材があるし、これはチャンスかも?と思ったタイミングで、社長も同じことを考えていて、社内に輸出部門が立ち上がりました。この立ち上げをきっかけに、シンガポールに視察へ行ったんですが、現地の人の北海道人気や日本の食に対しての購買意欲や興味がすごく、圧倒されてしまったんです。今までのビジネスは輸入する側だったので、輸出する側になるとこんなにも違うのかと。この現地の購買意欲を活かしたいと思ったと同時に『まだまだ知らないことがたくさんある』と『ビジネスに関することを学びたい』と心の中で沸いてきたんです」

この時鈴木さんは45歳。学びたいという気持ちが抑えられず、仕事をしながら小樽商科大学へMBA(経営学修士)取得のために入学するというとんでもない決意をします。

企業推薦での入学を選択したため、社長の推薦が必要な上に、大学院の面接には社長同伴が必須条件。そこでまずは社長へ相談し、今の気持ちを正直に話して、学びたい気持ちがあるということを伝えました。すると、社長は快諾し、面接へも同行。無事合格し、鈴木さんは社会人として大学院生活をスタートさせることとなりました。

社会人が働きながら学ぶ事の、大変さと面白さを知る。

鈴木智子さんご提供写真(2012年、大学院卒業)

大学院は2年間、平日は仕事が終了した後、18:30〜21:00まで札幌駅付近のサテライトで学び、土曜は大学の校舎が立地する小樽に通う生活を続けます。

授業の他に課題やレポートがあるため、仕事後に授業を受け、帰宅後レポートという生活が普通になります。

「この年齢で寝ずにレポートを書いて、朝焼けをファーストフード店で見るとは思っていませんでした(笑)。ひとりだと、心が折れて出来なそうな課題やレポートも、一緒に通う仲間とだとなんとか協力し合いながら乗り越えて、私は人に恵まれているなと改めて感じることが多かったですね。大学院に通う仲間は異業種だし、年齢もバラバラ。60歳を超えてる方もいて、刺激を受けることが多かったです」

大学院は大変だったけど、楽しく充実した日々を過ごすことができ、卒業。無事MBAも取得し、また仕事で海外を飛び回る日々が始まります。

50歳を迎えた日、高校の友人と旅行中に「会社のために働くのは良いと思う。でも、働き方が普通の社員の働き方じゃないと思うな」と言われたそう。

「彼女は経営者という視点と同時に、昔からの私の性格も知っていたので、私の働き方が歯がゆかったのではないかと思います。彼女に言われた一言は大きくて、『起業』の文字が浮かび始めたのもこの頃でした。ただ明確なビジョンが見えなく『私はなにで起業したいんだろう?』と漠然としていて。それも彼女の目には見えていたのか『一旦リセットして、ウチの会社で働いてみない?』と声をかけてくれたんですよね」

その友人は、多くの方々に知られている北海道の魅力ある人材や食品を道内外に発信している会社の経営者でした。鈴木さんも、彼女の先見の明を常々感じていて、一緒に働いたら次に自分がやりたいことが見えてくるかもしれないと思ったといいます。ただ25年間働いてた居心地の良い職場を離れることに迷いもあり、社長に素直に気持ちを伝えます。

「『会社を経営している友人から声をかけていただいていて、行きたいと思っている』と伝えました。社長は優しく『待ってくれているなら、早くそっちに行きなさい』と、応援してくれたんですよ」

25年も務め、大学院に入る際にもお世話になった社長が背中を押してくれた事も手伝って、鈴木さんは友人が経営する会社に入社。そこでは北海道の食に関わる事業に携わります。今まで直接会うことの少なかった道内の生産者に会うために地方をめぐり、北海道の自然の豊かさや土地の広大さを通じて改めて北海道の魅力やポテンシャルを実感したと鈴木さんはいいます。自分の中でも、食について深く考えることが多くなっていくのを感じていた矢先、不幸が訪れます。小樽に住むお母さんが亡くなってしまいました。

「コロナが流行りだす少し前に亡くなったんですよね。母を看取って、自分の人生を改めて考えたときに、いつかは起業したいって思っていたのをふと思い出したんですよね。例えだめでも、心配をかける親はもういないし、自分で責任がとれればいいかなと思って、起業を決めました」

