北海道内で行われるコンサートやイベントの開催、北海道石狩市で毎年夏に開催される国内最大級野外音楽ロックフェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL(ライジングサンロックフェスティバル/以下、RSR)」を主催する株式会社WESS(ウエス)は、札幌市西区にあります。WESSでイベンターとして約30年第一線で活躍するのが、今回取材する西木基司(にしきもとし)さんです。イベンターという職種や、アーティストとの関係性、そして音楽イベントにかける想いを伺いました。
洋楽好きな青年が出会った、日本の伝説的なバンド。
WESS社内に通していただいた取材班の目の前には、溢れるほどのアーティストのポスターやグッズが。公開前の情報が多く、残念ながら社内の撮影はできませんでしたが、会社全体から音楽に対する熱い想いが伝わってきました。
会議室で待っていたのは、今回お話を伺うイベンターの西木さん。「今日はよろしくお願いします、僕の話でいいのかな…」と、謙遜しながら言葉をつむぎ始めます。
「出身は札幌です。3兄弟の末っ子で、兄ふたりとは6歳ずつ離れており、僕が小学校に上がる頃には、一番上の兄は高校生でした。兄は洋楽が好きだったので、自然と僕も洋楽好きになり、兄の目を盗んで部屋に潜り込んでは洋楽のレコードばかり聞いていました」
中学に進学した西木さんに、さらに影響を与えたのは、音楽専門番組「MTV(エムティーブイ)」の存在です。
「今もCSで放送されている歴史の長い放送局ですが、当時は民放地上波の深夜枠で番組として放送されていたんですよね。たまたま見ていたMTVで、『USフェスティヴァル』というライブ映像が流れたんです。広い敷地にステージがポツンってあるんですけど、そこでアーティストが演奏していて、たくさんの観客が音楽に熱狂していたんですよね。それを見た瞬間に『なんじゃこりゃあ!』と中学生の僕は衝撃を受けて、慌ててビデオを録画したのを覚えています」
その頃、日本ではまだ野外フェスなどの実例はなく、西木さんが巨大野外フェスに衝撃を受けるのは必然でした。そして、高校に進学。「個性豊かなクラスメイトに恵まれた」と、西木さんは嬉しそうです。
「僕は相変わらず洋楽が好きでしたが、フォークソングなどの新しいジャンルを薦めてくれる友だちもいて、毎日楽しかったですね。ある時、邦楽好きな友だちから『このバンドすごくいいよ』と薦められたのが『BOØWY(ボウイ)』でした」
BOØWYは、ボーカルの氷室京介の力強い歌声と布袋寅泰の華麗なギタープレイが特徴の日本の伝説的なロックバンドです。
「『かっこいい!』と僕は見事にハマったんですけど、ファンになってすぐの高2の冬にBOØWYは解散を発表したんですよね。高3の春に解散前のラストライブがあると知って、チケットを取ろうと思ったんですけど、販売開始10分で完売して…BOØWYの音楽を生で聞くのは叶わなかったんです」
特別な日に見た、下を向いたスタッフ。
西木さんの想いは届かず、その年の夏にBOØWYは解散。傷心の西木さんでしたが、大学受験も近づいてきたため、勉強に励みました。無事合格を決め、大学進学への準備を進めていると、西木さんにこんなニュースが飛び込んできました。
「元BOØWYの布袋寅泰と吉川晃司で結成した『COMPLEX(コンプレックス)』が、札幌でライブをやると決まったんです。そして、奇跡的にチケットも取れたんですよ。それまでも洋楽アーティストのライブは行っていたのですが、そのライブを楽しみにする気持ちとは、また違う感覚でした」
二度とお目にかかれないかもしれないと思ったアーティストのチケットを取れた喜びは、ひとしおだったと想像できます。
「会場の席もしっかり覚えていて、通路側の席だったはず。結構前の方の席だったので、アーティストも近くて、僕は大興奮ですよね(笑)。でもライブ中に、ステージに観客が押し寄せないように警備しているスタッフの人がずっと下を向いていたんです。『俺がこんなに興奮しているライブに、この人は興味がないのか?』と、気になったんですよね」
ライブが終演を迎え、興奮冷めやらぬまま出口に向かうと、ビラ配りをしているスタッフから西木さんは1枚のチラシを手渡されます。
「『WESSアルバイト募集』のチラシでしたね。その時に『あの下を向いていたスタッフはアルバイトだったのか!』とピンときたんです。『これから大学生だし、アルバイトをしようと思っていたからちょうどいいかも』と思い、翌日WESSに電話をかけて面接を希望しました」
観客に最高の2時間を。ずっと変わらない想い。
