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明日をつくる未来へのアクション

愛がすべて。札幌のママたちをサポートし続けるパワフル助産師

2024.9.23

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「ママたちが自分の足で立って、しっかり子育てしながら生きていけるよう寄り添うのが助産師の仕事」。そう話すのは今回お話を伺う助産院エ・ク・ボの院長・髙室典子さん。1994年にエ・ク・ボを開業してちょうど30年になります。札幌のママたちを支えてきた髙室さんに、出産や育児を取り巻く環境の変化も含め、助産院をはじめるまでのことから現在の活動、そしてこれからのことについて伺いました。

超多忙なスーパー助産師。学生時代から「気になると行動を起こすタイプ」

助産院エ・ク・ボは、地下鉄東西線の宮の沢駅から徒歩2、3分の場所にある一軒家。インターホンを押すと、「はーい」と明るい声で髙室さんがドアを開け、「さっき外勤から戻ってきたところで、バタバタしていてごめんね」と言いながら、取材陣を迎えてくれました。

髙室さんは日々の診療のほか、親子で参加できる交流会や体を動かすイベント、オンラインのセミナーなども行っています。後進育成のため、天使大学などで教鞭(きょうべん)を取っているほか、依頼を受けて小・中学校の性教育講座にも出向きます。さらに北海道助産師会の代表理事、北海道産前産後ケア協会代表理事という要職にも就いているため、会議なども多く、その合間を縫ってメディアの取材対応…と、とにかく多忙。それにも関わらず、ずっと笑顔で応えてくれるその器の大きさとタフさに驚かされます。

髙室さんを昔から知っている人は、「とにかく明るくて元気。太い筋が一本通っていて、いつだって真剣で誠実、だけどとてもチャーミング」と言います。真剣だからこそ時に厳しい発言もありますが、髙室さんの愛情と温かさに触れ、これまでもたくさんのママたちが励まされ、大きな安心とパワーを与えてもらってきました。

▼今回取材をさせていただいた、「助産院エ・ク・ボ」院長の髙室典子さん。

さて、髙室さんはどんな子どもだったのでしょうか。早速、生い立ちから伺っていきましょう。

髙室さんは札幌生まれ。父親が転勤族だったため、10代は遠軽や岩内で暮らします。「高校2年まで岩内にいて、自然豊かな中でのびのびと育ちました」。その後、父親の転勤に伴い札幌へ。厚別区にある啓成高校へ転校します。

「実は岩内にいたときは成績もトップだったし、わりと優等生だったの。でも札幌に来たら、人数が多くて、自分よりも成績のいい人がたくさんいてね、順位も下のほうになって…。でも、お友達はいっぱいできて、そしてね、なぜかリーゼントしているようなツッパリグループの人たちにも優しくしてもらって(笑)。人って外見じゃないんだなとそのとき学びました」

小さいころはおとなしい子どもだったそうですが、「気になったら行動を起こしちゃうタイプ」と自分を分析し、「黙って見ていられないのよね」と笑います。たとえば、中学校で生徒会長を務めた際、校則にあった「男子は丸坊主」という項目に違和感を覚え、学校側に見直しを求めてその校則を廃止にしたそう。「変だと思ったら声を出してしまうのよね」と言いますが、それはその後も変わらずに続き、あらゆる場面で大小関わらず改革や改善を行ってきました。「変える労力って結構大変なんだけどね」と笑いますが、それでもつい動いてしまうのだそう。

助産師を目指すきっかけは、感動の出産立ち合いと母のひと言

もともと学校の先生になりたかったという髙室さん。「保健体育の先生になりたくて、教育大学を受けたんだけど、実技ができなくてね…」。すると、高校の担任の先生がから「看護師が向いているのでは?」と札幌市立大学の前身である札幌市立高等専門学校を勧められます。

「それもいいなと思って、看護師になるために進学したんだけど、2年生の夏にたまたま手にしたグランドキャニオンの写真集を見たら、どうしても実物が見たくなってしまって、お年玉貯金をくずしてバックパックを背負ってアメリカへ飛んだの。やらないで後悔するより、どうせならやって後悔したいタイプだから(笑)。旅行中は、リアルに人種差別を経験するなどいろいろなことを学びました」

しかし、旅行中に行われていた試験を受けていなかったため、2年生をもう一度やることに。「だからね、おかげで下の期の子たちにも友達ができたの」とニッコリ。この辺りの前向きさは今も変わらずという印象です。

