内藤彩さんは、2021年に東京から札幌へ移住。そのタイミングでご自宅におうちスタジオ「 Irodori Photo(イロドリフォト)」をオープンし、子どもの誕生日や七五三など晴れの日を撮影するカメラマンへと転身しました。それまでは会社員として東京で働き、育児との両立に悩む日々を過ごしていたという内藤さん。札幌に来てカメラマンとして活動することを決めた理由や、大切な一日を撮影するときの気持ち、そして自身の子育てについて伺いました。
新卒で福岡に転勤し、結婚を機に会社を退職
東京都江戸川区で生まれ育った内藤さん。小さい頃は、いつも外で走り回っている元気な子どもでした。そんな内藤さんは、小学校から私立校を受験し入学します。小学校から大学までエスカレーター式での進学が可能で、校風は朝も帰りも「ごきげんよう」と挨拶をするような、いわゆる「お嬢様学校」でした。
「私立の学校に行ったのは、母の希望でした。私の祖母は私立学校の教師をしていたのですが、娘である私の母をあえて公立校に入れたそうです。母は、その境遇から私立と公立の両方を知った上で、自分の娘は私立に行かせたいと思ったみたいです」
友人にも恵まれ、学校行事も楽しく過ごして内藤さんは活発な性格を活かし、高校で陸上部に入部。部活に精を出します。高校卒業後、大学の理学部に進学した内藤さんは、水上スキー部に所属します。しかし、なぜ陸上部から水上スキー部へ?
「陸上ではこれ以上記録を伸ばすのは難しいと感じていたので、大学では新しいスポーツをやってみようと思っていました。水上スキーなら大学から始めても日本一を目指せるかなと思ったんです。私は理学部だったので授業や実験で忙しく、時間の都合上、唯一練習時間を取れたのが水上スキー部だったというのもあります。いつも、日の出から1限目の授業が始まるまで練習して、そのまま学校に通っていました」
大学卒業後、衣食住に関わる仕事に就きたいと考えた内藤さんは、大手の飲料メーカーに就職します。全国転勤ありという条件の会社で、内藤さんは1年目から東京から離れて福岡勤務になりました。
「転勤は承知していましたが、まさか福岡かと(笑)。でも、すごく楽しかったです。知り合いは全くいませんでしたが、同業他社の気の合う同期と仲良くなって、一緒に飲みに行ったり、週末はゴルフや釣りに出かけたりしました。私はスーパー担当の営業だったので、営業先の担当者に福岡の楽しい場所をいろいろ教えてもらいました」
福岡に勤務して2年半ほどたった頃、内藤さんは、大学時代からお付き合いのあったご主人と、結婚することを決めます。そこで、東京への転勤希望を出したものの、会社からはOKをもらえず。さらに、福岡に残るなら、結婚後は独身寮を出なければならないというのが会社の規定でした。
「昔ながらの古い考えや制度が残っている会社だったんです。理不尽だと思ったので、人事の担当者に直訴しましたが、『例外は認められない』と。それならもっと自由に働ける会社に転職しようと思い、退職することに決めました」
育休中にカメラと出会い、新たな道へ
結婚を機に会社を退職した内藤さんは、東京でフィットネス系の事業を展開する企業に転職。そこで、営業部門の仕事を担当しました。そして、2年後に第1子を出産。しかし、保育園の関係で出産5カ月後には職場に復帰し、事業開発部門で店舗運営や新規会員獲得などのノウハウの開発に携わります。新しいものを作り出し、それがお客様に届くという仕事にやりがいを感じながら、それと同時に育児との両立の大変さも実感していました。
「自宅は駅前なのに、駅前の保育園に入園できず、家から20分かかる保育園しか空いてなかったんです。なので、送迎にも時間がかかり、それだけでもうクタクタに。さらに、自宅は駅前なのに、駅前の保育園に入園できず、家から20分かかる保育園しか空いてなかったんです。なので、送迎にも時間がかかり、それだけでもうクタクタに。さらに、復帰後に時短勤務にはしたものの新しい部署に異動になり、なれない環境での仕事に疲労困憊でした。近所に住む両親に助けてもらいながら、なんとか乗り切った感じでしたね。仕事は楽しかったですが、育児とのバランスを取るのにかなり苦労していた時期でした」
そんな多忙な日々の転機となったのは、第2子の妊娠。今回はすぐに保育園に預けず、自分で子育てしてみようと、1年2カ月の育休を取得します。育休中は、今後のライフプランについて考える時間にもなりました。
「その頃、夫が北海道と東京を行き来しながら仕事をしていて、夫の故郷である北海道に引っ越ししようかという話になりました。私の方は、学生時代の友人との会話で子どもの受験の話が出るようになったものの、自分はあまりそういう子育てに興味がなくて。もっと自由に子育てしたいなと思うようになっていたんです」