鈴木智子さんご提供写真(2012年、中国出張にて)

この時、鈴木さんは55歳。やりたいことは、札幌で「貿易」と「北海道の食を伝えること」だと、今までの人生から導きだします。

「私を引き入れてくれた友人に『起業したいと思う』と話した時には驚かれはしたものの、『この年令からのチャレンジ、すごく勇気をもらった。うちで培った人脈と経験は、全部持って行っていいからね!』と両手を上げて送り出してもらいました。今更ながらに、彼女の器の大きさも感じましたし、高校時代の友人が北海道を代表する企業の経営者となったのは尊敬しかありません。今思えば彼女はこうなることを心の中で、少し感じていてきっかけづくりも兼ねて、自分の会社に引っ張ってくれていたのかもしれないですね」

その後退職し、2021年3月3日会社を設立。今に至ります。

支えてくれる人が札幌に集まっていた、だから札幌にいる。

「小樽で育って、札幌で仕事をして。自分の人生を振り返ると、人に恵まれていたなと思います。ターニングポイントとなるところには必ず背中を押してくれた人がいました。占い師さんも含めて(笑)。首都圏に住むこともなく、この北の大地で、温かい人たちばかりに囲まれてここまでこれたんだと思います」

それは、鈴木さんの人柄があるからじゃないですか?と聞くと、少しいたずらっぽく笑い。

「私が人が好きで、興味を持って寄っていくから、みなさん、ほっとけなくなるんですかね(笑)」

鈴木さんはそうやって笑いましたが、そういうユーモアさがより人を惹きつけるんだろうなとお話を聞いていて感じていました。最近は少し時間もとれるようになったそうで、息抜きを聞いてみると。

「ゴルフにハマっているので、週末になると運転して札幌近郊のゴルフ場に通っています。札幌は商業施設などがコンパクトにまとまっていて住みやすい上に、少し足を伸ばせば自然に触れられるところが気に入っていますね」

札幌の良さを十分理解している鈴木さんが、時々札幌の冬に弱音を吐きたくなる部分もあるようで。

「ただ、冬の札幌はやっぱり大変ですね(笑)。自然相手ですし、この気候がないとこの豊かな緑を維持できないのはわかっているのですが、毎年冬になると『今年も冬が来た』と身構えてしまいます(笑)」

自分の気持ちに素直になって、知らないことを怖がらない。

さまざまな経験を乗り越えながら、イキイキとした生活を自らつくってきた鈴木さん。最後に、就職や転職、さらには起業などあらゆる分野でチャレンジしようとしている人へのアドバイスを聞いてみました。

「人とのつながりの中で発見があったり、トライするきっかけになったりするので、たくさんの人と出会うことは、生きていく上でとても重要なんじゃないかなと思います。あとは、最初から100%完璧にやろうとするのではなくて、多少失敗しても最終的に帳尻が合うような結果にできれば良いんじゃないかなと考えて、私は今まで行動してきました。70%くらいの成功イメージを持って始めるくらいという感じかな。100%を求めたらチャレンジができないし、かといって可能性が全然なければそれは無謀になるし。興味や好奇心に蓋をして、挑戦しないとなにも始まらない。自分の知らないことに怖がらないで、トライしてみると、自分が思っている以上の景色が待っていると思いますよ」

鈴木智子さんご提供写真(2022年、シンガポールにて)
鈴木智子さんご提供写真(2023年、台湾にて)

取材中、ずっと笑顔で、取材陣を笑わせるように語ってくれた鈴木さん。さまざまな苦労や努力は、必ず報われていくと教えてくれた気がします。

遠回りになったことも経験した鈴木さんでしたが、安定した暮らしや今の自分がやれることを職業に選択しがちな世の中で、「自分が好きなこと・やってみたいこと」を大切にすることは、自分の人生を輝かせる上で、本当に大事なことなんだということを教えてくれた気がしました。

鈴木智子さん

SS GLOBAL株式会社

鈴木智子さん

北海道札幌市

suzuki@ssglobal-co.com
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