札幌市西区にあるフォトスタジオ「photo studio NORTH(ノース)」のフォトグラファー濱田恭輔さん。祖父・父がカメラマン、実家は小樽にあるフォトスタジオ「PHOTO’S(フォトス)」という写真撮影に縁のある家に生まれました。しかし、最初に就職したのは料理の世界。紆余曲折を経て、フォトグラファーになりました。カメラマンではなくフォトグラファーという肩書を持つ意味も含め、濱田さんの今までとこれからを伺いました。
大切な人の笑顔が、最初の夢の始まり
現在、濱田さんが父と一緒に経営している小樽のフォトスタジオ「PHOTO’S(フォトス)」は、もともと父方の祖父が始めた写真館でした。

「祖父は兄と僕が生まれる前に亡くなっていたので、写真の中でしか見たことがないんです。でも、祖父が会社員を辞めて、カメラマンに転業したということは聞いていました。父は、祖父が亡くなった後、写真学校を中退して半ば強制的に実家の写真館を継ぐことになり、以来、祖母と一緒に写真館を切り盛りしてきました」
そんな父の背中を見て育った濱田さんは、小学校4年生になった時にはもう「将来の夢」について、現実的に考えるようになっていたといいます。
「将来何になりたいのか聞かれると、僕は、いつもバスケットボール選手になりたいと答えていました。でも、母からバスケットボールだけで食べていくのは難しいと言われてしまい、憧れだけじゃダメなんだと思ったんです」
そして、小4の夏休みに母親のために作ったチャーハンがきっかけで、濱田さんは将来の夢を見つけます。
「ただ、米と醤油で作っただけなのに、母がものすごく喜んでくれて。僕もすごくうれしくて、料理を仕事にしようと思いました」

とはいえ、中学・高校に進学すると、まわりの友人たちの影響もあり、進路に迷いが生まれます。料理人になりたいと伝えると、先生からは、大学に行ってもっと安定した仕事に就くようアドバイスされることもありました。濱田さん自身も、「大人が言う安定した仕事って何?」という葛藤を常に抱えていたと話します。
「そんなときにいつも思い出していたのが、チャーハンを作ったときに喜んでくれた母の顔でした。大切な人が喜んでくれる。それが僕にとって仕事をする上でも重要で、今でも大切にしていることのひとつです」
市内の高校を卒業後、濱田さんは念願だった東京の調理師専門学校へ進学します。専門学校では1年間、イタリアンとフレンチを学び、卒業後は都内のトラットリア(イタリアンが楽しめる大衆向けのカジュアルなレストランのこと)に就職。自分に気合を入れるため、頭を坊主にして修行に励みました。しかし、待っていたのは想像以上に厳しい現場だったといいます。


「先輩がすごく厳しくて、理不尽に感じることもありました。それでも、これが当たり前なんだと自分に言い聞かせながら続けていました。でも、だんだん、その厳しさに疑問を持つようになって。このままでは、いずれ自分も後輩ができたときに同じことをしてしまう。それだけは嫌だと思いました。だから、店を辞めることにしたんです」
楽しそうな父の背中を見て、写真の世界へ
20歳で東京のレストランを辞め、実家の小樽に戻ろうかと考えている時に、ふと目にしたのは、輝く父親の姿でした。
「父は若手写真館経営者団体の『PGC(パイオニア・グリーン・サークル)』の役員をしていて、全国を飛び回っていました。それが本当に楽しそうで。こっちは毎日東京で必死になっているのにって…正直ちょっとイラッとしたくらいです(笑)」
小樽に戻った濱田さんは、父に誘われ、全国のカメラマンが北海道に集まるスノーボードツアーに参加。そこで、初めてさまざまなカメラマンの話を聞く機会がありました。この経験をきっかけに、濱田さんは実家で父の仕事を手伝うようになります。
しかし、最初の1年はただ言われたことをこなしているだけで、仕事を楽しいと感じたことがなかったといいます。そんな濱田さんにとって転機となったのが、キッズ撮影で有名な新潟のフォトハウス「VeryVery(ベリーベリー)」のカメラマン内山さんとの出会いでした。
「PGCの勉強会の講師として来ていた内山さんが、僕の顔を見るなり『うちに来いよ』と言ってくれたんです。思わぬ誘いに、僕も『はい』と答えていました」
こうして、新潟で3カ月の修行生活を送ることになった濱田さんですが、スタート早々、内山さんの弟(チーフ)からカフェに呼び出され、意外なことを問いかけられます。

「チーフに『何をするために来たの?』って聞かれたんです。自分でも『あれ?俺、どうして来たんだろうと』と何も答えられなかったんですよね。ハンマーで頭を殴られたような気持ちでした」
さらに、翌日初めてスタジオに入ると、スタッフもお客さまもキラキラしており、スタジオ中に笑い声が響いていました。
「実家とは全然違ったんです。うちはいわゆる町の写真館で、外撮影の仕事から帰ると祖母が店先でコーヒーを飲んでいるのが日常風景だったんですよね」
このままでは、ダメだと考えた濱田さん。そこから一念発起し、3カ月の修行中に撮影技術はもちろん、インテリアコーディネートやDIYなども学び、どうすれば自分の店を変えられるか模索していました。しかし、そんな濱田さんに、師匠の内山さんはある言葉を伝えます。
「『憧れてばかりじゃなくて、自分の足元をちゃんと見て、今のフェーズに合ったものを選びなさい』と言ってくれたんです」
師匠のこの言葉をきっかけに、今の自分の店でどうお客さまを迎えるべきかを考えるようになった濱田さん。ここから本当の意味でのスタートが始まります。
自分のスタジオを持つことを、応援してくれた父


