札幌の格闘技界隈で注目されている高校生がいます。16歳でプロのキックボクサーになった小野寺龍亮(りゅうすけ)君です。プロになって3戦3勝中。現在、3月23日に福岡で行われる試合に向けて調整中です(取材日は3月5日)。
そんな龍亮君の妹・朱雀奈(すざな)さんは、3月末にアイドルグループのメンバーとしてデビューが決まっているそう。兄と妹、2人の活躍の背景には、仕事の傍ら空手道場を営む家族の愛情あふれる物語がありました。
今回は、白石区にある道場「無限塾」におじゃまし、龍亮君、朱雀奈さん、2人を支える父親であり師匠でもある明男さんにお話を伺いました。
父は元空手の選手。いじめにあっていた息子とともに再びはじめた空手
地下鉄東西線南郷13丁目駅から徒歩数分のところにある「無限塾」の札幌白石支部。2020年にスタートしたフルコンタクト空手の道場です。
フルコンタクトというのは、防具を着用しない直接打撃の空手のこと(ジュニアは安全面を考慮し、プロテクターやグローブなどを装備します)。

ここを運営しているのは、内・外装工事や美装、リフォームを手掛ける美光装建の代表で、龍亮君と朱雀奈さんの父親である小野寺明男さんです。旭川出身の明男さんは、小学4年生から柔道をはじめ、中学生になってからは少林寺拳法を習っていました。
少林寺拳法の実践性を試すために出場したフルコンタクト空手の大会をきっかけに、空手を始めますが、18歳のときに頭蓋骨骨折という大きなケガを負い、選手として続けることを断念。
「そのあと社会人になって、必死で仕事に打ち込みました。不動産管理会社で物件の原状回復工事の取りまとめを担当していて、その経験を生かして27歳になる年に独立しました。最初は個人事業主からのスタートでしたが、仕事が増えはじめたのを機に法人化して、現在に至るというところですね」

仕事がきっかけで知り合った幸子さんと結婚し、息子の龍亮君が誕生。いつか子どもにも何かしら武道をさせたいと思ってはいましたが、物心がついてからでいいと考えていました。
「小さいうちから無理に始めて、つらくて辞めてしまうようなことは避けたかったので、『面白い』と思えるような年齢になってからでいいかなと当時は思っていたんです」
ところが小学校に入ってすぐ、龍亮君がいじめにあっていると分かります。少しでも心身をたくましくするために、「もう空手を始めてもいいのでは?」という幸子さんの意見もあり、道場に龍亮君を入れることにしました。

当時、明男さんは国家資格の取得に向けて猛勉強中だったため、自分が教える時間がなく、ひとまず道場に預けることにします。
「練習風景をたまたま見る機会があって、その様子を見たとき、あまりにも弱々しくて、これじゃあダメだ!と思ったんです。それで龍亮に『試験が終わった翌日から、父さんと一緒に空手の練習するか?』と聞いたら、『する!』と言うので、翌日から2人で練習を始めました。ちょうど10月でしたね」
明男さんは自身の経験を生かし、基礎から指導にあたります。すると、龍亮君はめきめきと上達。1月に行われた道内の初級クラスの新人戦で見事優勝を果たし、金メダルを獲得します。

めきめきと力をつけ、全国トップクラスの選手になった兄。すると妹も…
いきなり大金星を手にした龍亮君ですが、「実は、僕はこの時点でやり切った感があったのでもう辞めてもいいかなと思ったんです。練習も大変だったし(笑)。でも、せっかくなら続けたほうがいいんじゃないかという父の助言もあり、とりあえず続けることにしました」と話します。
龍亮君は小学3年生から全日本の大会にも出場できるほどに成長し、明男さん自身も空手を再開(白帯からスタートしたそう!)。いつも練習についてきていた妹の朱雀奈さんも空手を始めていたので、親子3人で、当時小樽にあった道場に通いながら研鑽(けんさん)を積みます。明男さんの仕事が忙しいときは、幸子さんが送迎をサポート。