助産師になろうと思ったのは、実習で産科へ行ったとき。出産に立ち合って、とても感動したと言います。

「女の人ってスゴイって思いました。そして自分もこうやって生まれてきたんだと思ったら、母に感謝したくなってね。その話をしたら、母が『あなたを産んだときは、それまでの自分の人生の中で一番幸せだった』と言ってくれて…。それで助産師になりたいと思いました」

やっぱり助産師になりたい。脳外科勤務、結婚を経て、助産師学校へ

助産師になるためにはさらに専門の学校へ通わなければならず、高等専門学校を卒業した後はひとまず北海道大学病院の脳神経外科に勤務します。

「当時ね、助産師だけでなく、救命にも興味があったの。脳外科は救命ではないけれど近い部分もあって、北大なら最先端の医療を知ることができるよと学校の先生に勧められて就職しました」

3年勤務しますが、毎日のように人が亡くなる場面と向き合う中、「死」に慣れてしまう自分に「これでいいのか」という疑問を持ち始めます。ちょうどそのころ、結婚したばかり。いったん看護師を辞め、滝川へ転勤になった夫についていきます。

▼「信頼できる人たちと共に迎えるお産がこんなに幸せなことだと知らなかった」と話す女性(写真右)。

「でもね、やっぱり助産師になりたいって思って、夫に助産師学校を受験したいって言ったの。夫は受かるわけないと思っていたみたいで、『ああ、受けてもいいよ』と軽く言って…。そしたらね、受かったの(笑)」

北海道大学附属助産師学校に入学し、一人で札幌へ戻り、助産師として勉学に励みます。「1年間だったけれど、とても楽しかった。この学校は100年続いて、残念ながら昨年閉校してしまったけれど、一緒に学んだ仲間たちがいまも全道で助産師として活躍していて…」と話します。実は髙室さん、助産師学校の同窓会会長も務め、閉校式と100年記念式典も取り仕切ったそう。「なんかね、こういうのを引き受けちゃうのよね」と笑います。

産婦人科に勤務し、自身も出産を経験。子育てしながら仕事を続ける

助産師学校を卒業後、南区にある産婦人科に就職。「当時はまだ産婆さんと呼ばれる大先輩がたくさんいて、昔ながらのお産もたくさん見せてもらいました」と振り返ります。

そして、「その病院の先生が、お産の主役はお母さんであり、自分たちは黒子。赤ちゃんが出てくる『はい、生まれるよ』という瞬間を涙と喜びに変えるのが自分たちなんだよって。そう教えてもらった言葉が今も心に残っています」と話します。赤ちゃん誕生の瞬間に立ち合えることを何よりも幸せだと感じ、今でも大好きだと言います。

そんな髙室さんも4回出産を経験。4人の娘さんがいます。1人目の出産は勤務先の病院でした。

▼検診の時にしっかり時間を取り、焦らずに悩みや不安を解消できる環境作りを心がけています。

「計画出産だったんだけど、お腹は押されるわ、おすそ(会陰)は切られるわ、痛くて痛くて大変だったの(笑)。これまで関わった妊婦さんたちもこんな思いをしてきたんだなって、本当に出産は大変だなって、自分が体験してあらためて気づきました」

髙室さんの出産を見ていた産婆さんから、「かわいそうなお産だね」と言われたひと言が胸に残り、2人目からは産婆さんに取り上げてもらうことにします。すると会陰を切ることもなく、「こんなにいいお産を選択できるならこれを広めていったほうがいい」と思ったそう。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

2人目出産までは両親のサポートも受けながら仕事を続け、夜勤もこなしてきましたが、さすがに3人目のときに退職を決めます。

地域のママの育児相談を受ける、訪問スタイルの助産院を開業

「子育てに専念していたのだけれど、私が助産師だって分かるとママ友から育児で困っていることの相談を受けるようになって…。当時はね、パパたちが24時間働く企業戦士だった時代。ママが一人で子育てをするのが当たり前で大変だったのよね。親世代との子育ての考え方も違っていたし。だから、出産や育児に関する正しい情報をきちんと伝え、地域のママたちをサポートしたいと思うようになりました」

