今回取材するのは、徳光珈琲の代表、徳光 康宏(やすひろ)さん。徳光珈琲は石狩に本店があり、札幌市内に2店舗、小樽市銭函に1店舗を展開しています。「美味しい珈琲をお客さまに提供するためには、妥協はしない」を信条に、今年でオープンから19年目を迎えました。美味しい珈琲を求めて全国を旅した学生時代や、北海道に自分のお店をオープンさせた経緯など、常に信念を持って進む徳光さんにお話を伺います。
「珈琲店を開業したい」という夢を持つまで
幼少期、朝食はパンが多く、食卓に珈琲が並ぶのは日常的な光景。ご両親が入れてくれるインスタントコーヒーを何気なく口にしたことが、徳光さんにとって初めて珈琲と触れる体験となりました。
「珈琲に興味を持ったのは、実は味や両親の影響よりも、珈琲を淹れる器具の雰囲気に惹かれたのが始まりでしたね。味へのこだわりが出てきたのは、中学高校の学祭で友人にハンドドリップで珈琲を提供するようになってからです。自分で淹れるようになってから、より一層その魅力に深くはまっていったように思います」
10代前半で珈琲の味わいを理解できること自体が驚きですが、徳光さんはさらに味の探求に余念がありません。
「高校時代は野球に打ち込みながらも、合間を縫って札幌市内の喫茶店を巡りました。『あの店の珈琲は美味しい』という情報があれば、すぐに調べて足を運びましたよ。当時SNSなどはなかったので、人から得た情報は貴重な情報源でした」
野球と喫茶店巡りに忙しかった高校時代はあっという間にすぎ、大学受験の時期に。ご両親からは「石狩にある自宅から通える範囲の国立大学」という受験条件があったので、「あまり選択肢がなかった」と徳光さんは苦笑しながら教えてくれました。
肝心の受験結果は、残念ながら不合格。そのため、浪人生活を決意し、勉強と並行してアルバイトを探すことに。そして見つけたのが、老舗喫茶店「アンセーニュ・ダングル」でした。残念ながら札幌の店舗はすでに閉店してしまいましたが、現在も東京で3店舗を展開する老舗の喫茶店です。当時アルバイトとして働いていた人の中には、現在札幌の珈琲業界で活躍する人物もいるほどの名店。
「いいお店でしたね、『アンセーニュ・ダングル』。上質なカップに、雰囲気のある照明と調度品が相まって…まさに大人が珈琲を愉しむ場所でした。そして、実際に働いてみて珈琲と向き合う機会も多く『珈琲の味を決めるのは、生豆の良さと焙煎なんじゃないか?』と思い、生豆の焙煎に興味を持ったんです」
「アンセーニュ・ダングル」でアルバイトを続けながら、徳光さんは希望していた教育系の国立大学へ一浪で合格。晴れて大学生活をスタートさせます。ただ教育系の大学へ進学したということは、先生を目指していたのでしょうか。
「いえ、全くです(笑)。進学理由は、両親の影響が大きかったと思います。『国立大学で自宅から通える』という点と、僕の学力と照らし合わせた結果、進学した大学がベストだったのでしょう」
徳光さんは笑いながら、「授業はあまり聞いていないことが多かった」と、茶目っ気のある一面も見せてくれました。大学生活が順調に進む中、アルバイトで得た知識と珈琲への情熱から、大学の学祭で個人で珈琲店を出店します。
学祭期間中のみの短期間の営業でしたが、「美味しい珈琲を飲んで欲しい」という思いから、機材を揃えて注ぐカップも磁器製を用意。布製のフィルターを使用して珈琲を淹れるネルドリップで、一杯一杯丁寧に淹れたそうです。
「学祭では、多くの場合、飲み物は紙コップで提供されます。しかし、僕はそれをしたくなかった。美味しい珈琲を提供するのはもちろんのこと、細部にもこだわり、その場にいる人々に特別な空気を感じてほしいと考えていたからです。そこで、あえて磁器製のカップを使用することで、カップの重厚感が珈琲の香りを引き立たせるのではないかと考えました」
このこだわりは、お客様にしっかりと伝わったようで、3年続けて学祭に珈琲を飲みに来てくれる人もいました。売上を珈琲機材購入に投資し、年を追うごとに機材を増やしていきます。
「わざわざ僕の淹れた珈琲を飲みに来てくれる人がいるなんて、本当に嬉しいことです。こういう仕事の形が自分に合っているのかもと思い、この頃から将来珈琲店を開業することを考えるようになりました。」
夢を現実にするために、動きだす
「将来珈琲店を開業したい」という夢を抱き始めた徳光さん。しかし、大学時代には珈琲とは関係ない業種でもアルバイトをしていました。それはなぜでしょうか。
「全国の焙煎士を訪ね歩くための資金を貯めるためです。1990年に出版された柴田書店の焙煎士を紹介する本との出会いが、僕の運命を変えました。本に掲載された魅力的な焙煎士たちに直接会いたいという衝動を抑えられず、最高4つのアルバイトを掛け持ちして資金を貯めました」
