北海道札幌市の桑園にある「Streetlight Brewing(ストリートライトブルーイング)」。札幌市内で最大のクラフトビールの醸造施設とタップルーム(醸造したクラフトビールをその場で楽しめる空間)を併設した、クラフトビール専門店です。
コピーライターの大阪さん、フリーの醸造家の川村さん、そして今回お話を伺う宮口晃一さんの3人が出会って始まったStreetlight Brewingの今までとこれからをお届けします。
「何かが」形になった瞬間。
「この仕事をする前は公務員だったんですよ」と、最初に話してくれた宮口さん。小学校の卒業文集には「将来の夢は公務員」と書いていたと言い、念願叶って務めた公務員を辞めて今の仕事をしていることになります。
ただ夢の先に見つけたStreetlight Brewingは、公務員の経験があったからこそ見つけれたようです。まずは、公務員時代のお話から伺ってみましょう。
宮口さんは、高校3年のときに郵政公社(現日本郵政株式会社)の採用試験に合格。その後、郵政公社が民営化した翌年に札幌市役所に転職します。宮口さんが22歳の時のことでした。
「市役所職員になり、いろいろな部署を経験させてもらいました。でも、30歳になった頃に、仕事に対してどこか満たされないような感覚を覚えるようになったんです」
モヤモヤとした思いを抱えながらも、他にやりたいことが見つからなかったと語る宮口さん。オンラインのコミュニティに参加したり、知り合いの酒屋さんをボランティアで手伝いをしたりと、徐々に色々な場所に顔を出してみたそうです。
宮口さんは「そうやっていろんな人に出会うようになった頃に、人生を動かす出来事となることがふたつありました」と教えてくれました。
ひとつは、北海道と札幌市の若手職員が中心となって地域活性化の取り組みを図る「北海道・札幌市政策研究みらい会議」への参加です。
「この会議では、各自が自由に企画案を出し合うんですよね。僕はもともと日本酒が好きで、酒屋の知り合いも多かったので、北海道産の日本酒で何か始めたいと思ったんです。そこで、北海道庁の赤れんが前の広場で行われるビアガーデンでクラフトビール、別会場で北海道産の日本酒を紹介するイベントを企画しました」
ところが、この企画はある出来事によって中止になります。それは、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震です。
「地震の影響で、会議で計画していたことが全て白紙になってしまったんですよ。そんな中、諦めずに『何かをしたい』という粘ったメンバーがいました。そこで、彼らが中心となって実行委員会を作り、いろいろなところに連絡して何かやれないか打診してくれたんです。その結果、デパートの催事場で行われるイベントに参加できることになりました」
このイベントでは、札幌市内のクラフトビールを10社以上から、約30種類ほど集めて販売したそうです。さらに…。
「地震の被害を受けた厚真町の復興支援にも繋げようということになりました。厚真町はハスカップが有名なので、僕らが現地に足を運び、農園の方に協力してもらってハスカップを使ったビールを造ったんです。ビールの醸造は、札幌市の『月と太陽ブルーイング』さんにお願いしました。それをイベント会場で販売し、売上の一部を厚真町に寄付させていただいたんです」
クラフトビールの聖地で感じた活気。
もうひとつのきっかけは、札幌市の姉妹都市であるアメリカ・ポートランドの州立大学が毎年夏に開催する『街づくり人材プログラム』への参加でした。
ポートランドは「クラフトビールの聖地」と呼ばれるほど、クラフトビール文化が盛んな土地です。宮口さんはプログラムの合間や終わったあとに、現地のブルワリー(クラフトビールを作る醸造所のこと)を訪れることができたそうです。
「その当時、ポートランドの人口は60万人ほどだったのですが、そこにはブルワリーが既に約60箇所もあり、世界的に見てもブルワリーが多い環境だったんですよね。ブルワリーと店舗が一緒になっているところが多く、どこも活気があり楽しかったです。あとすごく覚えているのがポートランドの人って、『何でもやっちゃおうぜ』っていう気質の人が多くて、起業する人がたくさんいたのも印象的でした」
ポートランドでの経験が良い刺激になったと話す宮口さん。帰国後に、自ら姉妹都市提携60周年の記念事業を企画しました。
