八田明日香(はったあすか)さんは、札幌市営地下鉄東豊線の美園駅にある八百屋「ふぁーむらんどShinwa」の店長です。「ただ野菜を販売するだけではなく、お客さまとの対話も大切にしているんです」と話す八田さん。その言葉通り、取材前に店頭では元気な声でやりとりしている八田さんとお客さまの姿を見ることができました。しかし、実は八田さんは最初から八百屋としてキャリアを積んでいたわけではありません。ニセコで過ごしたラフティングインストラクター時代や、仁木町の農園でのアルバイトを経て見つけた、自分のやりたいこと。まだ見ぬ新しい仲間と広げていきたいこれからを伺いました。
社会人の一歩目はラフティングインストラクター
札幌市西区出身の八田さんの子どもの頃の夢は、水泳の選手になること。2歳半から水泳を習い始め、小学校入学前には一通りの泳ぎをマスターしていました。そのまま選手コースに進むものの、泳ぐことへの情熱が薄くなり始め、小学校4年で水泳を辞めることに。中学・高校ではバレーボール部に入り、練習を頑張りながらチームワークも学びました。
「高校はバレーボール部の顧問が有名な人で、強豪の中学校から入ってくる子も多かったんです。私が通っていた中学校はそこまでバレーが強くなかったので、最初のうちは全然ついていけていなくて…でも、意外と周りのことはあまり気になりませんでした。もともとすごくマイペースな性格なんです(笑)」
高校卒業後、八田さんは体育系の専門学校に進学し、水泳のインストラクターを目指します。
「一度は辞めてしまった水泳ですが、泳ぐことは好きだったので、バレーボールの練習の合間に時々泳ぎに行っていました。中学・高校と頑張ったバレーボールはケガをしてしまい、続けられなくなってしまったので、もう一度水泳をやり直そうと思ったんです」
進学した専門学校には、一般のお客さんも利用できるスポーツジムがあり、プールもありました。そこで、八田さんはアルバイトとして水泳の指導を行うことに。指導経験を積みながら、インストラクターの資格を取得します。
ところが、八田さんが卒業後に就きたいと思ったのは、水泳ではなくラフティングのインストラクター。勤務地も、札幌から約100km離れたニセコを希望したそうです。
なぜこの道を選んだのでしょうか。
「専門学校2年生の夏休みに、家族でニセコに行って初めてラフティングを体験したんです。それがすごく楽しくて、『これを仕事にできたら最高!』と思ってしまって(笑)。そこから、ニセコで就職できるラフティング会社を調べ、3つの候補まで絞りました」
そして奇しくもその中に、専門学校の先輩が入社している会社があることを知り、その会社が気になるように…。
「先輩と会ったことはありませんでしたが、なぜか『ここで働きたい!』と思ったんです。でも、インストラクターの募集は出ていなくて。直接電話をして『インストラクターになりたいんです』と伝えたら、面接を受けられることになり、面接後内定をいただきました」
仁木町で気付いた、自分らしくいれる環境
専門学校を卒業後、入社した八田さんはニセコに移住します。最初に住んだのは、一軒家のシェアハウス。年齢も会社もバラバラながら、「ニセコで働く」という同じ目的を持った人が集まって暮らしている住居でした。
「1人部屋をもらえたんですけど、とにかく狭くて。2.7畳しかなかったんです(笑)。ロフト付きで、立ち上がると天井に頭がついてしまうんじゃないかというぐらい。でも、リビングは広かったし、オーナーさんも他の住人の方も良い人ばかりだったので、居心地は良かったです。同じシェアハウスに住んでいた会社の先輩に、時々遊びに連れて行ってもらったこともありました」
