ふわふわ熱々のシウマイを楽しむことができる、シウマイ専門店「シウマイハヤマデタベルモノ」を経営する大村哲也さん。実は札幌の有名ラーメン店「山嵐」の創始者でもあります。さらに、この店舗には、木彫り熊の専門店も併設されており、こちらのオーナーも大村さんです。シウマイと木彫りという異色の組み合わせについてや、「山嵐」の誕生秘話など、「商売が好き」と語る大村さんにお話を伺いました。
挫折の中で、夢だったラーメン店をオープン
北海道網走市出身の大村さんは、札幌で有名なラーメン店「山嵐」をオープンさせた人です。しかし、飲食の世界で成功するまでの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
高校を卒業して進んだ先は、自衛隊。特にやりたいこともなかったという大村さんは、親にすすめられるまま入隊したそうです。しかし、自衛隊での生活になじめず、訓練中に負った足のケガをきっかけに、わずか半年で退職。退職後は、北海道網走市でさまざまな仕事を経験しました。
「どの仕事をやっても、『この仕事を僕は、一生続けられるのだろうか』と思ってしまい、半年以上続くものはありませんでした」
そんな大村さんが、「やってみたい」と思う仕事に出会ったきっかけは、先輩が一人で経営するバーでした。もともと料理をするのが好きだった大村さんは、そのバーを見て、いつか自分もこんなかっこいい店を持ちたいと思ったそうです。

「当時はインスタントラーメンぐらいしか作ったことはなかったんですが(笑)。それでも料理の仕事をやろうと思って、札幌に出てきました。ただ、何も分からないまま来てしまって。とりあえずアルバイトを募集していた居酒屋の厨房で働き始めました。そこで実際に料理を作ったときに、これなら一生やっていけると思ったんです」
しかし、働き始めて半年ほど経った頃。先輩が新たに網走で飲食店をオープンすることになり、大村さんはその手伝いのために一度札幌を離れることになります。そこで厨房を任されることになったものの、大きな挫折を味わうことに。
「今思えば、考えが甘かったんです。居酒屋で半年バイトしただけで、まともな料理を作れるわけがありませんよね。2~3年頑張りましたが、とうとう限界が来てしまい、辞めさせてもらいました」
大村さんは再び札幌に戻り、2軒の中華料理店で経験を積みます。そして、「まだ早い」という周りの反対を押し切り、独立を決意。平岸に、餃子の専門店をオープンさせました。

「当時、札幌にはまだ餃子を食べながら飲めるような店が少なかったんです。その頃から、どうせやるなら誰もやっていないことをやりたいという気持ちが強かったんですよね。そもそも僕は料理人になりたかったわけではなく、商売をしたかったんです。周りにどれだけ無理だと言われても、絶対にうまくいくという確信があった。ただ、それは大きな勘違いだったということを後で思い知ります(笑)」
若さゆえの勢いで開業した餃子屋は、問題だらけでうまく行かなかったと大村さんは話します。3日間お客さまが誰も来ないこともあったそう。思い描いていたことと現実とのギャップがあまりに大きく、大村さんは人生最大と思えるような絶望を味わいます。
しかし、1年ほどたった頃、転機となる出来事がありました。
「澄川にすごく美味い家系ラーメンの店ができて、自分の店が終わった後に毎日通っていました。実は、子どもの頃から、ラーメン屋になりたいとは思っていたんですよね。でも、ラーメンで商売するのは難しいだろうなと思ってあきらめていました。そんなことを店長と話していたら、『やりたいならやればいいじゃん』と言われたんです」
ラーメン店の店長のひと言がきっかけで、大村さんの中に再びラーメンへの情熱が湧き上がります。そして、子どもの頃の夢だったラーメン店をやろうと決意。このとき誕生したのが「山嵐」でした。

ラーメン店を後進に任せ、次のステップへ
ついに、子どもの頃の夢を叶えた大村さん。「山嵐」という店名にはどのような意味が込められているのでしょうか。
「『山嵐』というバンドがあるんです。割とハードなロックを演奏するバンドなんですが、背脂こってりで荒々しいうちのラーメンのイメージにぴったりだと思い、名前を使わせてもらいました」
山嵐が爆発的な人気店となったのは、本店がある現在の場所へ移転した後のことです。全国放送のテレビ番組で紹介されると、たちまち100人ほどの行列ができる店になりました。そして、大村さんは2店舗目のオープンを決意します。