そこで、育児相談を受ける訪問スタイルの助産院を始めることにします。1994年、助産院エ・ク・ボのスタートです。エ・ク・ボは「eazy(優しさ)」「kind(親切)」「bring(運ぶ)」の頭文字を取って名付けました。笑顔で優しさと親切を運びたいという願いが込められています。

▼1994年にエ・ク・ボを開業してちょうど30年。当院は、産前・産後・育児から思春期・妊娠・出産・子育てまで「女性の一生」をサポートしています。

「最初は自宅に専用の電話を引くところからスタート。周りの友達がロゴマークを作ってくれたり、パンフレットを作ってくれたり、周りには随分と助けられました。当時はまだそういうサービスをしているところがなくて、新聞やテレビでもたくさん取り上げてもらいました」

余談ですが、初めてのお客さんは電話番号を決めた際の窓口で対応してくれた方の奥さんだったそう。

「当時はNTTの窓口に行って、下4けたの電話番号を選べたのね。それで、ゴロ合わせで覚えやすいものを一緒に考えてもらって(笑)。そのときの窓口の方の奥さんが利用者第一号だったの」と笑います。ちなみにそのとき考えた番号は、今も使っている番号で「666-0814」。「ムムム-おっぱいよ」とゴロを合わせたそう。

出産も行うことを決意。産婆さんたちから学んだ助産師の在り方

「最初からたくさん相談がくるはずもなく、空いている時間はノートにやりたいことをたくさん書いていました。世に言う事業計画書のようなものをひたすら書いていましたね」

開業から半年経ち、相談件数も増え、訪問以外の相談希望もあり、現在の場所に建物を借りることにします。赤ちゃんの発育相談や乳腺トラブルなど、出産後のママたちのサポートを続けているうちに、「次の子をお産するときは手伝ってほしい」「自宅出産を手伝ってほしい」というリクエストも増え始めます。

「出産をやるのはちょっと…と思っていたんですが、釧路で助産院をやっている先輩にその話をしたら、『それを断るなら、あんた助産師じゃないよ』と言われて(笑)。しかも、お産用の使い捨ての道具が釧路から送られてきて…。もう、やるしかないって感じでした」

▼「笑顔で子どもを産み、育てる家族を応援させていただきます」と力強く話す髙室院長。子どもたちも髙室さんを信頼している様子でした。

助産院で赤ちゃんを取り上げることに決めた髙室さんは、まだ現役で活躍していた当時70代、80代の産婆さんたちのもとで病院とは違ったお産の現場を学ばせてもらうことにします。

「本当に皆さんすごくてね、妊婦さんの顔や様子を見ただけで、まだ赤ちゃんは生まれないねとか、夕方くらいだねとか、判断できちゃう。圧倒的な経験値からくるその判断って、言葉とかマニュアルだけでは伝えられないものがあって、私はなかなかそこまで到達できなかったんだけど、最近ようやっと妊婦さんの顔や雰囲気を見て、赤ちゃんが出てくるタイミングとかが分かるようになってきたの。不思議よね」

また、産婆さんからは出産のことはもちろん、助産師としての在り方も含め、いろいろなことを学んだと髙室さんは話します。

「1人目を生んだときに赤ちゃんのことは学問的に学んできていたけれど、やっぱり分からないことも多かったのね。学んだ通りにやっているのに、どうしてベッドに置くと泣くのかとか。それで、産婆さんに『おむつも変えているし、おっぱいもあげているのにどうして泣き止まないの?』って聞いたことがあって。そうしたら、『その赤ちゃんは誰の子?』と逆に言われて、ハッとしたの。頭で考えてばかりいないで、きちんと目の前の赤ちゃんを見なさい、あなたが母親でしょって気付かせてもらったのよね。それで、そのときに母親であることを気付かせてくれる存在が世の中には必要で、それが助産師なんじゃないかって思ったのよね」

札幌市と取り組む「産後ケア」をはじめ、助産師のサポートなどを実施

出産も行うようになり、忙しさにさらに拍車がかかります。昔から伝承されている出産や子育てにおいて大切な部分はしっかりと守りながら、時代の流れに合わせて自身がいいと思ったことはどんどん取り入れてきました。早い段階からベビーマッサージやマタニティヨガ、ママたちの交流の場つくりなどを行い、これらは今も続けています。コロナ禍を機に、ママたち向けのオンライン子育て塾も開催しています。