休みの日にはニセコの雄大な自然を満喫しながら、川下りや釣りをしたり、動物がいるカフェで癒されたりしながらリフレッシュしていました。しかし、ラフティングインストラクターの仕事は大変だったようで…
「重いものを持つことが多い仕事だったので、体力勝負でした。8人乗りのボートを1人で先導するんですけど、これが結構大変でしたね。でも好きなことを仕事にしていたので、毎日全力で遊んでいるようで楽しかったです」
仕事もプライベートも充実した生活を送っていた八田さん。しかし4年たったある日、会社の考え方の違いに違和感を抱き、退職。当時お付き合いを始めていたご主人がいる札幌に戻りました。
自分の生まれ故郷に戻ってきたので、安心感があったのではないですか?と聞いてみると、意外にも「札幌での生活に疲れ、精神的に参っていた時期」と話します。
「人が多くて、札幌での生活は私にとって少し息苦しかったんです。ニセコで自然に囲まれていた生活とギャップがありすぎて、ちょっと病んでいたかもしれません」
ちょうどこの時期に、父親の会社が運営する仁木町の農園に足を運ぶことがあり…
「仁木町にある父の農園には、幼い頃からよく遊びに行っていました。ニセコで働いていたときも、さくらんぼの時期になると手伝いに行っていたんですよね。仁木町は海や山に近くて自然が豊かなので、私も少しずつ元気を取り戻していきました。徐々に『私は自然に触れているのがいいんだ』と気づき、農園で働けないか父に頼んでみました」
その話を聞いた父親は快諾し、八田さんは農園でアルバイトを始めます。
農園でのアルバイトを経て、八百屋の店長に
仁木町の農園でのアルバイトを始めた八田さんは、札幌の自宅から農園まで、毎日車で通う生活を続けます。そして1年後、正式に父親の会社に就職し、札幌市営地下鉄東豊線の美園駅構内にある「八百屋ふぁーむらんどShinwa」の店長を引き継ぐことになりました。
「それまでお店を任せていた社員の方が辞めるタイミングで、やってみないかという話をもらったんです。父の会社は物流がメインでしたが、私はどちらかというとお客さんと直接ふれあう仕事の方が好きだったので、話を聞いてすぐに『やらせてほしい!』と答えました。仁木町の農園で自分が収穫した野菜を販売できたら楽しそうだとも思ったんです」
やりたいことが見つかり、スイッチが入った八田さん。札幌の「人の多さ」に対する精神的な不安も少しずつなくなっていたそうです。店舗の運営を任されてからは、なるべくもとの雰囲気を残しながら、店をリニューアル。販売する商品の品ぞろえや仕入れ先も変えました。
「それまでは、地下鉄構内のコンビニのような立ち位置で、菓子パンなどの加工品も販売していましたが、それを野菜中心に切り替えました。また、本社の物流部門を通して青果の仲買さんを紹介してもらい、札幌中央卸売市場から仕入れできるようにしたんです。自分が自信を持って売れるものをお客さんに届けたいので、大変でしたが苦にはならなかったですね」
しかし、八百屋の運営が初めてだった八田さんは、仕入れた野菜を一体いくらで販売すればよいのかさえも分からない状態だったと話します。
「金額設定がめちゃくちゃ難しくて。仲買さんやスーパーの担当者をつかまえて、『この野菜だったら、いくらぐらいで売れますか?』と聞きまくっていましたね(笑)。売れ残ってしまったときには、なんでこんなにロスが出るんだろう、って悲しくなったこともあります。野菜の保管方法も分からなかったので、本やネットで調べたり、農家さんに聞いたりしながら勉強しました」
店を引き継いでから、店頭に立つことで「お客さまが何を求めているか」や「どうしたら野菜の魅力を伝えられるか」を勉強した貴重な時間だったと八田さんは話します。
スタッフが増えれば、できることも広がる!
