あしたをつくる、ひと、しごと。

  1. トップ
  2. あんなこと、こんなことフォーカス
  3. 大学芋に銭湯?楽しむ先にある豊かな暮らし。

あんなこと、こんなことフォーカス

大学芋に銭湯?楽しむ先にある豊かな暮らし。

2024.9.16

share

紫色のスカートに、ベージュのパーカーというファッションで取材場所に現れた女性。彼女の名前は、日本・大学芋愛協会の会長、奥野靖子(やすこ)さん。会社員として働きながらも、大好きな大学芋の協会を趣味で立ち上げ、今年で活動12年目を迎えます。さらには「銭湯大使」として、銭湯の認知にも貢献しているとか…。好きなものを愛しぬく奥野さんに、自身の活動や札幌へのUターンについて伺いました。

自分の好きなものを探求し、東京へ。

「今日はさつまいもカラーの服装にしてみました」と、鈴を転がすように笑いながら渡してくれた2枚の名刺。それぞれ「大学芋愛協会会長」と「銭湯大使」と書かれています。初めてみる肩書きに、これはどのような話が聞けるのかと、期待に胸をふくらませながら早速お話を伺います。

奥野さんは、北海道札幌市出身。小さいころから探究心が強く、気になったことはとことん調べる性格だったそう。

「中学生時代、西洋史が好きで、ルイ14世をはじめとする歴史上の人物やその背景について、調べることが楽しく大好きでした。高校進学後も、その情熱は冷めず『大好きな西洋史の研究を続けることができる、西洋史学の大学教授になりたい』と思っていましたが、大学受験に向けての勉強が始まったことで、この夢を見失うことに…」

▲こちらが、日本・大学芋愛協会の会長の奥野靖子さん。

奥野さんは大好きだった西洋史も封印し、勉強に専念する毎日を過ごします。そして浪人期間を経て、北海道にある公立大学へ進学します。

「大学に入学し、楽しい学生生活を送っていたのですが…逆にその楽しい日常の中で『もっとなにかを追求したい』と思うようになってきたんです。大好きだった西洋史から離れ、たくさん勉強して大学に入ったけど、私がやりたかったことってこれなのかな?って思ったんですよね」

奥野さんの中で少しずつ動き出した歯車が回りだすまでに、時間はかかりませんでした。自分が本当にやりたいことはなんだろう?と問いかけていくうちに「マーケティング」という言葉に出会います。

「水産加工会社の見学をした時、案内してくれた社長さんから『マーケティング』という言葉を教わりました。どのような会社でも、お客さまのニーズを分析し、それに合う戦略を立てるのだ…と。その戦略に至るまでの考察は、聞くだけでもワクワクする内容でした。その時から私は『マーケティング』が気になって仕方なくなりました。余計気になったのは、戦略の手段の1つに『広告』があったからかもしれません。私の実家が酒屋だったので、お酒やお菓子の広告ポスターがたくさんある環境で育ちました。なのでボーッと広告を眺めることが多く、『なんでこんな事を書いているんだろう』と気付くと妄想していたりしたものです。その広告にもなにかしらの戦略があり、戦略を考えるコツがあるとしたら、それって面白そう!と漠然と思った記憶があります」

大学1年生の後半には奥野さんは東京にある私立大学の経営学部で、マーケティングを本気で学びたいと考えました。そこで、2年次編入の試験を受け、合格。奥野さんの両親も、挑戦する娘の姿を応援し、東京へ送り出してくれました。

「東京は全国規模の企業がマーケティングを考えている場所と思っていたので、東京に行きたいなと思いました。マーケティングのゼミも予想以上に厳しくもやりがいがあり、マーケティング調査会社でアルバイトもできて、実りある大学生活でした」

楽しみを与えてくれた、黄金のスイーツ。

大学卒業後の進路を考える時期を迎え、就職活動をスタートさせた奥野さん。第一志望だったマーケティング調査の会社は不採用でした。悩んだ奥野さんは、同じくマーケティングを学んでいた大学の先輩へ相談します。

「先輩に相談していくうちに『マーケティング調査の会社じゃないといけない』と頑なにこだわっていた自分に気づきました。『もっと柔軟に間口を広げてみるといい』『自分の想像にはない仕事が合うこともある』と言われ、いい意味で方の力が抜けました。それからは調査だけでなく、調査をもとに企画やアウトプットを考える仕事にもフォーカス。プロモーション企画会社と出版社から内定をいただきました」