西木さんがWESSにアルバイトの申し込みをしたのが春。けれども、夏を迎えてもなかなか連絡がきません。西木さんは待ちきれず、自らWESSに再度電話をします。
「経緯を話して、まだアルバイトを希望していると伝えたところ『明日から来れる?』と言われました。驚きましたがアルバイトできることの方が嬉しくて、翌日指定された大倉山の野外イベントにアルバイトとして参加。これが僕の初仕事でした」
仕事内容は、主にステージを組むための機材を運ぶなどの体力勝負な仕事が多かったそうです。イベント前は準備に奔走し、イベント開始後は観客が前に押し寄せないように警備するため、ステージに背中を向けてスタンバイします。
「警備している時は、アーティストに背を向けて、ずっと観客を見ているんですよね。何回かアルバイトを経験していくうちにライブの大きさは関係なく、どのアーティストの観客もみんな必ず笑顔なことに気づきました。『このアーティストの歌を聞きたくて、ずっと待っていたんだな』と、心にグッとこみ上げてくるものがありましたね」
しかし、西木さんほど音楽が好きであれば、アーティスト側に立ちたくなる瞬間もありそうですが…。
「僕は音楽はもちろん好きですが、イベント開催に全力を尽くす縁の下の力持ちたちに魅力を感じていました。照明であれば、アーティストをかっこよく魅せるために。音響であれば、最高の音を届けたいなど、立場は違えど、みんなコンサートをベストなものにするために、一生懸命なんですよ。僕はまだその時アルバイトでしたが、WESSのイベンターが良いイベントにするために、頑張っている姿を見ていい仕事だなって思っていました」
イベンターは、コンサートの企画や会場手配、チケット販売などコンサートを開催に関する様々な工程に関わる人のことを指すと言われていますが、この他にどの範囲までがイベンターの仕事なのでしょうか。
「チケット販売のためのプロモーションもしますし、アーティストの空港到着時のファンの誘導や、空港からコンサート会場への送迎も僕たちイベンターの仕事です。『特効』と言われる、コンサート会場で火花や紙吹雪などの演出を行うのにも許可がいるので、その許可取りなども行いますよ」
他にもアーティストへのケータリングや、会場内での楽屋の割り振りなど、細かい部分までイベンターの仕事だと、西木さんは教えてくれました。
「アーティストに最高のパフォーマンスをしてもらうためには、僕たちが頑張らないと。火花などの特効も札幌会場だけなしなんて、悲しいじゃないですか。ファンは1年とか半年前からコンサートの2時間のために、毎日楽しみにしていることもありますからね。その人たちをガッカリさせたくないと、アルバイト時代からずっと思っています」
北海道の広大な土地で、最高の音楽を。
大学4年間をWESSのアルバイトと歩んだ西木さんも、いよいよ就職を考える時期になりました。
「就活も人並みにしていたんですけど、ある日WESSの社員から『会社にきてくれる?』と連絡があり、会社に行ったんですね。そうしたら『うちの社員になるんでしょ?』といきな
り言われて(笑)。でも、4年間アルバイトを続ける中で大変とかつまらないという感情が全くなかったので、『お願いします』と即決しました」
ところが、入社後の仕事は、西木さんの想像を超えるほど大変だったといいます。
「入社して3年間は死ぬほど働きましたね。先輩社員たちがそれぞれやり方が違っても、結果を出す人たちだったので、正攻法がひとつじゃなかったんですよ。見て学ぶという形だったので、吸収するのに必死でした。でもその時に『西木くんは、乾いたスポンジなんだよ。良い雫も悪い雫も受け入れてぎゅっと絞って、最後に残るのが西木くんのやり方だよ』と、言われたのを覚えています」
入社して3️年が経ち、コンサートの担当をひとりで任せてもらえるようになるなど、メキメキと腕をあげていった西木さん。この頃から少しずつ、北海道の音楽好きにはたまらないあの野外フェスの前身にも関わっていきます。
「まだ野外フェスが日本にはなかった時代から、真駒内で『ロックサーキット』という野外イベントをWESS主催で行っていたんですよ。そもそもコンサートの『開催』だと、アーティストが考えたひとつの形のコンサートを全国各地で行うんですよね。でも、『主催』だと自分たちで立ち上げるので、好きなアーティストを呼んだり演出もできて、オリジナルのコンサートを作ることができるんです。この『ロックサーキット』も、先輩社員が立ち上げて始めたものでした」
その後「ロックサーキット」は、名前を変えて「ワンダーロケット」になり、場所も南区の芸術の森で行うことになりました。
