株式会社徳尾商事に勤める島崎佳奈さん。こちらの会社は札幌市厚別区にあり、食品製造をサポートする機械製造と販売メーカー兼ドイツ製業務用洗浄機の販売代理店です。しかし、島崎さんは「mokumoku(もくもく)」という、燻製ナッツの製造と販売を徳尾商事で始めました。なぜ機械製造販売メーカーで、食品販売を始めたのか?そこには、前向きで活力あふれる島崎さんらしい物語がありました。
島崎さんの家族をおそった最大のピンチ。
札幌市厚別区で3兄弟の2番目として生まれた島崎さん。4つ上の兄と3つ下の弟と、時にはケンカをしつつも仲良く遊ぶ元気な女の子でした。ところが、島崎さんが中学生の頃に、家族に大きな衝撃が走ります。
「父が勤めていた会社が倒産してしまったんです。当時のことでよく覚えているのは、家のお金に余裕がなくて中学校の部活動道具が入部してしばらく、母のお下がりだったんですよね。まわりはピカピカの真新しい道具を使っていたので、羨ましくて…。でも、両親が苦労しているのを間近で見ていたので、ワガママは言えなかったです」
13歳という多感な時期に起き、その現実を受け止めるのは大変だったことは容易に想像ができます。しかし、ピンチの中でも島崎さんの家族は団結し、決して悲観的になることはなかったそうです。
「父も母も常に前向きで、私たちを育てるために一生懸命頑張ってくれているのが、伝わってきました。特に父は一番必死だったんじゃないかな。弱音も吐かずに、家族を引っ張ってくれた父の背中は、今でも鮮明に覚えています」
家族で困難を乗り越え、島崎さんは高校生になります。充実した高校生活を過ごした後、島崎さんは歯科衛生士の専門学校へ進学します。
「私、子どものころ、歯並びが悪かったんですよ。それがすごくコンプレックスだったんです。でも歯の矯正を終えてから『笑うことがこんなに楽しいんだ!』と価値観がガラリと変わって。矯正時に通っていた歯医者さんの器具を見るのも楽しく、私も歯科衛生士になりたいと思ったのが進学のきっかけでした」
理想と現実に揺れる20代。
卒業後は、21歳で歯科医院に就職し6年勤めます。この歯科医院の院長は、その後、島崎さんが仕事を続けていく上で大事なことを教えてくれたそうです。
「本当に患者さんのことを、第一に考える院長だったんですよね。自分の医院で処置が難しい方や、患者さんにとって大変になるような場合は違う歯科医院に紹介状を書くことも全くいとわない方で…。院長の処置後は、笑顔になる患者さんが多かった事が印象的でしたね。人に寄り添うことの大切さを感じることが多かったです」
居心地の良い職場だったと教えてくれた島崎さん。「尊敬できる院長もいて、退職の理由が見つからないのですが…」と聞くと。
「そうですよね(笑)純粋に他の歯科医院を見てみたいと思ったんです。最先端技術や設備などに興味が出てきたのも大きかったかもしれません。ただ転職した新しい環境は、自分がなりたい歯科衛生士像と少しズレていると感じることもあって…」
転職先は最新技術や設備を学べ、歯科衛生士としてキャリアを積むためには良い環境でした。しかし、患者とコミュニケーションを取る機会が少ないことが難点だったそう。そこで自分が一番大事にしていることが、患者に寄り添うことや人とのつながりだと気づきます。
「自分の中の違和感がわかったので、退職しました。次の職場も決めずに辞めたので『どうしようかな』と思っていた時に、知り合いから『次が決まるまで、うちの歯科医院を手伝ってほしい』と連絡をもらい、一緒に働かせてもらえることになりました」
この間に恋人との結婚も決まり、島崎さんは30歳を迎えます。このタイミングで、彼女に意外な人から声がかかります。
「兄が起業した会社が軌道にのり『一緒に働かない?』と、誘われたんです。声をかけてくれたのは嬉しかったですが、兄の会社で働くのは悩みました。歯科衛生士の仕事を辞めたいわけじゃないし。家族は好きだけど、仕事となると別かもしれないとも考えてしまって。でも、父も少しですが、兄の会社を手伝っていたので『父や兄と働けるって、他の人は経験できないすごいことなのかも…』と、徐々に気持ちが前向きになっていきました」
特に「父親と働く」というのは、島崎さんの旦那さまからも後押しされたそう。なぜなら、島崎さんの旦那さまは父親をすでに亡くしており、それがもう叶わないことだったからです。
「夫のお義父さんも商売をしていたので、夫は私の父に自分の父親を少し重ねていたのかもしれません。『お父さんが元気なうちに一緒に働いて、後悔することはないと思う』と猛プッシュしてくれました」
旦那さまからも背中を押されて島崎さんは31歳の時に、兄が経営する株式会社徳尾商事に入社します。
31歳、異業種へ転職!