PHOTO’Sのイノベーションに力を入れていこうと決めた濱田さんですが、同時に写真館の3代目として複雑な気持ちを抱えていたといいます。
「ほかの2代目・3代目に比べて、自分はスタート地点から不利だと感じていました。周りがうらやましかったんですよね。みんな、親の代からある程度の基盤があって、毎日忙しくしている。新潟の師匠の店も毎日満席だったのに、自分の実家に帰ったらいつも暇。何で自分だけと思うと悔しかったんですよね」
しかし、その悔しさが濱田さんの心に火を付けました。お金はなくても時間はある。できることは何でもやろうと、まず木材を買い、背景紙1枚しかなかったスタジオをDIYで改装。さらに、チラシ配りや格安キャンペーンなど、集客にも力を注ぎます。だけど、現実は厳しく、思うようにお客さまは増えませんでした。
ところが、2018年。ついに転機が訪れます。PGC主催の「写真スタジオアワード」で、日本一を受賞したのです。徐々に客足も伸び始め、その後、スタジオPHOTO’Sはリニューアルオープン。この頃から濱田さんの中で、ある思いが強くなっていきました。

「どれだけ頑張っても、小樽のPHOTO’Sは父・濱田剛が作った店。結局、自分も親の店を継いだだけじゃないかと。自分の城を築かなきゃダメだと思うようになったんです。でも、親子で写真館をやっていると、だいたい父親が息子のやりたいことに反対するパターンが多いんです。うちの父は真逆でした。『やってみろ。最後は俺が責任を持つ』って言ってくれて。あの父じゃなかったら、今の僕はありません。めちゃくちゃかっこいいし、すごく感謝しています」
自分でスタジオを持つと決めた濱田さんは、「photo studio NORTH(ノース)」(以下NORTHと表記)という店名で、まずロケーション撮影専門のフリーカメラマンとして活動を始めました。
「スタジオを作るにはお金がかかるし、お客さまがゼロの状態から始めるのも怖かったんです。僕の場合は、フリーといっても、PHOTO’Sのスタジオがあったので、衣装やヘアメイクも含めた撮影ができました。おかげで、ほかのフリーランスの方たちとの差別化ができたのは大きかったと思います。七五三などの節目にはNORTHで撮りたいと選んでもらえるようになりました」

こうして少しずつ土台を築きながら、濱田さんはNORTHのスタジオオープンへと動き出します。
写真の本質に気づけたのは、2度目の修行で
濱田さんが今の場所にNORTHをオープンするまでには、もう一人の大きな存在がありました。名古屋の写真スタジオ「Studio Harvest(スタジオ ハーベスト)」の古川さんです。
「古川さんが撮った七五三の写真を初めて見たとき、すごく感動してしまって。実際にお会いしたこともないのに、いつか自分の結婚式の写真を撮ってもらいたいと思うくらい憧れていました」

そんな憧れの古川さんと出会ったのは、PGC主催のセミナーでした。名古屋のスタジオを訪ねるなど、交流を深めていき、「修行に来てもいいよ」と声をかけてもらいます。
ただ、当時濱田さんはすでに結婚し、奥さまは臨月。濱田さんは迷いましたが、「このままだと後悔するよ」という奥さまの言葉に背中を押され、修行をすることに決めました。
ところが、古川さんの元でさまざまな撮影の修行をする中、一緒に撮影をしていた年下のスタッフから思わぬひと言をかけられます。

「その時、ウエディングの撮影をしていたんです。その写真を見た時に『濱田さんのウエディング写真って、お客さまにはあまり喜ばれないですよね』と、スタッフの子に言われたんです。例えば、高砂の花(新郎新婦の座るメインテーブル席を飾る花)を撮るだけでも、それなりに雰囲気のある写真になる。でも、新郎新婦が本当に残したいのは、2人の想いが詰まった瞬間の写真だと。悔しかったけれど、心のどこかで確かにそうだと納得している自分がいて…仕事終わりに、自然に涙がでてきましたね」
そんなショッキングな出来事があったあとに、師匠の古川さんは濱田さんに写真を撮る理由を考えさせてくれたといいます。
「『なぜお客さまがこのスタジオを選んだのか。なぜ自分はここでシャッターを切っているのか。それを考えてみると良い』と、僕が撮影する意味を考えるきっかけをくれたんです。僕が写真を撮るのは、お客さまと気持ちを共有したいから。例えば、お子さんが着ている服ひとつにも、『かわいい』」と思って選んだ親御さんの気持ちが込められています。その想いごと、写真に残したいから撮影しているんだと気づくことができました」
NORTHができたのは、師匠・古川さんのおかげだと語る濱田さん。技術以上に「写真の本質」を教えてもらったといいます。
今は、スマホを使って誰もが写真を撮れる時代。だからこそ、どこで・誰に撮ってもらいたいかが大事だと濱田さんは語ります。そして、その思いを体現したのが、2024年4月に誕生した、フォトスタジオのNORTHでした。