龍亮君は「空手が本気で面白いと思いはじめたのは全日本大会に出て、結果を残せるようになった高学年からですね」と振り返ります。
全日本大会には、各地の同年代の強者たちが一堂に集まり、「いろいろな大会で顔を合わせるうちにみんなと仲良くなるし、彼らにまた会場で会いたいって思うと同時に彼らと戦っても負けないようにもっと強くなりたいと思うから練習にも力が入るようになりました」と続けます。
また、兄の背中を追うように朱雀奈さんも小学1年生から全日本大会に出場するようになります。

「でも、龍亮が努力と実力で全国に行ったのと違って、朱雀奈の場合は運がいいんですよ」と苦笑する明男さん。そばで聞いていた朱雀奈さんも「そうなんです。不戦勝とかで全日本に行けたんです」と笑い、「自分から空手をやるって言ったんですけど、アイドルになりたいと思っていたので、兄と違って小学4年生までは全然真剣に空手に打ち込んでいなくて…」と話します。
「ところが小学5年で突然開花したんです」と明男さん。全日本大会に出場するものの、上位に入ることはなかった朱雀奈さんが全日本3位という好成績を残します。
明男さんは、「その年の全日本大会の会場で、結果発表のアナウンスが流れたとき、小野寺と聞こえて、みんな兄の龍亮かなと思って耳をすませていたら、朱雀奈の名前が呼ばれて、辺りがどよめきました」と笑います。

息子と娘の練習場を確保するためにはじめた空手道場。現在は25人近くが在籍
「2018年に諸事情があり、当時所属していた流派から、現在の函館に本部がある『無限塾』に移籍しました。ただ、練習は今まで通り、小樽の道場を使用させていただいていました」
それが、龍亮君が小学6年生、朱雀奈さんが小学4年生になるとき、その小樽の道場も閉鎖することになります。明男さんは練習できる場所を求めて札幌市内の体育館で空きがあるところを調べ、毎日練習ができる場所へ龍亮君と朱雀奈さんを連れて行きます。「札幌市内の格技室がある体育館は全部行ったと思う」と明男さん。
そんなとき、会社の入っている建物の隣のテナント部分が空きます。「家からも近いし、送迎にかかる時間も考えたら、そこを練習場にしたほうがいい」と判断し、明男さんは道場仕様に改装し、練習場を作ります。

最初は龍亮さんと朱雀奈さんの練習場所と考えていましたが、「小樽に通っていたとき、僕自身ほかの子どもたちの指導をしていたこともあり、せっかくなら僕がやりたいこと、信じてやってきたことを体現できるような道場を作りたいと思ったんです」と明男さん。
そうして、「無限塾」の藤田塾長から、常設道場を開いても構わないと許可をいただき、2020年に「無限塾 札幌白石支部」としてスタートします。
「父は自身の経験もある上に知識も豊富。体の使い方の研究も独自に行っていて、常に体の重心をどこにおくかの大切さを教えてくれました」と龍亮さんが話すと、「僕が空手をやっていた時代と違って、今の空手はスピードも技術も段違い。フルコンタクト空手も武道というより、スポーツ化している部分があるので、勝つためにはどうしたらよいかを常に考え、研究してきました」と明男さん。

スポーツ化していると言っても、基本的な挨拶や武道の心も道場では伝えています。
「武道において礼儀礼節は大事。でも、厳しいあまり、楽しくないと子どもが思ってしまったら、空手は続かないと思うので、僕は頭ごなしに怒ったりはしません。もちろん、きちんと大事な礼儀礼節は伝えていきますが、『楽しみながら強く』をモットーにしています」と明男さんは話します。
大切にしているのは「待つ」ことと言い、「子どもたちがやる気を出す、本気になるのをこちらは待つだけ。無理に強要せずとも、周りの子たちが真剣にやっているのを見ていると、自然とやる気が出てくる子がほとんどです」と語ります。