徳尾商事は、水を使用しないで根菜類の皮をむく機械と食品加工の際に野菜の端を自動でカットできる機械などを製造販売しています。ドイツ製業務用洗浄機の販売代理店も兼ねており、食品加工する工場や製菓・製パン工場などが主な取引先です。
島崎さんにとっては、兄が経営する会社というだけで、異業種への転職になります。
「入社時は、本当に何も仕事が出来ませんでした。歯科衛生士の知識はあるけど、取扱いある機械についての知識はない。『私、なにができるんだろう』と思っていましたね」
しかし、島崎さんは持ち前の明るさを活かし、営業を担当することに。習うより慣れろの精神で、仕事に邁進します。
「兄や父のカバン持ちのようなポジションで、どこの現場にもくっついて周りました。関東や九州で行われる機械の展示会のときも同行して経験を積み、早く一人前になりたいと思っていましたね」
そんなある日、島崎さんは胆振にある知り合いの会社から相談を受けます。
「燻製した食品を販売する会社だったのですが、『自分たちで機械の営業に行くことができていない』という話だったんです。『島崎さん全国を飛び回ってるから、よければ商品の良い販売先があれば教えてほしい』と言われたんです。実際に燻製された商品を食べたら美味しいし、『私でよければ!』とお引き受けしました」
燻製食品の製造会社は、すでに札幌の小売店などに販売ルートを持っていました。そこで、島崎さんは「違う販売ルートが良いのでは」と考え、燻製食品のサンプルを営業先の工場などに配ります。
「お話を頂いてから、新商品としてスモークナッツを作り、配り歩いたんです。『美味しい!』と好意的な反応が多くて、この燻製する機械を導入したいという声もありました。実際に機械が売れたと聞いたときは嬉しさ半分、寂しさ半分でしたね(笑)『商品の良さをこれだけ知ってもらえたら、もう私の力は必要ないかな』と感じたんです」
商品を作るために始まった挑戦。
5年間一緒に行動を共にした燻製食品のナッツと、別れを告げることにした島崎さん。心の中で「自分でもオリジナルでナッツの商品をつくってみたい」と思うまでには、時間はかかりませんでした。
「私の気持ちだけで動くわけにはいかなかったので、まずは徳尾商事での食品販売をどう思うかを父と兄に相談しました。ふたりとも今までの頑張りを見てくれていたので『いいと思うよ、がんばって!』と快く応援してくれて嬉しかったですね」
それからの島崎さんの行動は早かったそうです。食品衛生責任者の資格を取得し、商品アイディアやパッケージデザインなどの打ち合わせで慌ただしい日々が続きました。
しかし、徳尾商事の今までの業種と違い、賞味期限がある食品在庫を抱えることになる不安はなかったのでしょうか。
「最初から大量生産販売は考えていなかったので、不安はなかったですよ。自分が出来る範囲で、コツコツと販売したいという想いが強かったです。それにもし売れなかったら自分たちで食べればいいと思っていました(笑)」
あっけらかんと話す表情からは、本当に不安がなかったことが伝わってきます。そして2023年に島崎さんオリジナル商品の燻製ナッツ『moku moku(もくもく)』が完成します。
「ナッツを濃厚に燻製して、素材自体に香りをまとわせることにこだわりました。燻製は木のチップを焚いて食品をスモークし、香りを付けます。なので、このチップによって香りが全く変わるんですよね。いろいろ試しましたが、エゾヤマザクラのチップが一番食材との相性がよかったです」
チップに使用しているエゾヤマザクラは、2018年に起きた北海道胆振東部地震で倒木したエゾヤマザクラを活用しているそうです。
「mokumokuを作ることで、社会に貢献したいという気持ちもありました。倒木したエゾヤマザクラも、そのひとつです。パッケージ裏のシール貼りも、今は障がいのある方が働く福祉施設にお願いしています。まだまだ手探り状態ですが、この商品が何かや誰かの役に立てるように育ってくれると嬉しいですね」