北海道への移住を検討し始めた内藤さんは、今後のキャリアについても真剣に考えるようになりました。復帰後は仕事をオンラインに切り替えて、ときどき東京の本社に出社するという働き方も考えたそうです。
「ただ、そこまでして今の仕事を続けたいという気持ちになれなかったんです。それより、もっと自分の裁量でできる仕事に挑戦してみたいと思いました」
そのときに出会ったのが、カメラでした。それまでも、子どもの写真を撮るときはスマホじゃなくカメラを使っていたという内藤さん。それを知ったカメラマンの友人から「カメラを仕事にしてみたら?」と言われます。
「今まで趣味でしかやっていなかったので、カメラの仕事って何?って(笑)。そこから、子どもを連れて、フォトグラファー養成講座に通い始めたんです。そうしたら、目に見えて自分が成長していくのが分かり、これならカメラマンとして仕事ができるかもしれないと考えるようになりました。私にとって大事なのは、仕事の結果を人から評価してもらい、それで自分の存在価値を感じられることです。カメラならそれができるし、自分を鼓舞しながら続けられる仕事だと思いました」
北海道への移住と、「おうちスタジオ」の誕生
カメラマンという仕事に興味を持ちながらも、育休を終え、職場に復帰した内藤さん。平日は会社員として働き、土日に知り合いを撮影するという生活をしながら、カメラの勉強を続けました。この時のことを、「カメラマンとして開業する自信はなかったものの、カメラという選択肢を消したくなかった」と語ります。
そして1年後、札幌に家を建てる土地が見つかったため、いよいよ北海道に移住。移住と同時に、カメラマンとしても開業しました。
「誰も知り合いがいない環境で、ずっと1人で家にいるのが耐えられなかったのも開業理由の中では大きいですね。自宅に使ってない部屋もあるし、とりあえずやってみて、できなかったら辞めればいいという気持ちで始めました。まず、知り合いのカメラマンから教えてもらった通りに、ホームページを作成し、SNSで札幌でスタジオをオープンしたことを載せて集客のベースを整えました」
最初は、スタジオの宣伝用写真もない状態です。そこで、自宅スタジオで撮影会を開催し、モデルさんを募集してみることに。すると、多くのお客さんが来てくれました。
「当時、ロケの撮影をするカメラマンはいましたが、『おうちスタジオ』というものが北海道にほとんどなかったんです。冬の時期だったので、スタジオで撮影できる場所を探している人が多かったのかもしれません」
知らない土地での開業に、最初はドキドキしたと振り返る内藤さん。徐々に撮影会というスタイルから個人依頼の仕事に切り替えて、カメラマンとしての仕事を軌道に乗せていきました。
「開業した1年目は、撮影依頼に波がありました。だけど、2年目に1歳の誕生日を祝う『スマッシュケーキプラン』を始めてみたら、これが大成功したんです」
「スマッシュケーキプラン」は、ケーキから衣装まですべてスタジオで用意し、お客さんには何も用意せずに撮影をしに来てもらうだけというサービスです。ケーキは、澄川にある「komekono oyatsu WAKKA(コメコノオヤツ ワッカ)」というお菓子屋さんに内藤さんが直接掛け合い、作ってもらえることに。「もともとこのプランがやりたかった」と話す内藤さん。そこには、「母」としての思いが込められていました。
「働くお母さんにとって、1歳の誕生日の準備って大変ですよね。でも、やらないお母さんになりたくないっていう気持ちもある。そういうお母さんたちが、子どもの誕生日を気軽にお祝いできる方法があればいいと考えて作ったプランです。とにかく来てもらえれば写真を残せて、撮影時間内でお誕生日会まで楽しめるような内容にしました。ケーキにもこだわりがあって、娘がアレルギーを持っているので、普通のケーキが食べられないんですよね。なので、どんな子でも食べられるケーキを用意したいと思いました」
撮影の時間そのものを、家族の幸せな思い出に
内藤さんが家族を被写体にした理由は、自身の経験からだと言います。
「お母さんって、家族で写真を撮った時に自分が写っている写真が意外と少ないんです。私の場合だと、夫が撮ってくれた写真には子どもしか映ってないとか、横にいるのに肩しか映っていなかったり…(笑)だからといって、夫に『私も映して』とお願いするのもちょっと違う。でも、子どもと自然に写っている写真が欲しいお母さんはいると思ったので、それなら私が撮ろうと、家族を被写体にしました」
