札幌市西区の琴似神社のすぐそばにあった「札幌カリーぱお」。20年以上にわたり、たくさんのカレーファンを魅了してきた人気店でしたが、ビルの取り壊しのため2023年に惜しまれながら閉店しました。今では幻となったその「ぱお」の味が、最近登場したスパイスキットを手に入れると再現できるらしい…。という噂を聞きつけ、そのスパイスを作っている「とらのいスパイス」の代表・山口のどかさんのところへ取材に伺いました。
自宅でもプロ並みのスープカレーができる。これを「ぱお」のファンに届けたい
「札幌カリーぱお」は、1999年にオープンし、24年間、地域の人をはじめ、たくさんのカレーファンに愛されてきたお店。ランチタイムに行列ができるのは当たり前の超が付く人気店でした。(2018年に取材させていただいた姉妹サイト「くらしごと」の記事はコチラ)
今回取材させていただく「とらのいスパイス」の山口のどかさん、実は「ぱお」を立ち上げ、切り盛りしていた店主・山口栄子さんの娘。しかも高校1年から店でアルバイトをはじめ、高校卒業後は「ぱお」でカレー作りを行い、秘伝のレシピを伝授されている人物なのです。そんな山口さんが手がけるスパイスキットだから、「ぱお」の味が再現できるというのも納得です。

では、なぜこのスパイスキットを販売することになったのかを伺っていこうと思います。
「2023年に店を閉めたあと、私はWebマーケティングなどを行う会社にデザイナーとして入社しました。『ぱお』をきっちりキレイな形で終わらせたという感覚があったので、もう『ぱお』に関することはやらないと自分の中で線引きをしていました。とはいえ、高校生のころからずっと飲食の仕事をしていたので、何かしら飲食のことや『ぱお』のお客さんのことは気になってはいたんです」


そんなとき、D2C(Direct to Consumer)事業に関心を持っていた社内の方から、「ぱお」のレシピや商品をオンラインで実験的に販売してみないかと声をかけられます。
「正直、すごく迷いました。キレイに終わらせたものをまた引っ張り出すのはどうなんだろうと…。でも、引退したあと、家で家族のために食事を作ってくれている母がスープカレーを作ってくれたことがあったんです。『店で作っていたものと少し味は違うけど』と言うものの、家の普通のキッチンでこの味が出せるなんて!と驚き、うれしくて、おいしくて、食べながら泣いちゃったんです。そのとき、『ぱお』に通っていてくださっていたお客さんたちの顔が頭に浮かんで、この味を独り占めしてはいけないと思いました。それで、これをスパイスキットにして『ぱお』のファンだった方たちに届けられたらと思いました」

まずはクラウドファンディングに挑戦。あっという間に目標金額に達し、料理教室も開催
悩んだ末、オンラインショップを立ち上げることにした山口さん。まずはクラウドファンディングサイトのMakuakeでスープカレーのスパイスキットを寄付の返礼品として提供してみることにしました。お母さんにも協力してもらい、「ぱお」のレシピをもとに家庭でも「ぱお」の味を再現できるよう、何度もスパイスの調合を試したそう。
「いざクラウドファンディングをスタートさせたら、『ぱお』の常連客をはじめ、ファンだったという人たちが次々と寄付してくれて、あっという間に目標金額の3倍以上の金額に達したんです」

返礼品の中にはスープカレーのスパイスキットのほか、スープカレーの料理教室というものも用意。7月、8月、9月に1回ずつ開催しましたが、これにも懐かしい顔ぶれがたくさん参加してくれたそう。「もう、うれしくて感激して、私もお客さんも泣いちゃって」と山口さん。カレーを煮込んでいる時間には、それぞれが好みのブレンドスパイスを作るワークショップのほか、お母さんが「ぱお」と歩んだ半生を語る時間も設けました。参加した人たちからは、「すごくいい時間でした」という感想をたくさんもらったそうです。


スパイスキットを使って、プロの技と味を家庭でも気軽に取り入れてほしい
さて、クラウドファンディングサイトで「とらのいスパイス」という店名を掲げている山口さん。もちろんオンラインショップもその店名を使用します。気になるのはその由来ですが…。
「私が寅年というのがひとつ。そして、もうひとつは、『虎の威を借る狐』から『とらのい』を付けました。権力のある者の力に頼って威張ることを意味する故事ですけど、これをポジティブにとらえて、20年以上カレー屋をやってきたプロのスパイス使いを、キットを使って日常の家庭料理にうまく取り入れ、それを自分の自慢の料理にしてほしいという願いを込めています」

「ぱお」時代から、たくさんの人にスパイスをもっと身近に使ってほしいと思っていた山口さん。オンラインショップをはじめるにあたって、商品のコンセプトは「プロの技を家庭で簡単にやってみよう」と決めていたそう。その思いが店名に詰まっているというわけです。
「私は子どものころから、スパイスが身近にあったので当たり前のように日常的にスパイスを使っていました。でも、たくさんの人から使い方が分からないとか、買ったものの使い切れないという話を聞いて、正直驚いたんです。どこの家庭にも一味や七味があるように、いろいろなスパイスも同じようにどこの家庭にもあってほしいし、カレー以外でも気軽に取り入れてほしいと思っていました。だから、オンラインショップをやるからには、私がスパイス博士になって使い方やレシピもどんどん紹介したいと考えています」