仕事も子育ても厚別区で。
やりがいのある仕事で忙しい印象の島崎さんですが、プライベートでは2児のママです。仕事と子育ての両立はどのようにしているのでしょうか。
「会社があるのもそうですし、両親も私も厚別区在住なんです。ちなみに兄も弟も(笑)なので、家族で助け合って子育てしている感じですね。上司が兄なので、時間に融通をきかせてもらえる部分も大きいです。徳尾商事だから、子育ても両立できていると感じています」
家族全員が厚別区在住ということで、厚別区へのこだわりがあるのかを聞いてみました。
「ここには実家もあるし、友だちもいる。離れる理由がないんですよね。歯科衛生士時代も行こうと思えば東京の都会的な歯科医院で働くこともできたけど、それも選ばなかったので厚別区が好きなんでしょうね。人生の中で4カ月間だけ白石区に住んだことがあるんですけど、なぜか妙な罪悪感がありました(笑)」
今後も厚別区に住むか聞いてみると…。
「住みたいとは思っているのですがマイホームを建てたいと考えているので、条件に合う土地が厚別区で見つかればいいな。厚別区は子育てもしやすいので、離れたくはないです!」
父からの教えを忘れずに、前進あるのみ!
燻製ナッツの「mokumoku」が完成し、島崎さんの徳尾商事での第二ステージがここからスタートしたように感じます。
「ここ数年コロナによる行動制限で、やりたいことが出来ずに悲しい想いをすることも多かったです。でもコロナ禍だったからこそ出会えた方々も多く、直接お客さまと触れ合えることの喜びを再認識することもありました。この出会いや経験がなければ、mokumokuもこの世には誕生していなかったと思います。これからも出会えた方たちとの縁を大切に、味と品質を堅実に守っていきたいですね」
コツコツ販売したいという言葉からは、島崎さんの責任の強さを感じます。事実、彼女は納品先へも自分で届けることが多く、消費者になってくれる方と積極的にコミュニケーションをとろうとします。ここには父の教えの影響があると言います。
「『人とのつながりを大切にしなさい』『嘘を言わない』『挨拶は目を見てする』を小さい頃から、ずっと言われていました。特に『人とのつながり』がなければ『mokumoku』も、今ここにはなかった。年を重ねるにつれて、この言葉の意味や重みがわかるようになっていますね」
お父さまの教えを聞くと、以前勤めていた歯科医院長への島崎さんの言葉を思い出しました。「患者に寄り添うことを第一に考える人だった」と話していたので、ご家族もこの考え方に近いのではと推察されます。
「確かにそうかもしれませんね。父も兄もお客様が困っていたら、解決する方法がないか全力で考えます。それが徳尾商事の利益にならなくても、お客さまの悩みや問題解決につながるのであれば、それだけでいいんですよね」
島崎さんもしっかりお父さまの意思を継いでいますねと伝えると、はにかみながらもどこか誇らしげな表情でした。最後に、島崎さん自身の今後の目標を教えてもらいました。
「まずはmokumokuを待ってくれている人に、しっかりと届けていきたいです。あとは仕事もプライベートも私に関わってくれている人には、笑顔でいてほしいです。悲しい表情をしていたり困っている人がいたら、おせっかいだったとしても何か力になれることを探したいですね」
いろんな縁が重なって出来た燻製ナッツ「mokumoku」。いただいてみると、口に入れた時に、広がる豊潤なエゾヤマザクラの香りに思わず驚いてしまいました。完成までの苦労を聞いても「大変なことはすぐ忘れちゃうんです」と、笑って話す島崎さんの前向きさと努力が、この澄んだ香りに繋がったのではないかと感じた取材でした。