「記念のイベントをしないのか聞いてみたら、特に何も考えてないと言うので、『じゃあ僕が企画します』と(笑)。日本とポートランドのコラボクラフトビールが既にあったので、オンラインで両国を繋いで、乾杯イベントをやりました」
このイベントの翌年、2020年に宮口さんは11年間勤務した公務員を退職します。退職に踏み切ったのには、なにか理由があったのでしょうか。
「自分で自分の人生を選択してみたくなったんですよね。30代に入って仕事に対してモヤモヤしている気持ちの中で、『北海道・札幌市政策研究みらい会議』とポートランドでの経験を経て、自由に自分がやりたいことを形にしていきたいと思ったんです」
札幌にビールを通じて人が集まる場所を作りたい。
「自由に自分の道を切り開きたい」と思った宮口さんは、「自分の進む道はビールだ」と感じたそう。
「ビールの世界に飛び込もうと思ったのは、震災復興イベントとして造ったハスカップビールが一番大きかったですね。フルーツからビールを作れることを知り、ビールってすごく自由なんだなと感じました。ビールを通じて、イベントに来たお客さんや厚真町の人たち、僕らと一緒にビール造りをした人、みんながハッピーになったのも嬉しかったんですよね」
宮口さんは、公務員退職後にビアバーで働くことに。しかしビアバーで働いていた頃は、ちょうどコロナ禍の真っ只中でした。自粛要請が出て、店が営業できない時はビールの勉強の時間に充て、2年ほどビアバーで働きました。
そして、その時期にフリーランスのコピーライターの大阪さんと、醸造所を持たない醸造家として活動していた川村さんが、札幌市内に大きなブルワリーを作る計画を立てていることを知ります。
「大阪とは、北海道・札幌市政策研究みらい会議の時に会っていたんですけど、そのときのことはほぼ覚えていないんですよね。川村もビアバーなどで何回か顔を合わせていたみたいなんですけど、あまり記憶になくて…(笑)ふたりとも直接会っているはずなのに、覚えていない。だけど、気づいたら一緒にいました」
不思議な縁に引き寄せられた3人は、会社を立ち上げることに。奇遇にも3人でのスタートとなったわけですが、宮口さんひとりでブルワリーを作ろうと思わなかったのでしょうか。
その問いに宮口さんは、「ビールを自分で造りたいとは思っていなかった」という意外な答えを返します。
「僕は、造るよりビールを通して人が集まる場所が好きなんです。でも、ビアバーをやるだけでは、仕入れたビールの原材料や完成するまでのストーリーを伝えきれない。これは造る側のブルワリーとしての目線も必要だなと思ったんです。それに、ポートランドでブルワリーにビアバーが併設された場所が、街の基点になっているのを見て、札幌でもそういう場所を作れたら面白いなとも思っていました。だから、2人がブルワリーを作るいう話を聞いたとき、自分が作りたいと思っていた空間を作れるかもしれないと思ったんです」
ビールを通じて人々を楽しませたいと思っていた宮口さんと、札幌にブルワリーを作ろうとしていた大阪さん、川村さん。3人で2022年に合同会社札幌醸々(じょうじょう)を立ち上げ、物件探しが本格的に始まりました。
食品倉庫を改造してブルワリーをオープン
物件探しはSNSなどを活用して、広く情報を集めたと言います。
「少しずつ良さそうな物件は集まってきたのですが、家賃が高かったりブルワリーを作るのに広さや高さが足りなかったりで、これという場所が決まりませんでした。図面だけでダメだなと思ったところも含めて、10件以上は見たんじゃないかな。今ある桑園の店舗は、もともと食品問屋の倉庫だったので広さ的には完璧だったんですが、アクセスがあまり良くないんじゃないかということで、しばらく保留にしていたんです。でも、ここなら近くに市場や競馬場もあり、再開発もされていて人も多いし、いけるんじゃないかということになり、最終的に決めました」
桑園という場所に可能性を見出した3人は、次に資金調達に走ります。
「仮契約を済ませた後、投資してくれる出資者を募るための説明会を開きました。紆余曲折ありましたが、無事に目標金額に到達。そこから銀行融資や酒造免許の申請など、着工に向けて手続きを始めました」
全ての手続きが終わると、タップルームの工事とブルワリーの什器(じゅうき)の調達が始まりました。ビール造りの肝となる樽は、1200リットルの大型タンクを海外から輸入したそうです。