「七五三の衣装に着替えたお子さんが親御さんと対面するファーストミートを撮影したかったんです。ほんの一瞬ですが、家族にとっては特別な時間。そんな瞬間が撮れるスタジオにしたかった。そこに気づかせてくれたのが古川さんです」
NORTHは自然光が差し込む明るいスタジオです。もともとは保育園だった場所で、子どもたちの笑い声が響いていた空間でした。そこに、もう一度子どもたちの声を響かせたい。そんな願いが、今ここで形になっています。「NORTH」という名前に込めた思いについて、濱田さんはこう語ってくれました。
「北海道でナンバーワンのスタジオになるという想いを込めました。あと実家のPHOTO’Sと並べても語感が良くないですか?」
そう笑う濱田さんは、名古屋で悔しくて涙したあの頃とは全く違う、自信に満ち溢れた表情をしていました。
家族の思い出と一緒に残る写真を撮りたい
濱田さんの肩書は「フォトグラファー」。カメラマンでも通じるこの仕事の名前に「フォトグラファー」と名乗るのには意味があるのでしょうか。

「僕の中で、ですが、写真家は自分の好きなものを撮る人。カメラマンは求められているものを撮る人。フォトグラファーはその中間で、お客さまの要望に応えながら、自分の想いも乗せられる人だと思っています。なので、フォトグラファーを肩書にしようと決めました」
オープンから1年経ち、リピーターのお客さまが最近増えてきたそうです。それはありがたいことではあるものの、同時に不安もあるといいます。
「常にお客さまの期待を超えなければならないという思いがあります。しかも、長く続けるほど、前の撮影を超えてくれるはずという期待がどんどん大きくなっていく。そこをどう乗り越えていくかが、これからの課題だと思っています」

撮影件数が増えるほど、同じくフォトグラファーを目指す人からの視線も自然と濱田さんに向いてきます。実際にSNSを通じて、濱田さんへ撮影についての質問がくることもあると教えてくれました。弟子を取る予定はあるのでしょうか。
「弟子というと堅苦しいですが(笑)、若い頃の僕のように何かやりたいけれどどうしていいか分からない人のために何かやりたいですね。僕はお二人の師匠に巡り会えたので、今度は僕がそれを返す番だと思っています」
この記事を読んでいるフォトグラファーを目指す人には、こんなアドバイスも。
「自分がいいと思ったものを信じてほしいですね。迷ったり、悩んだり、くじけたりすることもあるけれど、自分が信じた『これが好き』という気持ちは持ち続けていてほしいです。いつかその意味が分かる日が来ると思うから」
今後の展望も聞いてみると…

「お客さまが喜ぶ姿を見るたびに、NORTHのような想いを大切にする写真を撮ってほしい人はもっといるんじゃないかと感じているんです。どの人が来ても同じような写真を撮るのではなく、その人の気持ちに寄り添って、大切な瞬間を切り取る。僕自身もずっとそんなフォトグラファーであり続けたいですし、そういうスタジオをもっと増やしていきたいという気持ちがあります」
濱田さんはさらに「道外やインバウンド向けの撮影にも力を入れていきたい」と話します。
「東京でのロケーション撮影も少しずつ始めていきたいですね。実は、NORTHのお客さまには東京在住の方も多くて、札幌に帰省するタイミングで撮影しに来てくれるんです。海外から来られる方も多いので、白無垢や色打ち掛けを着てウエディング写真を残せるようなサービスも展開していけたらと思っています」
濱田さんにとって東京は、料理人を目指して失敗やつらい経験をした場所でもあります。だけど、濱田さんは「失敗は次への挑戦の切符でしかない」と話します。

「僕の中で失敗は、ゲームのRPGのようにレベルを上げていく過程のひとつ。負けたらそれをどう次に生かすかが大事だと思っています。僕も料理人時代はしんどかったですが、あの経験があったからこそ、今があると思っています」
濱田さんは最後に、こんな夢も語ってくれました。
「山にスタジオを作りたいんです。ネットにも地図にも載っていない、山の中にある写真館。どこにあるのか分からないけど、たどり着いたら写真が撮れる。それで撮影後に、小学生の時に母が美味しいって言ったチャーハンを僕が振る舞いたいんです。その姿も撮影して、『あのとき、山に登ってみんなでチャーハン食べたよね』っていう思い出が、写真と一緒に一生残る。そんな夢、最高じゃないですか」
インタビューを通し、濱田さんの写真に対する思いがひしひしと伝わってきました。自分の「好き」を信じて、誰かの喜びに変えていく。お話を聞いているうちに、写真というものは、誰かの大切な時間を切り取ったものなのだとあらためて感じました。いつか山のスタジオで、濱田さんがつくるチャーハンを味わってみたいです。
