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映画の楽しさをもっと身近に。移動上映グループ「キノマド」

2025.7.28

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映画の移動上映を行う「キノマド」。映画好きの有志たちが、カフェやビルの屋上など、様々な場所で映画上映を行う自主上映グループです。その代表を務めるのが、田口亮さん。田口さんは、勤めていた会社をこの春に退職し、キノマドでの活動を本業にすることを決めました。映画に惹かれたきっかけや、なぜ個人事業主になったのかなど。田口さんの今までとこれからを伺いました。

ミニシアターとの出合いが映画と関わる原点に

田口さんは、北海道・苫小牧の出身です。20歳で地元の高等専門学校を卒業し、室蘭の大学に編入。22歳で卒業した後は、関東にある医薬品や化粧品のメーカーに就職し、品質保証や管理の仕事に就きました。映画に強く惹かれるようになったのは、東京での勤務時代だったといいます。

こちらが、自主上映グループ「キノマド」を立ち上げた田口亮さん

「東京って、本当にいろんな映画が観られるんです。年間で1,000本以上公開されていて、これまで自分が観ていた映画はほんの一部だったと知りました。特に、いわゆるミニシアターと呼ばれる映画館では、シネコンやテレビでは扱わないような映画が上映されていて、娯楽性だけでなく、アートやカルチャー色の強い作品もたくさんあるんです。それがすごく面白くて、毎週土日はミニシアターに通っていました。多いときには1日に3カ所ぐらいハシゴをしたこともあります」

そんな生活を続ける中でも、「いずれは北海道に戻りたい」という思いをずっと持ち続けていた田口さん。「戻るなら20代のうちがいい」という周りの言葉にも背中を押され、5年間勤務した会社を辞め、27歳でUターンを決意します。そして、小樽にある医薬品メーカーに転職し、再び北海道での暮らしが始まりました。

「仕事はすぐに見つかったのですが、北海道に戻ったらこれまでのように映画を観ることはできなくなると思いました。ところが、札幌に『シアターキノ』というミニシアターがあることを知って。観たいと思っていた作品がちゃんと上映されていたんです。当時は、映画講座という企画もあって、監督の話を聞いたり、その後に打ち上げがあったり。映画の上映方法を学べるワークショップもあって、すごく楽しかったですね」

田口さんは、地方のミニシアターならではの魅力に惹かれ、シアターキノのボランティアスタッフとして映画に関わるように。やがて、ボランティア活動を続けるうちに、ミニシアターで働きたいという思いが募り、全国の求人を探し始めるようになりました。

「そのとき募集が出ていたのは、沖縄と岡山だけでした。沖縄はアルバイトでしたが、岡山は正社員としての募集だったので、そちらに応募して転職することにしたんです」

岡山のミニシアターでは映写や受付など、映画館の業務全般を担当しました。しかし、ミニシアターの経営はどこも厳しく、たとえ毎日満席になったとしても、売上には限界があります。田口さんの収入は、以前の半分ほどに減ってしまったそう。ただ、田口さんが悩んだのは、給与面だけではありませんでした。

もう一度北海道へ。そこで芽生えた新たな想い

念願のミニシアターに転職できたものの、田口さんの心は晴れやかではなく…

「僕が憧れていたのは、シアターキノのように、地域や人とのつながりを大切にする映画館でした。でも岡山のオーナーは、良い映画を良い環境で観せたいという気持ちは強かったものの、地域との関わりにあまり関心がなかったんです。僕個人は岡山映画祭を手伝っていたんですが、そこにも関与していなくて。ちょっと自分の思い描いていたミニシアター像とは違っていました」

そんな折り、広島の尾道市で映画館を立ち上げるという話が持ち上がります。かつては「映画の街」として知られながら、すべての劇場が閉館してしまった尾道に、再び映画館を作ろうという活動です。田口さんもその活動に心を動かされ、参加を決意しました。ところが、そのタイミングで火事が起きて機材が焼けてしまい、オープンが延期になってしまいます。

「当時、すでに岡山の映画館には退職すると伝えていたので、どうしようかと思いました。きっと僕が憧れてきた映画人たちなら、バイトをしながらでも尾道で頑張ったかもしれません。でも僕にはそれができなかった。だから、もう一度北海道に戻ることにしました。あのときが一番しんどかったですね」

再び北海道にUターンし、以前と同じように医薬品や健康食品関連の業界で働きながら、シアターキノのボランティアスタッフを再開した田口さん。心の中では、「映画を上映したい」という思いがますます強くなっていきました。