「まず、2022年の12月に併設のタップルームが完成したので、先にオープンさせました。ブルワリーの工事を始めたのは、タップルームがオープンしてからです。ブルワリーが完成するまではビールを造ることができないので、当時、川村が醸造家を務めていた香川県にある瀬戸内の工場にお願いし、オリジナルビールを造ってもらいました。自分たちでビールを造れるようになったのは、翌年の2月になってからで長い道のりでした」
自社で造れるようになったクラフトビールは格別で、タップルームで飲んだ人たちからも大好評だったそうです。
人と関わるのが最高の楽しみ
オープンから2024年12月で2年目を迎えるStreetlight Brewing。現在は、立ち上げた3人の他に社員2人、アルバイト6人で運営しています。
「醸造家は川村の他に2名います。そのうちの1人は東京の小さな工場でビールを造っていた人。川村のビールが好きで、大きな設備があるブルワリーで働きたいと、わざわざ東京から応募してきてくれました」
立ち上げた頃は全て3人で行っていた仕事も、スタッフが増えたことで少しずつ幅が広がっています。「社員が増えても相変わらず忙しいですけどね」と笑う宮口さんでしたが、普段の仕事の中で、一番の楽しみはタップルームに立つことだそう。
「お客さまとの会話が楽しくて。近場から来てくださる常連客だけでなく、国内外からの観光客の方も意外と多いんですよ。みなさん、ビールが好きな人で、年齢層もさまざまです。イベント出店時もできるだけ会場に立つようにしていますね。うちのビールが飲みたかったとか、僕に会いたかったと言ってくれる人もいて、嬉しくなります」
今はお店の運営も順調に進んでいますが、札幌でお店を構えることに不安はなかったのか、他都府県での出店は考えなかったのかを改めて聞いてみました。
「不安はなかったです。確かに東京のような大都市の方がチャンスは多いかもしれませんが、その分ライバルも多いじゃないですか。でも福岡なら行ってみたいかなあ。川村のお店が福岡にもあるんですよ。川村は、Streetlight Brewingがある桑園を拠点にしながら、今でも福岡で『Hobo Brewing(ホーボーブルーイング)』というお店を持ってるんですよ」
それぞれが、自由に自分のやりたいことを仕事にしているStreetlight Brewingの面々。宮口さんに、ブルワリーを立ち上げたいと思っている若者へのアドバイスを聞いてみると、「やってみるしかないですよ」と、サラッとひと言。
「例えば、大学生であればサークルで何か企画してみるのもいいんじゃないでしょうか。うちにも大学生のバイトが1人いて、友達と一緒にビールとコーヒーを絡めたイベントをやっています。それか、今はSNSなどでいくらでも探せるので、実際にブルワリーを立ち上げた人に直接連絡して行ってみるとか。うちにも『お店を見に行きたいんですけど』と連絡をくれる人もいますね」
今の夢は、Streetlight Brewingとしての第2工場をオープンすること。
ここまでの宮口さんの話を聞いて、Streetlight Brewingのクラフトビールを飲んでみたい読者の方も多そうです。ビールの販売は、タップルームでの提供や、オンラインでの注文も受け付けているとのことで…。
「オンライン販売での出荷先は東京が多いですが、道内からも結構注文が多いですね。札幌市内では、タップルームの他に札幌駅前の東急百貨店やどさんこプラザ、あときたキッチンでも購入できます。定番商品のほかに、季節限定ビールなども置いているので立ち寄った際には、ぜひチェックしてみてほしいです」
最後に、宮口さんの今後の目標や夢について聞いてみました。
「もう少しスタッフを増やしたいですね。スタートアップなので、最初は何もかも自分でやらなければならないのは仕方のないことなのですが、もっと自由にいろいろ動けるような体制にしたいです。他には、札幌市内にStreetlight Brewingとしての第2工場を作りたい。第2工場を作らないと事業が拡大していかないと思っているので、場所を探して動いていく予定です。そのためにも、まずは今作っている量が売り切れるぐらい頑張らないといけないですね!」
30代で、公務員からクラフトビールの世界へと、大きくキャリアチェンジした宮口さん。「ビールを通じてみんながハッピーになる」という言葉がとても印象的です。自分のやりたいことをできる人生を選んだ宮口さんの生き方は、キャリアの選択に悩む多くの人に勇気を与えるのではないかと思いました。