そんな並々ならぬスパイスへの熱い思いが詰まった「とらのいスパイス」。クラウドファンディングが終わり、オンラインショップを開設するにあたって、山口さんは会社の事業としてではなく、自分自身ですべての責任を持ってやりたいと思い始めます。
「スパイスキットのベースは『ぱお』のレシピ。母が大切にしてきたものであり、私にとっても大切なものです。店を閉めるときにレシピを売ってほしいという話や、M&Aの話もあったのですが、母も私もレシピが人の手に渡って、変えられてしまうのは嫌だと思っていたので、すべて断っていたんです。母も私以外の人にレシピを託すつもりはないと考えていましたし…。でも、オンラインショップをやることになり、先駆けてクラウドファンディングをやった際、『ぱお』のファンの方たちからたくさん応援してもらい、『待っていたよ』と言ってもらいました。そのとき、この人たちを裏切ってはいけない、これはもう一生かけて続けていかなければならないと思ったんです。事業ベースで考えて、採算がとれないから『オンラインショップ、辞めることにしました』と言ってはいけないなと。それで、思い切って社長に相談して、自分の思いを伝えたところ、会社の事業とは切り離し、個人の事業として取り組むことを了承してもらいました」

顔が見え、物語が伝わるオンラインショップ。お客さんとの繋がりも増やしたい
8月に開業届けを出して、家族の力も借りながら、休みの日に商品を製造し、オンラインショップのサイトの準備などを行い、10月11日にサイトをオープンしました。商品の中には、スープカレーのスパイスキットだけでなく、「ぱお」で人気のあったルーカレーのキットやオリジナルブレンドのスパイス、チャイミックスも用意しました。
「スープカレーとルーカレーのキットは2回分入っています。まずレシピ通りに作り、2回目は自分の好みの味にチューニングできるようにと考えた構成です。自分の好みの味を見つけると、もっとスパイスを使うのが楽しくなると思うんです。それぞれの家庭の味みたいなのを見つけてもらえたらと思います」
大手の通販のモールが数ある中、当面、これらに参加する予定はなく、自社のオンラインショップでの販売に徹するそう。

「20年以上カレー屋をやっていた私だから語れることもあるし、できることもある。そして、販売するスパイスにもストーリーがある。それらをきちんと伝えたいし、知ってもらいたいと思っているので、モールに入ることでそれらを埋もれさせたくないんです。だから、ストーリーも含めて『とらのいスパイス』から直接スパイスを買っていただきたいと考えています」
「店」というものに関して、クラウドファンディングをやったことでオンラインショップも実店舗も根っこの部分は変わらないと分かったという山口さん。
「立ち退きをしなければならなくなったとき、当初は新しい場所に移って店を続けるつもりでした。地域に密着し、リアルな繋がりや交流を大事にしてきた店だったので、路面店にこだわって、1年くらい移転先の物件を探しました。でも、結局いい場所が見つかりませんでした。リアルな店舗とオンラインショップは違うと思っていましたが、クラウドファンディングをやってみて、オンライン上でも十分お客さんと繋がれると分かりましたし、むしろ、より密にお客さんたちと関係を築けるとも感じました」

次々と浮かぶスパイスのレシピ。オンラインでやりたいことはまだまだある!
オンラインショップで販売する商品には、スパイスを使ったアレンジレシピのカードを一緒に同封するそうですが、「スパイスのブレンドの中身、配合のレシピは私と母だけの秘密ですが、その使い方や料理のアレンジレシピはどんどん伝えたいと思っています」と山口さん。なんと、スパイスの料理のレシピは無限に湧いてくるそう! 今はひとつのブレンドスパイスに対して100個近くのレシピを用意したいと考えているとか。
さらに、オンラインショップがオープンしたら、購入してくれたお客さんたちとLINEで繋がり、スパイスの使い方のアドバイスも行うなど交流を深めたいと考えています。また、「カウンターのお客さん同士が会話するのを『ぱお』でたくさん見てきました。そんなふうに店を介して交流の輪が広がっていくのを見るのが好きだったんです」と山口さん。ゆくゆくはオンライン上でスパイスのコミュニティーを作り、スパイス好きな人、カレー好きな人たちが集い、交流できるようにしたいと構想しているそう。もちろん、料理教室やスパイスのワークショップも行いたいと考えています。

「クラウドファンディングをやったとき、『ぱお』のカレーがまた食べられるとは思わなかったとたくさんのお客さんから感謝されました。実店舗はないけれど、オンラインショップでその期待にきちんと応えていきたいと思います。もう2度と、大切なお客さんたちにさよならは言いたくないし、悲しませたくないと思っています」
「とらのいスパイス」の運営が楽しくて仕方ないという山口さん。多忙な日が続きますが、スパイスの話をしているときの顔はとっても幸せそうです。「ぱお」と「ぱお」のお客さんたち、そして、スパイスが心底好きなのもたっぷり伝わってきました。その熱量に触れ、早くキットを手に入れ、カレーを作ってみたくなりました。