今でこそよく耳にする「産後ケア」という言葉。その必要性を10年近く札幌市に訴え続け、その甲斐もあり、2018年から助産師会として市と一緒に産後ケアにも取り組んでいます。「産婆さんのいた助産院では、昔から『産後養生』という言葉があって、産後のフォローもできていたんだけど、病院での出産が増えてから産後のことまでフォローされなくなってきたのよね」と話します。今年の10月からは、家から出かけるのが難しいママたちのために、アウトリーチ型(訪問型)の産後ケアも札幌市と共に行うことが決まったそう。

「本当に必要だと思うことは、声を出して言い続けることが大事。時間も労力もかかるけれど、それが未来に繋がっていくわけだから頑張らないとね。そしてね、1人の力は弱くても、一緒にスクラムを組んでくれる仲間がいると大きな力になって変化が起きるの」

髙室さんの周りには賛同してくれる助産師仲間をはじめ、サポートしてくれる人たちがたくさんいます。

助産師はママのサポーター。出産や子育てがしやすい社会へ

「この夏から開催しようと考えているのが、パパのための育児教室。パパも育休を取るように会社から推奨されて休みを取るものの、ただの休みになっている人が多くて、パパが家にいることで逆にママの負担が増えているケースも…。赤ちゃんと日常のお世話、遊び方や触れ合い方などを月齢別で伝えて、しっかり育児に関わってもらおうと考えています」

これはパパだけに限らず、ママも同じと言いますが、「最近はネットに頼りすぎている傾向があって、ネットの情報に振り回されている感じがします」と髙室さん。ネットに書いてあることがすべてだと思い、不安にかられ、疲弊した状態で助産院へ駆けこんでくるケースも増えているそう。「話を聞いていると、子どもをよく観察して想像力を働かせれば解決できるような場合が多い点が気になっています」と続けます。それらは核家族化と少子化が進んだことで、子育ての伝承が行われていないからとも指摘します。

「開業した30年前とは子育ての環境も考え方も随分変わりました。身近に子育てをしている先輩や子育ての参考モデルになる人がいないから、赤ちゃんはかわいいけれど、どう接していいか分からないというママも多い。泣いている赤ちゃんを見て抱っこもせずにオロオロしているママもいますよ」

だからこそ、すべてのママのサポーターとして助産師が必要なのだと髙室さんは言います。そして、助産院はただ赤ちゃんを生むだけの場所ではなく、ママが安心してしっかりと自分の足で立っていけるように、一人ひとりに寄り添い、話に耳を傾ける場所であるとも。

「私は、アドバイスや提案はするけれど、『こうしなさい』『ああしなさい』とは言いません。生み方も育て方も最終的に決めるのはママ。出産や育児に関してママが自己決定をする場所が助産院であり、それを見守り支えるのが助産師だと思っています」

▼沢山の命の誕生・赤ちゃんから輝く力を貰い、女性が健やかで安全な出産を迎え、健やかな育児を迎えられるよう、経験豊富な院長はじめ、助産師やスタッフが全面サポートします。

髙室さんやエ・ク・ボのスタッフに支えられ、出産を経験したママたちの中には、自分も人の役に立ちたいとやりたいことを見つけ、子育ての傍ら何かしらの活動を始める人が多いそう。エ・ク・ボの交流会に先輩ママとして参加し、妊婦さんや新米ママの相談役になってくれる人も。「こうやって女性が女性を支えるような社会になっていくと、もっと出産、子育てがしやすくなると思う」と話します。

「実際、母子のケアはまだまだ足りないのが現状。これからも自分ができることは声をあげてやっていこうと思っています。私の信条は、焦らず、慌てず、諦めず。決めたことはやり続けます。これからもママや女性たちを支えていきたいし、そして次の世代へきちんとバトンも渡したいと思います」

学生時代から、自分の損得で動くことなく、おかしいと思うことにはきちんと声を上げてきた髙室さん。話を伺っているだけで、こちらまでエネルギーをもらったような気がします。髙室さんのところへ人がたくさん集まってくるのも納得です。「ベタだけど、結局はすべて『愛』だと思う」と髙室さん。これからもパワフルに、たくさんのママや赤ちゃんを「愛」で包み込んでくれることでしょう。

髙室 典子さん

助産院エ・ク・ボ/院長

髙室 典子さん

北海道札幌市西区発寒6条10丁目10-3

TEL. 011-666-0814

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