中でも印象深いのが焼き鳥屋のアルバイトだそう。当時600円台だった最低賃金に対し、時給1000円という高時給に惹かれて飛び込んだというそのアルバイトは、ひたすら煙にまみれながら焼き鳥を焼き続ける仕事だったらしく…今の徳光さんからは想像がつきません。
「焼き鳥屋も楽しかったですよ。店長もおもしろい人だったし。だけど不思議とこの仕事を一生続けようとは思わなかったんです。きっと僕の中では、『楽しいから続ける』という基準ではなく、『僕がつくったもの』を好きになってくれる人に届けたいという気持ちが、人生の中で仕事をすることの基準になっているような気がします」
徳光さんは、アルバイトで貯めた資金を元手に、本に掲載されていた全国の気になるお店をほぼ全て訪問。一度訪れた店でも、もう一度行きたいと思えば再訪することも多く、精力的に知識と経験を蓄積していきました。
いきなり訪れた、憧れの珈琲店で働くチャンス
全国を旅して珈琲を学んでいた徳光さん。大学卒業が近づくにつれ、就職について考えなければならなくなりました。しかし、意外にも就職に対して前向きな考えを持っていたのです。
「いきなり自分のお店を持つというイメージが湧かず、まずは社会人として経験を積みたいと考えていました。縁あって損害保険会社の営業職に内定をいただき、最初の赴任先は栃木県宇都宮市でした」
10年間は会社で働くことを決意し、社会人生活がスタートします。栃木県宇都宮市での3年間、そして東京都渋谷区での3年間、忙しいながらも充実した日々を送りました。
「特に楽しかったのは、法人顧客への企画提案です。他社にはないオリジナルの保険内容を提案し、それが採用されたときは『やった!』と大きな達成感がありました」
充実した仕事ではあったものの、徳光さんの珈琲店を持つという夢は全くブレませんでした。給料で順調に開業資金を貯め、休日には喫茶店巡り、東京の喫茶店をほぼ制覇してしまうほどに。そして、渋谷区から品川区五反田への転勤を機に、世田谷区にある「堀口珈琲」の珈琲教室に通い始めました。
「堀口珈琲は、学生時代から気になっていたお店でした。スペシャルティコーヒーと呼ばれる、厳しい基準をクリアした高品質な生豆を扱う店。僕も何度か足を運んだことがあります。特に代表の堀口さんが非常に魅力的な方で。元々アパレル業界で活躍されていたのですが、飲食にも精通していて『イタリアンは巨匠はいるが、珈琲にはいない。珈琲業界で、今までにない新しいことをやりたい』という想いから開業されたそうです。従来の珈琲の概念にとらわれず、常に新しい視点で物事を捉える革新的な方なんです」
珈琲教室では、ドリップ方法や様々な種類の珈琲を飲み比べながら、徐々に教室を開催していたお店の店長と親しくなっていきました。通い始めてしばらく経ったある日、徳光さんの直感が働き、「店長、もしかして人を募集していませんか?」と尋ね、代表に繋いでもらい即尋ねると、「よくわかったね。実は2名募集しているんだ」と教えてくれました。
憧れの堀口珈琲の求人、このチャンスを逃すわけにはいきません。10年働くつもりだった損害保険会社でのキャリアは7年目でしたが、「ぜひ働かせてください!」と面接を申し込みます。
「面接の翌日、3月2日土曜に『いつから来れる?』と連絡があり、僕は『4月1日からいけます!』と即答しました。…この時点で、すでに堀口珈琲で働くまで1ヶ月切っているんですよね。3月4日の月曜に会社へ出社し、すぐに課長に退職を伝えました」
本来は1ヶ月前までに退職を伝える必要があるものの、徳光さんの珈琲への情熱を知っていた課長は快く送り出してくれました。引き継ぎや引っ越しなどを済ませ、桜が咲き始めた頃、徳光さんは堀口珈琲で新たな一歩を踏み出します。
確かな技術を学び、自信につながる。
入社当初、徳光さんは堀口さんに「3年後に北海道でお店を出します」と宣言していました。これは、前職での転勤が3年単位だったことから、3年あれば業務内容を十分に理解できるという確信があったからです。
ただ北海道が地元とはいえ、全国の喫茶店を見てきた徳光さんなら他地域での出店もありえそう…あえて北海道を選んだのはなぜでしょう。
「住みやすくて好きなんですよね。だから、北海道以外でのお店を持つことは全く考えなかったですよ。地元だからというのもありますが、他の地域を見たことで『北海道の良さ』を再認識した部分もありますね」
堀口珈琲では、約3年間、珈琲に関する様々な業務に携わりました。学びの機会が豊富な職場環境で、珈琲抽出はもちろん、焙煎も一通り経験しました。特に、生産履歴を可視化し、安心安全と信頼性を築く「トレーサビリティ」=(「その製品がいつ、どこで、だれによって作られたのか」を明らかにすべく、原材料の調達から生産、そして消費または廃棄まで追跡可能な状態にすること)を重視した高品質な生豆への関わりは、徳光さんにとって大きな学びとなりました。