「お客さんを長時間待たせるのが申し訳なくて、それならもう1店舗作ろうと思ったんです。当時の従業員たちも、誰もが店長になれるくらい優秀なメンバーだったので、今ならいけると思いました。ただ、大きな店を作るつもりはなかったので、あえて7席だけの小さな店にしたんです。すると、そこにもまた、めちゃくちゃお客さんが来てくれました」
そして、3店舗目を藤野に出店。しかし、次第に大村さんの中で違和感が生まれ始めます。
「どんどんお客さんが来てくれるうちに、いつの間にか初心を忘れてしまっていました。大きな商業施設にテナントとして出店したり、海外にもフランチャイズ展開したりして、気づいたら自分のやりたいこととは違う方向に進んでいたんです」
ラーメン店を広げていきたいという思いより、広げなければいけないと考えるようになっていたと話す大村さん。そんな中、コロナ禍になり、一度立ち止まって今後のことを考え直してみたといいます。

「事業として店舗を増やしていくのは当然のことです。でも、自分はそういうタイプではない。やりたいことを、やりたいときに自分でやるタイプなんだと気づいたんです。社長業よりも、自分が前線に立って好きなものを生み出していく方が性に合っている。それをあらためて思い出したので、思い切って店を従業員に任せることにしました」
従業員がしっかり育っていることも後押しになったと語る大村さん。店を離れることに寂しさはなかったのでしょうか?
「正直、山嵐については、すべてやりきったという感覚です。お客さんに喜んでもらえたし、カップラーメンとして商品化までされました。ラーメンでやりたかったことは全部叶ったので、寂しさはなかったですね。それより、これから自分はどのようにあり続けるのかを考えていました」

シウマイと木彫り熊との出会いで人生が一変
大村さんが新たな挑戦として選んだのは、シウマイ専門店。蒸したての手作りシウマイを楽しめる「シウマイハヤマデタベルモノ」をオープンしました。
「実は、餃子屋をやっていたときもシウマイを出していて、評判が良かったんです。それがずっと頭の片隅にありました。それに、シウマイを専門にしている店がほとんどなかったので、これはやってみたいなと思ったんです」
シウマイを選んだ理由には、コロナ禍での飲食業界の事情も影響したと話します。
「コロナでテイクアウトが増えましたが、ラーメンはそれが難しかった。でもシウマイならテイクアウトや冷凍販売ができるし、人手が少なくても運営できると思ったんです」

シウマイハヤマデタベルモノの店内には、木彫りの熊が展示されているスペースがあります。「シウマイが出来上がるまで、木彫りの熊を楽しんでもらいたいんです」と語る大村さん。なぜ木彫りの熊を展示することになったのか、その理由が気になります。
「コロナ禍で、飲食店が生き残るために何かしなければと考えていたときに、ギャラリーカフェをやってみるのはどうだろうと思ったんです。まずは絵を見てみようと、たまたま入った画廊で木彫りの熊が売られていました。その熊がすごく良くて、思わず買ってしまったんです」
木彫りの熊の魅力に惹かれていろいろ調べていくうちに、熊を彫っている作家の存在を知った大村さん。なんと実際にその作家さんのもとを訪ねていったそうです。
「そこで、ものすごい衝撃を受けたんです。そこからですね。それまで木彫りなんてまったく興味がなかったのに、まさに人生が変わりました」

北海道には海外からの観光客もたくさん訪れ、お土産として木彫りの熊を買っていく人も多いそう。それ自体はうれしいことですが、国内から木彫りの熊がどんどん減ってしまうことに寂しさも感じると大村さんは話します。
「北海道中を回っていろいろな作品を見ていると、この作家さんの作品はもうほとんど残っていないということが分かるんです。だからこそ、今ある作品を自分が買い取って残していきたいと思うようになりました」
木彫り熊に関しては、商売が目的ではないと話す大村さん。昔から商売をしたいと思っていた大村さんが、あえて商売ではないことをやろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
「コロナで一度立ち止まったことです。山嵐から離れ、シウマイ専門店を始めたときから、自分の人生はガラリと変わりました。木彫りの熊との出会いもちょうどその頃でしたし。木彫りの熊については、未来に残したいという、もはや使命感に近いかもしれません。職人さんもみんな70代、80代の方ばかりで、伝統的なしきたりが厳しく残る世界でもある。でも、会って話をすると喜んでくれるし、僕自身も昔話を聞くのが楽しいんです。むしろ、何も知らない自分だからこそ、木彫りの熊という文化を残せるのではないかと思っています」