▲紫色のスカートに、ベージュのパーカー=さつまいもファッション

奥野さんは、プロモーション企画会社に入社。最初に所属したのは印刷物の製作をおこなう部署で、マーケティングとは直接は関係のない部署でした。

「企画部署に所属したかったな…」という気持ちはありながらも、配属先の部署では、社会人の基礎や仕事への考え方をしっかり教えてもらえたと言います。

「仕事は毎日ミスの連続で、先輩方に迷惑をかけてばかりでした。調査や企画の知識はさておき、そもそもどうすればミスが減るか、少しでもチームに貢献できるかと悩みました。それでもやさしい先輩方に恵まれ、どうにか仕事に慣れ、チームで仕事をする醍醐味を感じられるようになりました」

仕事に悩む日々の中で、立ち寄ったある店の店主さんと仲良くなったことが、奥野さんの人生に大きく影響を与えます。

「私、大学芋が好きで東京の大学芋専門店に通っていたんです。そこの店主さんがすごく面白い方で、『大学芋が好きなら、他のお店で大学芋を食べたら味を教えてよ』と、私に話しかけてくれたんですよ。それから、店主さんに他店の味を報告するのが日課になっていきました」

どのようなことを報告していたのかを聞いてみると…。

「味、形、色、品種…大学芋にかかっている蜜も地域によっては飴だったりするので、その違いなど細かく報告していました。調べ物やまとめることが好きなので、仕事でもがいていた分、自由にマーケティングの真似事のように調査できることがすごく楽しくて…自分が調べた大学芋の分析情報を公開するためにホームページを制作し、2012年に大学芋愛協会を立ち上げました」

今で言う「推し活」に近い活動だと、奥野さんにこやかに笑います。「自分でやるなら好きなだけできる」と、大学芋への愛を爆発させ、東京中の大学芋専門店を巡りホームページで情報を公開し続けます。のちに「すごい大学芋好きがいる」とその噂は、全国へ広がっていき、テレビや雑誌などから取材されるまでに。

「『週末に大学芋専門店を巡るのが楽しみで、平日の仕事を頑張る』といったようなバランスがうまく取れていきました。会社の人たちも『この地域で、大学芋専門店見つけたよ!』と情報を持ってきてくれるようになって、みんなが活動を応援してくれていました」

▲日本大学芋協会のメンバーたち。

ふと訪れた、札幌へ戻るタイミング。

チームで成果をだす仕事にやりがいを感じ、プライベートでの「大学芋への推し活」も奥野さんに良い効果をもたらしたのか、28歳の時に、念願のマーケティング企画部署へ異動に。

「自分の趣味を追求する中で、改めて企画を実施に移す楽しさを実感していきました。一方で元の配属部署でもっと学ぶべきことがあると思っていたので、嬉しさ半分、驚きも半分でした。どんな仕事でもチームプレイであることは変わりはありません。新しい配属先でも厳しくも愛ある先輩方に恵まれ、どんどん仕事にのめり込んでいきました。それから約10年ほど企画部でマーケティングに関わることができ、充実していたのですが、2021年に札幌にいた父が亡くなってしまって…家族のことが気になり『札幌に戻って、家族のそばにいたい』と、心境に変化がありました」

しかし、奥野さんの中では「自分がやり切った、と納得できる仕事」をしてから札幌に戻ろうと、Uターンするタイミングをしばらく迷っていたそう。

「忙しい毎日の中で『やり切った、と納得できる仕事ってなんだろう?』と、漠然と考えながら仕事をしていました。そんな中、団結力の強いブランドチームの一員に加えてもらいました。お客様と毎週のように会議を設け、企画を出し合い、互いに切磋琢磨していき…自分の中で『このチームならばきっといい仕事ができる』と予感していました。お客さまからの言葉がなによりもの励みでした。『奥野さんの考え方が好き』とか、年末に『今年は奥野さんと一緒に考え抜けたので、とてもいい1年になった』など、ありがたい言葉をいただきました。それまでは、企画が実現することを一番のやりがいに感じてきましたが、実現までの過程に夢中になれる環境に恵まれたのです。例えが合っているかわかりませんが、それは学校祭の準備をするワクワクと似ていました。その中で、いくつかの企画が実を結び、チームとしての達成感を感じる中、『きっとここが札幌に戻るタイミングだ』と感じました」

その後、奥野さんは約13年間勤めたプロモーション企画会社を退社。2023年12月に札幌へ戻ります。

「戻ってきてすぐに働きはじめたので、2024年1月から会社員として、札幌で働いています。冬に戻ってきたので雪がすごいなと思いながらも、出勤時に電車が座れるので仕事や大学芋のことを考える時間をゆったりとれるのはいいなと思っています」