「堀口さんが尽力したトレーサビリティによって、品質の良い生豆が日本に流通するようになりました。それまでは、誰がどこで作ったかわからない豆が流通してることが多かったんです。誰が、どこで、どのように作ったかを明らかにすることで、生産者がこだわった豆を選ぶことができ、本当に美味しい珈琲を淹れることができるというのを目の前で見ることができました」
奇しくも学生時代に抱いた「美味しい珈琲には生豆が重要」という直感は、ここで確信に変わります。自分が考えていたことが正解だったと自信を持つ頃には、ちょうど堀口珈琲での在籍が3年たっていました。
「『3年たったので辞めます』と堀口さんに伝えると、なんと僕の話を全く覚えていなかったんです(笑)。彼の中では、僕が店のことをほぼできるようになったら、ここからがスタートだと思っていたようです。しかし、自分の中ではすでにお店を持つことを決意していたため、退職することを決断しました」
堀口さんにお礼を告げ、徳光さんは34歳で北海道に戻ります。
夢の実現。北の大地で淹れる最高の一杯。
お店は石狩市花川の祖父母が所有している土地で開業したいと両親に伝え、その土地に店舗を構えることが決まりました。しかし、設計事務所とイメージが合わず難航し断念…。気持ちを切り替えて、地元の建築会社に依頼したものの、店舗建設は初めてという会社だったため、壁紙や床材など全てを自分で指定する必要がありました。さらに必要な什器のために自ら旭川まで車を走らせるなど、準備に奔走します。
しかし忙しい中でも、小樽忍路にあるパン屋「Aigues Vives(エグヴィヴ)」の庭先を借りて、週末のみの屋台を出店し、自分の珈琲の販売と試飲を行うなど、自分の珈琲の腕試しも行います。
「この時期は、まさに目が回るほど忙しかったですね。だけど『Aigues Vives(エグヴィヴ)』で自分の力を試す経験は、かけがえのない経験となりました。決して交通の便が良いとは言えない場所にも関わらず、朝早くから行列ができる「Aigues Vives(エグヴィヴ)」で出店することで、『良いものを求めている人々に、どれだけ誠意を尽くせるか』が重要であることを学びました。これは、その後のキャリアにおいても大きな指針となっています」
東京から戻り、半年間の準備期間を経て、ついに石狩に徳光珈琲が誕生しました。オープン当時の心境を聞いてみると…。
「『自分が淹れたかった珈琲をお客さまに提供できる』という喜びと、『夢が叶った』という達成感。そして、オープン一番最初のお客さまが、『Aigues Vives(エグヴィヴ)』で僕の珈琲を好きになってくれた方だったことは、何よりも嬉しい驚きでした。その方は、今も通ってくださる大切な常連のお客さまです」
本気の気持ちがなによりも大事。
2009年円山店、2010年大通ビッセ店、2023年小樽市銭函店と、店舗を次々とオープンし、順調な成長を続ける徳光さん。しかし、大通ビッセ店への出店は、多くの人に無謀だと止められたと言います。
「背中を押してくれたのは、『アンセーニュ・ダングル』の元店長だけでした。『責任はとれないけど』という言葉付きで(笑)。でも、石狩店をオープンして5年。マイクロロースター(小規模の焙煎業者のこと)の僕が、街中のど真ん中の商業施設でお店を持つのは、夢がある話だなと思い、出店を決意しました」
他にも現在、徳光さんは札幌市内約130店舗の飲食店やカフェに珈琲豆を卸しています。順調に見える彼の未来には、どのような展望があるのでしょうか。
「珈琲を淹れる仕事って、死ぬまでできるんです。でも、今の規模でずっとやろうとは考えていません。多分ですけど、徐々に縮小していって、自分の目が届く範囲で珈琲を淹れるのが最終的な形なんじゃないかな。あまり今の形を継続させたい、もっと大きくしたいっていうような、執着はないかもしれませんね。」
貫きたいのは、「美味しい珈琲をお客さまに届ける」ことだけ。徳光さんの揺るぎない気持ちは、きっとこの先も変わらないでしょう。
最後に、新しいことに挑戦したいと思っている人たちに向けてのメッセージを聞いてみました。
「居住地や年齢にかかわらず、自分がやりたいことを貫くことが大事だと思います。東京などの大きいマーケットで始めたら必ず成功できるという確証もないし、人の規模感とニーズっていうのはリンクしそうでしない部分も大いにある。自分の中での情熱が燃えれば燃えるほど、物事への濃度が高まって、本気になっていくんですよね。その気持ちの方がきっとなにを成し得たいという時は、重要だと思いますよ」
徳光さんから紡ぎ出される言葉は、優しい語り口の中に力強さを秘めており、聞き手の心を惹きつけていました。取材しながら、「こだわりの珈琲を味わいたい…」という思いは募るばかりでしたが、大通ビッセ店の営業時間内での取材ということもあり、時間的な制約のため、徳光さんが淹れてくれる珈琲を堪能することは今回叶いませんでした。
しかし、こだわりの一杯への期待は膨らむばかり。次回はゆっくりと時間をかけて、徳光さんの珈琲を味わえるのを楽しみにしています。