八田さんは、店頭でのリサーチをしたことであることに気づき、新しい取り組みを始めます。
「美園駅で地下鉄に乗り降りする人でも、普段使っている出口によっては、うちの店の前を通らないんですよね。しかも、そもそも地下鉄を使わない人は、駅構内に八百屋があること自体知りませんし。改めて『自分からアピールしないと、ここにお店があることを知ってもらえないんだ』と気づいたんですよね。だから、SNSを始めてお店を知ってもらおうと思ったんです」
さらにSNSでの発信以外に、イベントにも積極的に出店し始めます。その結果、店を引き継いで2年目には小さな子どもがいる主婦層を中心に、新規のお客さんが増えていきました。
そこから、農家直売の野菜を増やすなど、より新鮮さにこだわった商品の販売に力を入れるようになります。さらに、そのこだわりを聞いた飲食店から「うちにも野菜を卸してほしい」と声をかけられ、飲食店への卸売も始めました。
「今は、お弁当屋さん2軒とカレー屋さんに卸しています。お弁当屋さんはSNSを通じて声をかけてくださったお店で、北海道産の野菜にこだわったお惣菜を作っているんです。私もこだわって美味しい野菜を届けたいと思っているので、同じ気持ちを持つ方に野菜を卸せるのは幸せですね」
野菜を使ってやりたいことは、まだまだたくさんあると語る八田さん。しかし、それには一緒に仕事をしてくれるスタッフがもっと必要だと話します。店舗の経営者として、どのような人に来てほしいか聞いてみました。
「体力に自信があって、元気に動いてくれる人がいいですね。例えば、飲食店さまに配達するときは、玉ねぎだけでも20kgぐらいになることがあるので。あと、いろいろなことに興味を持って、一緒に頑張ってくれる人と働きたいです。スタッフが増えれば、できることのキャパがもっと広がって、もっと面白いことができるんじゃないかなと思うんですよね」
八田さんに、この仕事を楽しいと感じるポイントも聞いてみると…
「お客さまから野菜がおいしかったと言われたときが一番うれしいです。また、その言葉を農家さんに伝えたときに喜んでいる顔を見ると、この仕事をやっていてよかったなと思います。農業に対して熱い思いを抱いている農家さんはたくさんいらっしゃいますし、そういった方たちが作る野菜の魅力を、私たちもお客さまにしっかり伝えていきたいです」
どんな仕事をしても必ずどこかにつながる
八田さんは、今後、スタッフが増えたら移動販売にも力を入れたいと語ります。
「忙しいお母さんたちの買い物が少しでも楽になるように、応援したいんです。いい野菜を提供できる自信があるので、その良さをもっとたくさんの人に知っていただきたいとも思っています。実は、去年初めて移動販売に挑戦してみたんです。そうしたら、すごく反響が良くて。百貨店で売っているような質の高い野菜を安く買えるというところが、多くのお客さまに響いたのかもしれないですね。とうきびをメインにして5日間出店したところ、3日連続で来てくださったお客さまもいました。観光や仕事で札幌に来ている方が、『家に発送したい』と購入してくださることも多くて、うれしかったです」
将来的には、野菜を使った加工品のサブスクをしてみたいとも考えているそうです。
「例えば、ジムに通っている人などは健康的な食べ物にも興味を持ってくれると思うんです。そういう人が、いろいろな野菜を取り混ぜたサラダをサブスクできるサービスを作ったら面白いかなと思っています」
また、本州産の質の良い野菜を道内の人に知ってもらったり、東京で北海道産の野菜を販売したりするのも面白いかもしれないと話す八田さん。なので、必ずしも札幌に拠点を置くことにこだわっていないとも語ります。
「食や野菜に関わることは続けていきたいですし、農家さんとのつながりも大切にしたいと思っています。ただ、自分のライフスタイルとして、今の場所にずっととどまろうという気持ちもないんです」
そうなると、今の会社から独立や転職もあるのでしょうか。
「独立は考えていません。今の環境で、かなり自由にやらせてもらっているので、そこは満足しています。なので、今の会社に在籍しつつ、拠点を変えるっていうのはあるかもしれないですね」
「ただ…」と八田さんは言葉を続けます。
「最近はうちの野菜を卸したことがきっかけで飲食業に興味があるので、働いてみたいなという興味はあります。自分にないスキルを学ぶと、今の仕事の幅も広がっていくかもしれないと思っているので、どこかで少し働かせてもらうことはあるかもしれませんね。もちろん、それまでに時間はかかるかもしれないし、やりたいことに対して遠回りになるかもしれないけれど、もともとマイペースな性格なので焦りはありません。それに、何をやっても必ずどこかにつながると信じているので、チャンスがあればトライしてみたいですね」
「農家さんのところに行くまでの風景がすごく好きで、見ているとリラックスできます」と話していた八田さん。自然が大好きで、そこで育つおいしい野菜をたくさんの人に届けたいという気持ちが伝わるインタビューでした。これからスタッフを増やし、やりたいことをどんどん実現させていってほしいです。