「1998年の『ワンダーロケット』の打ち上げで、東京からきていたバンドのマネージャーと食事をしていたんです。『北海道は広いよね。この広い土地で朝まで音楽を流せたら最高に楽しいよね』とポロッと話がでて…その時に中学生の頃にMTVで見た巨大野外フェスが頭をよぎり、『やってみようか!』となりました。それが、今も石狩で続くRSR誕生のきっかけです」
それから西木さんは、たくさんの観客を収容できる土地を探しに様々な場所に赴きました。WESSにはグループ会社に音響会社があるため、その音響チームを引き連れて、大きな音を流すことが可能かを試しながら、土地を探したそうです。
「候補地で『広いから大丈夫だろう』と思って音を流したら、クレームがすぐに来て、謝罪へ…なんていうこともありましたよ(笑)。場所が石狩に決まってからは、『トイレはいくついるの?』『駐車場はどれくらい必要?』など、規模の大きさにバタバタしながらも準備を進めました」
しかし、場所は決まっても、出演アーティストへの依頼はどうしていたのでしょうか。
「『ワンダーロケット』の打ち上げの時に話をしていたマネージャーと協議をして、その時の日本のロックシーンで一番かっこいいアーティストをセレクトしてお声がけさせてもらいました。アーティストたちにも、楽しそうなイベントと思ってもらえたようで、名だたるメンツに集まってもらえましたね」
こうして開幕したRSRは大盛況。RSRは今年で24回目を迎え、北海道を代表する野外フェスとなりました。
可能性がある札幌なら、音楽で新しいことも。
西木さんのお話からイベンターという仕事の魅力がわかりましたが、実際にイベンターになるにはどのようにしたらいいのでしょうか。
「手っ取り早いのは、イベント会社のアルバイトを始めることですかね。間近で仕事内容を見ることができるので、現実を知って『それでもやりたい』と思えることが大事だと思います。コンサートは夜に開催されることも多いので、時間も不規則になるし大変なことも正直多いです。だけど、僕はこんな面白い仕事はないと思っていますね」
西木さんは、こう続けます。
「デビューしてずっと売れないアーティストがいたんです。『なかなかブレイクしないね』なんて一緒に話しながら、地道に札幌でも活動を続けていて…そうしたら、デビューして6年目に一気に売れて、紅白歌合戦にも出場し、名実ともにトップアーティストになっていたんですよ。こういった過程をアーティスト共に歩めるのも、イベンターという仕事ならではだと思います」
ここで取材班のミーハー心が疼き、西木さんが憧れていたアーティストに会ったことがあるのかも聞いてみました。
「こういう仕事をしているので、そういった質問はよくあるので大丈夫ですよ(笑)。僕が憧れていた方に会ったことありますけど、緊張したのは最初だけでしたね。その方も札幌へライブをしにきていたので、ライブを良いものにすることが重要ですし、それが僕の仕事なのでね。他のアーティストの方もお話することはありますけど、みなさん良いステージにするためにはどうしたらいいかと考えているので、変に意識することはありません」
西木さんの優しい言葉に救われながら、次の質問をします。音楽イベントが多く集まる東京で仕事をしようと思ったことはないのでしょうか。
「全くないんですよね。逆に僕は札幌のサイズ感に可能性を感じることが多いんです。東京だと、例えば新宿や下北沢など地域でコミュニティができていることがありますが、札幌だと中央区の一箇所に人が集まりやすいじゃないですか。みんながそこに集まるので、『いいデザイナーいないかな』と、友だちに言ったら、その友だちの友だちがデザイナーだったりするくらいの規模感が、何かを始めたりするのにちょうど良いんじゃないかなと思っていますね」
西木さんにこれからやりたいことも教えてもらいました。
「音楽と絡めて札幌から面白いことを始めたいですね。北海道は本州に比べて歴史が浅いので、しきたりなども少ないと感じます。なので、しがらみなく自由にチャレンジできる風習なんじゃないかな。だからこそ、新しいことを始めたいし、札幌から海外に向けてアーティストの輩出なんかもしてみたいですね」
実は取材後、様々なアーティストやコンサートのエピソードを話してくれたのですが、会話の根底にあるのは「ファンに喜んでほしい」というゆるぎない気持ちでした。その気持ちがあるからこそ、アーティストも安心して北海道でコンサートができ、ファンも全力で楽しむことができる。そんな素敵な関係性を知ることができた、今回の取材でした。