「会社には映画好きな人が全然いなくて、誰とも映画の話ができなかったんです。でも、そういう人って世の中にたくさんいるんじゃないかと思ったんですよね。ミニシアターに行く人も少ないだろうし。だから、上映会をやって、少しでも多くの人に映画を好きになってもらいたいと思ったんです」

そんなときに出合ったのが、全国を移動しながら上映する移動映画でした。

「ホールで上映すると、その作品を観たい人しか来ないんです。でもカフェや屋上で上映すると映画が目当てじゃない人も来てくれて、観たことのない作品の面白さを知ってもらえる。しかも無料で。かっこいいことをやっているなと思いました」

有名な映画だけが面白いとは限らない。無名の作品にも、本当にいい映画がたくさんあることを多くの人に知ってもらいたい。田口さんの心の中で、そんな気持ちがますます高まっていきました。

仲間と始めた自主上映会が、独立への一歩に

「多くの人に映画の魅力を知ってほしい」そう考えた田口さんは、友人に声をかけ、非営利の任意団体として自主上映会の活動を始めます。ただ、上映にはさまざまな経費がかかり、それらは自分たちで負担しなければなりません。映画館でさえ収益を出すのが難しいことを知っていた田口さんは、低予算での実施方法を模索しました。

「設備の整っている場所を借りると、やっぱりそれなりのお金がかかるんです。でも、設備のないスペースだったら安く借りられる。移動上映なら僕たちでもできるかもと思ったんです。そこで、安いプロジェクターを買ったりと、まずは上映に必要な機材を一式そろえるところから始めました」

札幌時計台ホールでの上映会。
歴史ある建築物の中で観る映画は、観る前からワクワク感も増幅。

田口さんが、最初の上映会会場として選んだのは、札幌市時計台の2階にあるホール。ここから、自主上映グループ「キノマド」の活動がスタートします。

それからはビルの屋上やオフィス街など、様々な場所で自主上映を実施。会社員と非営利任意団体の活動を順調に両立していた田口さんでしたが、勤務先の事業所が閉鎖され、関東への異動か退職かの選択を迫られました。

田口さんが選んだのは退職。そして、個人事業主としての開業でした。

「新しい職場に転職したら、今までのような自由は利かなくなるかなと思ったんです。ちょうどその頃、企業から『うちで上映会やってくれませんか?』という委託上映の相談が少しずつ増え始めていて、周りの人に相談しているうちに、もしかしたらこれで食べていけるかもしれないと思うようになって。そのまま開業届を出しました。言ってみれば、開業は成り行きでした(笑)」

自主上映会をやっていた頃から、会場や上映作品はすべて田口さんが考えていたといいます。企業からの委託上映を受けるようになってからも、「何を目的にしているのか」「どこで上映するのか」を考えながら作品を選んでいるそうです。

「映画って、地域の活性化や施設や建物のPRなど、実はいろいろなことができるんです。例えば、ジェンダーというテーマが決まっている場合は、意図が伝わる作品を選ぶことで、啓発活動といった依頼者の目的も果たせます」

そうした映画の可能性を、もっと広めていきたいと語る田口さん。それは、キノマドとして一緒に活動しているメンバーと共にという意味も含まれていると言います。

キノマドメンバーが手がける上映告知リーフレット。

「キノマドに、あんまりカッチリしたルールはないんです。みんな本業の合間に、デザインや宣伝など、できることを手伝ってくれているんですよね。普段は5~6人ですが、人手が足りないときは10人ぐらい集まることもあります」

映画に込められた思いを、観る人に届けたい

田口さんは、自主上映会も個人事業主として手がける委託上映会も、引き続き「キノマド」の名前で続けていくと言います。

特に、活動が11年目を迎える自主上映会では、これまで長く続けてきて思い入れのある上映会も多いと言い、そのひとつに「世界中の映画を紹介する上映会」があります。

世界の映画を料理とともに紹介する「映画とごはんの世界旅行」。2025年7月で第13回目の上映を迎えます。

「日本のシネコンで上映されるのは、主に国内とハリウッドの作品ですが、実はもっといろいろな国の映画があるということを知ってもらいたくて企画しているイベントです。これまで、タイ・フィンランド・インドネシア・スウェーデン・ブラジルなど、さまざまな国の映画を上映しました。映画だけ観るより、料理と一緒になっている方が来やすくなるのではないかと思い、その国の料理で作った弁当もセットにしたチケットを販売しています」

こうした『映画と料理のコラボ』は、ホテルのレストランから依頼されて企画することもあるそう。テーマに合わせた映画を上映し、作品にちなんだ料理を楽しんでもらうという内容です。