道場を始めた頃、コロナ禍だったこともあり、生徒はほとんどいなかったそうですが、今では25人近くが在籍。龍亮君、朱雀奈さんに続いて、全日本大会に出場する選手もいるそうです。また、全国トップクラスの成績を残してきた黒帯の龍亮君と朱雀奈さんは、明男さんと共に道場に通う子どもたちに指導もしています。
「大会では、龍亮にセコンドについてほしいという子どもが多いんですよ」と明男さん。現役に近いこともあり、技を繰り出すタイミングの声掛けがドンピシャなのだそう。
ちなみに龍亮さんが得意とする胴回し回転蹴りの動画を見せてもらいましたが、タイミングがとても重要だと素人目にも分かります。龍亮君がセコンドに入ると、ベストなタイミングで子どもたちが技を決められるというのも、何となくですが、理解できる気がします。

空手で習得したことが通用するか試したい。兄はキックボクシングの道へ
さて、空手の世界でトップクラスに君臨した兄と妹。これまでの空手の経験をバネに次のステップへ進み始めました。まずは兄の龍亮君。冒頭で述べたように、現在は高校生でありながらプロのキックボクサーになります。
「中学2年の大みそか、家族でさいたまスーパーアリーナに行って那須川天心のキックボクシングの試合を見たとき、自分もこの世界で戦ってみたいと思ったんです。それで、このリングの上に立つと心に決めました」と龍亮君。
もともと那須川天心のファンだったそうで、「打ち合いをせず、かわしてかわして、カウンターを入れて決めるという彼のスタイルがカッコいいなと思っていて。一発ももらわずに勝つというのが憧れです」と話します。


実は、中学最後の空手の大会(JKJO)で優勝を目指していたもののベスト8に終わってしまい、落ち込んでいたという龍亮君。気持ちを切り替え、高校からはキックボクシングの選手としてやっていくと決意します。
「空手ももちろん続けていますが、選手としては一区切りをつけ、高校生になってキックボクシングに転向。空手でやってきたことがキックボクシングでも使えるということを証明したいという気持ちもありました」と話し、道場で子どもたちに空手を教える傍ら、キックボクシングのトレーニングを始めます。
アマチュアで大会に出場し、11戦10勝という好成績を収めます。その年の12月に行われた全日本の大会(AKC)で優勝すると、LEGENDという団体から試合に出ないかと声がかかります。当初はアマチュアとしての参戦でしたが、「セミプロで出ませんか。いや、やっぱりプロで出ませんか」と話が進み、プロデビューすることになります。

キックボクシングの場合、団体によりますが、プロテストというのはなく、アマチュアで結果を出して団体などに認めてもらえたら「プロ」なのだそう。明男さんは、はじめて1年も経っていないのにプロになることに少し心配もしていたそうですが、「チャンスを逃したくないと思ったので、俺はやるよっ!と答えました」と龍亮君。
そして、3月に行われたプロデビュー戦。デビュー戦から新人王トーナメントに出場します。対戦相手はプロデビューしてから無敗という26歳の選手でしたが、龍亮君は判定勝ち。見事プロ初勝利を手にしました。その後、高校2年生になり、7月には新人王トーナメント決勝に出場して優勝を手にします。さらに12月には本場タイで試合を行い、プロ3戦目にして初のKO勝ちを決めます。
龍亮君のセコンド役はもちろん明男さん。先輩がいる小樽のジムにも週1~2回通ってはいますが、基本は無限塾の道場で練習を重ねています。通っている高校でも龍亮君の活動を認め、応援してくれています。

取材時は3月23日に行われる福岡での試合に向けて減量中ということで、少々きつそうにも見えた龍亮君。減量のために自身で食事の献立を考え、幸子さんに作ってもらっているそう。
「空手をやっているときから、食事のことをはじめ、妻のサポートは大きいですね。みんなを陰でしっかり支えてくれています」と明男さん。話を伺っているときも後ろのほうで家族をニコニコ見守り、写真撮影の際、一緒にどうですかと声をかけても「いえいえ、私はいいので」と首を横に振る控えめな幸子さん。本当に陰で支えているという印象です。
「3月が終わったら、次は6月1日に札幌で試合が予定されています。プロになってから地元で初の試合なので、頑張らないと」と龍亮君。明男さんは、「年間に4~5回、試合ができたらと考えています。本人は高校を卒業したら、プロ1本でやっていくと決めているので、今のうちに基盤をしっかり作れたらと思っています」と話します。