しかし、子どもと撮影となると、慣れない環境での撮影や気分などで、いつも笑顔とは限りません。内藤さんに、どのようなことを意識して撮影しているのか聞いてみました。
「お子さんには、ある程度の距離感をもって接しています。たとえば、撮影を嫌がったときは無理強いせず、一度離れて遠くから撮れる望遠レンズで撮影するとか。そのお子さんの性格を見て、ある意味駆け引きしながら距離感を取るようにしています」
子どもに無理をさせないのは、「嫌がりながら写真を撮った記憶にしてほしくないから」とも話します。撮影していた時間そのものが幸せな思い出として残ってほしいというのが、内藤さんの思いです。
「大切なその1日が、『楽しかったね』『かわいかったね』『こんなに大きくなったね』で終わってほしいんです。私は、家族の人生の一部をカメラで切り取らせてもらっているんだと思いながら撮影していますし、それが自分の責任だとも思っています」
そんな内藤さんには、心に残っているお客様からの言葉があります。埼玉に転勤してしまったご家族から、ある日連絡があったそうです。その方たちは札幌にいるときに、七五三や入学式などの節目のたびに、写真を撮影していたご家族でした。
「『今年の七五三も、今まで成長を一緒に見守ってもらっていた彩さんにぜひ撮影してもらいたい』と言ってくださったんです。お子さんの成長を見守っていたと思ってもらえたことがすごくうれしくて、すぐに埼玉まで撮影しに行きました。この仕事は辞められない、続けていかないと、と思わせていただいた言葉です」
札幌を拠点に特別な瞬間を撮り続ける
札幌での暮らしと一緒にスタートした、カメラマンとしてのキャリアももうすぐ3年。カメラマンとして順調な足取りを伺い、ふと思ったのは札幌での暮らしには満足しているのでしょうか。
「東京ではマンションだったので、札幌に来て一軒家になったことで、子どもが家の中を走り回っても気にならなくなりました。むしろ走り回ってくださいっていう感じ(笑)。東京にいた頃は、ちょっと騒いでも怒っていましたが、こちらに来てからは怒る回数がぐっと減りました」
街や人も、東京と札幌では全く違うと話します。
「そもそも満員電車がないので、ベビーカーを乗せられますし、子連れでスーパーに行くと、必ず声をかけてもらえます。東京ではできなかったけれど、こっちなら子どもを1人で買い物に行かせても誰かが助けてくれるという安心感があります。それに、子どもと遊びに出かける候補に図書館が入っているのが驚きでした。図書館で本を選ぶことやその道中もレジャーになっていて、東京ではその感覚がなかったです」
東京に戻る可能性はあるのか聞いてみました。
「家族で戻ることはないと思います。実家の両親や友人に会いに、ときどき戻るくらいがちょうどいいですね。でも、将来子どもが東京の大学に行きたいと言うなら、それもいいのではないかと思います。東京のように大きな街でしか関われない人もいるし、北海道の方がいいとなればいつでも戻ってこられますよね。東京という選択肢があることを伝えて、後は子どもが決めればいいと思っています」
現在、内藤さんは自宅のスタジオで撮影をしています。しかし、いずれ真駒内にあるご主人の実家にスタジオを移そうかとも考えているとのこと。
「上の子が小学生になり、自分の部屋が欲しくなってきたみたいで、スタジオにしている部屋を子ども部屋に戻そうと思っているんです。スタジオ物件を探したこともあるのですが、固定費がかかってしまうし…と悩んでいたら、ちょうど真駒内の実家に空いている部屋があるから、そこを改装してスタジオにしてみたらどうかという話をしています」
今後の展望について尋ねると、「今、ウエディング撮影の勉強をしています」という答えが。
「自分の仕事の幅を広げておきたいんです。ウエディングを選んだのは、お祝いの日や晴れの日の写真を撮るのが好きだから。お祝いや晴れの日って、特別な日の一部を切り取るので、素敵だなと思うタイミングが必ずあります。この瞬間を美しく残してあげたいという気持ちで撮影できるんです」
最後に、札幌での好きな場所について尋ねてみました。
「滝野すずらん丘陵公園です。本当に広くて、一生遊べるんじゃないかって思うくらい(笑)。子ども連れで遊びに行っても、大人が散歩しても楽しいです。春にはチューリップがきれいだし、冬にはスキーも楽しめます。カメラマンとしても、あの場所は最高で、どんな撮影にもぴったり合うんです。東京には、ああいう場所はないですね」
札幌に来て、新たな挑戦としてカメラマンの道を選んだ内藤さん。家族の大切な思い出を写真で残したいという、熱い思いが伝わってくるインタビューでした。今後も、人生の特別な瞬間を写真で残してくれるカメラマンとして、さらなる活躍を期待しています。