「例えば、映画にルバーブというという野菜が出てきたら、それを料理に使ってもらうみたいな。最初は、『映画の内容をメニューに?』とシェフたちも戸惑っていたようです。でも担当者の努力のおかげで、回を重ねるごとに満席が続き、この企画の意味や価値が社内にも伝わったみたいで。今では、毎回この日のためだけのメニューを作ってもらっています。僕は映画の良さを伝えることができるし、依頼してくれた方は映画を通じてイベントの目的を達成できる。これからも、お互いにとって良い形になる企画を続けていきたいですね」

実際の上映会の様子

また、田口さんはこんなアイデアも話してくれました。

「ホラーが苦手な人でも楽しめるホラー映画上映会なんていうのもやってみたいですね。ホラー映画にありがちな、来るぞ来るぞと思っていたらやっぱり来た、みたいな流れは、お笑いと近いんですよ。慣れてくると意外に楽しめる。野外でみんなと話しながら観られるような上映会を開いて、もっと気軽に楽しんでもらいたいですね」

さらに「映画は、その年に公開された作品を映画館で観ることが大事」だと、田口さんは語ります。

「娯楽作品の中にも、作り手は無意識のうちに社会の空気や世界で起きていることを込めています。だから、ジャンルや国を問わず100本くらいの作品を観ると、その1年がどんな年だったのか、なんとなく見えてくる。そうした作品を数多くインプットしておくことが、上映作品のラインナップを考える上で生きてくるんです」

以前は、フルタイムの仕事と自主上映の両立で忙しく、年間30〜40本程度しか観られなかったと話す田口さん。今では時間に余裕ができ、映画館に足を運べる回数も増えてきたといいます。

「今年は、年間100本もいけるんじゃないかと楽しみにしています」

失敗しても大丈夫。やりたいことがあるなら挑戦してみて

キノマドの活動を通して、田口さんが一番やりがいを感じるのは、観客が楽しんでいる様子を見たときだといいます。

アカプラの野外で行われた上映会。写真からも素敵な雰囲気が流れているのが伝わってきます。

「お客さんが映画に集中している横顔を見るのが、すごく好きなんです。上映後の空気から、満足してもらえたことが伝わってくると、本当にうれしいですね」

一方で、活動を始めた当初は苦労も多かったと語ります。中でも大変だったのが、上映に必要な権利の取得でした。当時は、個人や小規模団体と取引してくれる配給会社が少なく、窓口自体がないケースも珍しくなかったといいます。

「35mmのフィルムを映写機で上映していた時代はもちろん、プロジェクターで手軽に映せるようになってからも、個人との取引に応じてくれる会社は多くありませんでした。最近はだいぶハードルは下がりましたが、それでも最終的には、担当者がどれだけこちらの活動に共感してくれるかによって変わってきます」

田口さんに、今後やってみたいことを尋ねてみると、「無料の野外上映を定着させていきたい」と話してくれました。

「上の世代の人に聞くと、昔は公園などでよく映画をやっていたそうなんです。今年の夏、苫小牧の方で開催する予定ですが、札幌にはまだ少ないので、地域活性や街おこしの意味も込めてもっと広げていきたいですね」

活動の拠点に札幌を選んでいる理由についても、田口さんならではの思いが込められていました。

「札幌の規模感が、自分にとってちょうどいいんです。東京だと人が多すぎて、何かを始めようとしても埋もれてしまいがち。でも札幌ならチャンスがある気がします。人との距離も近いから、つながりやすいですし。近くに助けてもらえる人がいるのは、すごく大きいことだと思います」

最後に、これから何かを始めたいと考えている若者に向けて、こんなメッセージをくれました。

「やりたいことがあるなら、無理に頑張ろうとしなくてもいいと思います。そのうちきっと、やらずにはいられなくなるときが来るから。やってみてうまくいかなくても、やり方を変えればいいだけ。大丈夫ですよ。僕も映画館で働く夢は叶いませんでしたが、今もこうして、形を変えながら映画に関わり続けています。今は、働き方も生き方も多様な時代ですから、やりたいことがあるなら、ぜひチャレンジしてみてください」

東京でミニシアターに出合ってから、映画の楽しさにのめり込んでいった田口さん。お話を伺いながら、田口さんのこれまでの歩みそのものが、まるで1本の映画のように感じられました。さまざまな場所で上映を重ね、多くの人に映画の魅力を届けてきた田口さんが、これからも世界中の作品を紹介し続けてくれることを楽しみにしています。

田口さんが立つ場所は、野外上映会が行われる予定地。そして、田口さんが見つめる空間には、8月頭にスクリーンが広げられます。(「創成イーストシネマ2025」)
頭の中でどんな上映会のイメージが広がっているのでしょうか。その光景を見られる日が楽しみです。
田口 亮さん

キノマド

田口 亮さん

キャラクター