小さい頃からの夢を叶える第一歩。妹はアイドルとしてデビューが決定
さて、次は妹の朱雀奈さんの話です。小さい頃からアイドルになるのが夢で、いつもそれを口に出していたという朱雀奈さん。
「地域のおまつりのカラオケ大会にも、お母さんが作ってくれた衣装を着て出場していました」と話します。幸子さんの影響もあり、昭和の歌謡曲などをよく聞いていたそうで、カラオケのステージでレベッカのフレンズを熱唱している姿を動画で見せてくれました。

笑顔で受け答えしている姿を見ていると、空手のジュニアランキングで3年連続北海道チャンピオンを獲得した強者には見えませんが、持ってきてくれた胴着には優勝者らしか付けることが許されていないワッペンがズラリ。
全国トップクラスの空手選手ならば、練習に明け暮れていたのでは?と思いますが、「空手の活動もしながら、アイドルのオーディションも受けていました」と朱雀奈さん。
今月末にデビューが決まった朱雀奈さんが所属する事務所は、北海道で活躍するローカルアイドルらを育成しているライブプロ。今はデビューに向けて、日々歌や踊りのレッスンを行っている最中。そしてその合間を縫って、道場に通う子どもたちの指導もしているそう。


「空手をやっていてよかったなと思うことのひとつに、どんなステージに上がっても物怖じすることなく、堂々としていられることがあります。あとは、空手の練習以上にキツイものはないと思っていて(笑)あの練習を乗り越えられたのだから、何があっても大丈夫という自信が付いたこと」と朱雀奈さん。
隣で話を聞いていた明男さんは「小さい頃から、1対1で対戦するという真剣勝負を続けていると、相当な度胸はつくと思います」と笑います。
空手を続けてきたことが大きな自信に。家族の物語は次のステージへ
兄と妹、それぞれが違う道へ歩み出していますが、根っこにあるのは父の指導、母のサポートのもとで続けてきた空手。厳しい練習を乗り越え、本気で空手と向き合い、トップにまで上りつめたからこそ、それが大きな自信になっているのが分かります。
龍亮君は、「小学校の低学年のときは、痛いし、怖いし、やめたいと思ったことも何度もありましたが、今、空手を極めたことは自分にとって誇りです。だから、また次にチャレンジができる」と話します。

最後にひとりずつこれからの夢を伺いました。
明男さんは、「人生まだまだこれから先が長いわけだから、自分としては業界的には厳しいけれど会社を維持して、安くていいものをお客さまに提供していきたいと考えています。そして、社員たちにとって魅力ある会社にしていきたいと考えています。道場に関しては、ここに集まってくる子どもたちには、人前に出ても物怖じしない、何事にも負けない心の強さを得てもらえたらと思いながら、指導にあたっていきます。さっきも言いましたが、『楽しみながら強く』ですね」と話してくれました。
龍亮君は、「今は目標が2つあって、ひとつは知名度を上げること。テレビの地上波でやる大きな試合に出られる選手になりたいです。そして僕が那須川天心に憧れたように、誰かにそう思われるような選手になりたいですね。もうひとつは、無敗で勝ち続けていくこと。目の前の試合をひとつずつしっかり勝っていきたいですね」と力強く語ってくれました。

朱雀奈さんは、「大きい夢ですが、目指すのはメジャーデビュー。大舞台で歌って踊りたいし、みんなが笑顔になれるようなアイドルになりたいですね。まずは、デビューして、この子のファンになりたいと思ってもらえるように自分を磨き、魅力ある人間になりたいです」と最後まで笑顔で答えてくれました。
まだまだ続く小野寺ファミリーの物語。これからの動向が気になるという方は、兄妹がやっているYouTubeや、道場のインスタなどをぜひチェックしてみてください。