▲食祭テラスでのイベントの様子。

札幌に戻ってきても、大学芋愛協会の活動はできているのでしょうか。

「もちろんです!大阪で開催されたさつまいもイベントで、山形県のさつまいも専門店さんから、北見市産の『シルクスイート』という品種を『おいしいから食べてごらん』と勧められたんです。想像以上に甘くてなめらかで美味しかったんです。『北海道のさつまいもをみくびっていた…こんなにも美味しいさつまいもが採れるんだ!』と感動したのですが、山形県の人から教えてもらったことが少し悔しくて(笑)。自分の地元で美味しいさつまいもをもっと見つけたいと思ったことも、札幌に戻ってきた理由のひとつになっているかもしれませんね」

「銭湯大使」の自分も、大事な一面。

大学芋愛協会会長と会社員の他に、奥野さんに関してもうひとつ忘れてはいけないのが『銭湯大使』としての活動です。

「東京の会社員時代、仕事帰りに銭湯に寄ったらすごく癒やされたんですよね。お風呂には、パソコンもスマホも持ち込めないので、自分のペースでゆっくりできて…。当時、女性で銭湯についてブログを書いている人があまりいなかったので、『銭湯OL』として、銭湯の情報や日常を発信するブログを始めたんです。そのうち活動が社団法人銭湯文化協会さんの目にとまり『銭湯大使』に任命していただききました」

▲さつまいもを使用した「入浴剤」を開発。

奥野さんのブログは、銭湯情報の他にも常連さんたちの日常をつづったものもあり、たわいのない会話の中にある人間模様や発見などを発信しています。このブログを見た東京都浴場組合から声をかけられ、今は公認ライターとしてWebメディアや本で執筆活動もしているそうです。

大学芋愛協会もそうですが、情報発信がさまざまな人の目に止まり注目されるのであれば、ビジネス展開も考えられそうですが…。

「大学芋愛協会も銭湯大使も、ビジネスにしようとは考えていません。ビジネスだと収益を考えなければならないので、純粋に楽しめなくなってしまいそうで…。生産者と販売者を繋げてビジネスに発展したことはありますが、あくまで私はお手伝い。大学芋愛協会も銭湯大使も、私が趣味でのびのび活動できるものであってほしいです」

改めて奥野さんにとって、趣味とはどのような存在なのでしょうか。

「人生を豊かにする大切なもの、ですかね。趣味は元気もくれますが、自分自身を知るきっかけにもなるのではとも思っています。例えば、映画好きの場合、様々なジャンルの作品に触れることで、自分の本当に好きなものが何なのかを探求していくことができます。その過程も楽しいですし、選んだ映画は、まさに『自分にとっての最高の映画』だと思うんです。そういった夢中になれる時間は、大人になればなるほど貴重な気がしていますね」

これから、北海道の生産者に会いたい。

大学芋愛協会会長、銭湯大使、会社員…全てが奥野さんの人生で大事な側面であり、充実した人生を過ごすために必要な要素だということが伝わってきます。最後にこれからチャレンジしたいことについて聞きました。

「新しい大学芋専門店を探し巡るのはもちろんですが、北海道のさつまいも生産地を全部回りたいとも考えています。この広大な大地で育つ、まだ見ぬさつまいもを求めて、今からワクワクしているところです(笑)。北海道は移動距離があるので、長い旅にはなりそうですが、美味しいさつまいもに出会えるのを楽しみにしています」

さらに奥野さんはこう続けます。

「それと、さつまいもが食卓に上がる頻度をあげたいのもありますね。じゃがいもに比べて、さつまいもは食卓での出番が少ないので、もっといろいろな食べ方を模索して提供できるようにしていきたいなと思っています。あと、北海道のさつまいもの魅力を、もっと本州の人たちにも届けたいとも思うし…やりたいことがたくさんで、忙しくなりそうです!」

さらに「いずれは、海外へ大学芋を届けるのも…」と、夢をふくらませる奥野さん。取材中、大学芋やさつまいも、温泉について話す時に目が輝いていたのが印象的でした。これからも、仕事と趣味に全力で向き合い、楽しみ続ける奥野さんでいてほしいです。

奥野 靖子さん

一般社団法人さつめいもアンバサダー協会
大学いも担当理事 大学芋愛協会 会長
銭湯大使

奥野 靖子さん

キャラクター