手間暇をかけてこそ、人を感動させるものが作れる
シウマイハヤマデタベルモノがある定山渓は、札幌でも人気のある観光地。ところが、お店をオープンする際、大村さんはそのことをすっかり忘れていたそうです。
「最初は南区の豊滝地区にお店を開いたんですが、山の中だったのでお客さんが全然来なかったんです。移転先を探していたところ、たまたま紹介されたのが定山渓でした。そのときは、移転先がやっと見つかったということで頭がいっぱいだったんです。いざ開店してみると、海外からのお客さんが多くて、そういえばここ、観光地だったんだって(笑)。最初は戸惑いましたが、皆さんとても喜んでくれて、ここに移転して良かったと思っています。自分の作ったものを世界中の人に食べてもらえるなんて、なかなかないことですからね。言葉が通じなくても、おいしいという気持ちを身ぶり手ぶりで伝えようとしてくれるのがすごくうれしいです」
大村さんが作る「シウマイ」は、ふわふわと柔らかい食感が特徴です。
「シウマイって個性を出すのが難しい食べ物なんですよ。スープを入れたら小籠包になってしまうし、ニンニクを入れたら餃子になる。だから、個性を出すには食感や香辛料で、他店と差をつけるしかないと思ったんです」

ふわふわ食感の大村さんのシウマイは、海外のお客さんからも大好評。「今まで食べた中で一番おいしい」と言われることもあるそうです。シウマイ店をやっていて、どんなときにやりがいを感じるか聞いてみました。
「観光地ってほとんどのお客さんが一度きりの出会いなんですよ。二度と会わないかもしれない人が、一生懸命『おいしい』って伝えようとしてくれる。おいしかったとしても、言わなくてもいいことじゃないですか。それをあえて伝えてくれる瞬間が、この仕事をしていて一番うれしいときですね」
シウマイ作りには、手間と時間がかかると話す大村さん。それでも、その手間を惜しむことはありません。
「時間をかけ、心を込めて作っているからこそ、お客さんに喜んでもらえる。たしかに仕込みは大変ですが、そのくらい頑張らないと、人を感動させるものは作れないんじゃないかと思います」

定山渓を拠点にシウマイの味を広めたい
大村さんに、これからやっていきたいことを尋ねてみました。
「お客さんに喜んでもらえる美味しいものを作り続けていきたいです。ラーメン、シウマイ、木彫り。この3つができたら最高ですね」
シウマイで2店舗目を出す可能性は?

「もっと多くの皆さんに、味を知っていただきたいという思いはあります。だからといって、以前のように、とにかくたくさん店を出したいという気持ちはありません。何店舗も出すのではなく、ここをベースにして味を広めていきたいと思っています。日本で一番有名なシウマイにしたいですね」
木彫りの熊についてはこう語ります。
「今はシウマイ店の一角に木彫りを置いていますが、できれば、もっとちゃんとしたギャラリーを作りたいと思っています。北海道の文化を知ってもらえる場所にしたいですね」
定山渓はとても居心地がよく、これからもこの場所で商売を続けたいと話す大村さん。今は札幌からも離れるつもりはないと話します。札幌の魅力について聞くと、子どもの頃の思い出を聞かせてくれました。
「札幌には小学生の頃から遊びに来ていて、ずっと憧れていました。ニッカのビルや狸小路を見たとき、すごく都会的だなと思ったんです」

今や、札幌は海外からも多くの人が訪れる観光地。商売をやってみたい人にとっても始めやすい街だと、大村さんは続けます。
「例えば、北海道ラーメンは、『北海道』のラーメンだから食べたいと思ってもらえる。観光地としての魅力も大きいですよね。それに、東京に比べて家賃も安く、商売を始めるための資金もそこまでかからない。田舎に行けばもっと家賃は安いけど、人も少ない。その点、札幌はバランスがすごくいいんです」
大村さんは、「やりたいことをやりたいときにやる」タイプだと、ご自身のことを話していました。しかし、やりたいことが見つからないという人も多いはず。そんな人たちに向けて、大村さんはこう語ります。
「仕事をしていて、お客さんに喜んでもらえたら、自分も楽しくなるじゃないですか。商売でも、お客さんが喜んでくれるからこそ、お金が入ってくる。だから、まず何をしたら人に喜んでもらえるかを考えるのが一番いいと思います。自分に置き換えてみれば分かると思うんです。自分がいいと思わないものにはお金を払いたくないですよね。もし、それでもどうしても分からないというときは、自分の得意なことをやるのが一番いいと思います」
ラーメン店で成功を収めた後も、こだわりのシウマイや木彫りの熊など、常に自分の心が動くものを追い求めてきた大村さん。「やりたいことをやりたいときにやる」という言葉に、背中を押されたような気持ちになった人もいるのではないでしょうか。こだわり抜いたふわふわのシウマイが、これからも多くの人々に愛され、世界中の人々に届くことを願っています。
