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クラシックをもっと身近な音楽にする。お話し好きのピアニスト

2024.3.14

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クラシック音楽を身近なものにして、より多くの人に親しんでもらおうと札幌で活躍する女性がいます。札幌市在住の小野寺あいさんはハンガリーで音楽を学んだピアニストで、2019年から音楽団体「music in art」の代表として活動しています。

music in artのコンサートでは、演奏の前に、楽曲にまつわるお話をやさしく解説してもらえるのが特徴。作曲家のこと、絵画や文学といった芸術とのかかわり、また、曲が作られた当時の社会や文化などを知ることで、演奏される音楽をいっそう味わい深いものにさせてくれます。

カフェや幼稚園のある教会などでもコンサートを行い、クラシック音楽とmusic in artのファンを増やしている小野寺さん。「ネガティブなことも、すべてエネルギーにかえてきた」という彼女の生き方とmusic in artを立ち上げた理由、現在の活動とこれからの展望についてお聞きしました。

「常に挑戦」、ひとりでクラシック音楽を広める団体を設立

冬の晴れた日、札幌市南区の「小野寺あいピアノ教室」に向かいました。小野寺さんは、2人の男の子のママ。ピアノ教室を営み、ピアニストとしての演奏活動もしながら、music in artの代表としても活躍しています。

「私ひとりで企画から事務的作業までをこなしています。夜中まで演奏者の楽譜づくりをやるときもあります」と答える小野寺さんからは、力強いバイタリティを感じます。

music in artでは、主に2つの活動をしています。ひとつは「札幌コンサートホールkitara(キタラ)」など 市内のさまざまなコンサートホールで、演奏曲の解説が入ったクラシックコンサートを開催すること。

例えば、この4月に札幌時計台ホールで行われる「混乱の時代から未来へ~世紀末の作曲家が見た世界」というコンサートでは、19世紀末の戦争や政治の混乱期につくられた楽曲を集めるなど、よく知られた曲ばかりではなく、さまざまな時代背景の中で作られてきた、あまり聴かれない名曲も演奏しています。

今回、取材させていただいた小野寺あいさん。

集客には苦労するけれど、常に挑戦的でいたいという小野寺さん。あえて、メジャーではない曲を広めたいという理由については、こう話してくれました。

「絵画で例えれば、モネやゴッホの有名な絵は好きだけれど、同時代のちょっと分かりづらいような絵は、サッと見て通り過ぎる人が多いですよね。でも、実はその絵画こそ、美術史では重要で、有名な作品とも関連性があったりするんです。それを私は知ってほしいし、その背景も伝えたいのでmusic in artを立ち上げました」

小野寺さんのお話は、お客さんだけでなく、共演者やスタッフの人たちからも好評を得ているとか。これからもいろいろなクラシック曲を知ってもらえるように、挑戦を続けたいと小野寺さんは話します。

気軽に寄れるカフェや交流スペースも拠点に、ファンが広がる

music in artのもうひとつの目的は、クラシック音楽をより多くの人に、気軽に親しんでもらうこと。そのために、地域の教会やカフェ、コワーキングスペースなどを拠点に、ソロまたは少人数でのコンサートやイベントを行っています。

例えば、豊平区にある「COCO(ココ)スペース西岡」では、「クラシック音楽が描くアートの世界」という連続イベントを開催。こちらは小野寺さんの解説がメインで、歴史に残る音楽家の人生や作曲に影響を与えた文学、絵画などについてお話ししてくれます。

「音楽はあらゆる芸術と深くつながっている」というコンセプトのもと固定のメンバーは持たず、北海道内で活躍中の演奏家と共にクラシック音楽の面白さを広めるため、様々なクラシックコンサートを企画、運営しています。

「私が留学したハンガリーでは、曲を弾くときには作曲家のことやその時代や社会、文化などを学んでおくのが当たり前でした。そこで、クラシックにまつわるちょっとした面白い話題や、人間味のある音楽家の生活など、たくさんのことをお話しするようにしています」と小野寺さん。

music in artの活動をきっかけに、クラシック音楽に興味を持つ人や、コンサートに足を運んでくれるファンが少しずつ増えているそうで、確かな手ごたえを感じています。ホールから飛び出してコンサートやイベントを行うことで、小野寺さんが変わっていった部分もあります。

例えば、質のよい音楽を届けるならグランドピアノでの演奏をと思っていたのを、クラシック音楽に触れてもらう人の裾野を広げるために、会場に電子ピアノを持ち込んで演奏をするようにもなりました。

また、赤ちゃんと一緒に楽しめるコンサート、障がい者やその家族向けのコンサートなど、普段はなかなか音楽の催しに行けない人向けに生の音楽を聴いてもらう活動もはじめました。

定期的にコンサートで訪れる障がい児のための施設では、「最初は無反応だった子どもたちが、2回目にはノッてきて、3回目には踊りだす子もいたりと、すごく変わってきたんです」と、音楽がもたらす効果を実感。

「やはり、いろんな方に生の音を聴いてほしいんですよね。演奏者だけじゃなくて、お客さんが一緒になることでその場での音楽や空気感が生まれるので」と話してくれました。

音楽に対する姿勢が変わったハンガリーの留学時代

「クラシック音楽は難しいイメージがあるかもしれませんが、作曲家は『変わり者』ばかりで、知れば知るほど楽しくなるんですよ」と、いたずらっぽく笑う小野寺さん。

「自分のちょっとした失敗も『あの作曲家に比べれば大したことはない』って思えてきます」と話すご自身の、これまでのストーリーをお聞きしてみました。

札幌を中心に道内各地でソロ活動や伴奏者として活躍。

小野寺あいさんは、札幌市南区の出身。父親の転勤の関係で、小学生時代は喜茂別(きもべつ)町で暮らし、その後は札幌に移って地元の中学校、高校に通いました。ピアノは4歳のときから母親の手ほどきを受け、小学生からはピアノの先生について習っていたといいます。

札幌で教えてもらったピアノの先生からは「ピアノの道に進んだら?」というお話があったそう。そのころ、札幌に来ていたハンガリーの先生のレッスンも受けることになり、同国への留学を勧められます。

それほど、ピアノが大好きだったんですね…と思えば、もともとは、お母さまの希望でピアノを習っていたこともあり、当時は「練習が大っ嫌いで、保育士になろうかなと考えていた」とか。

しかし、高校2年生のときに、与えられた課題曲に感動したことをきっかけに、みずからピアノの道に進むことを決心します。小野寺さんの人生を変えたのは、どんな曲だったのでしょうか?

「シューマンの『謝肉祭』です。30分ぐらいの長い曲なのですが、いろんなキャラクターが出てくる短い曲で構成された、ファンタジーの世界なんですね。そのキャラクターもシューマンが創り出したものがいたり…。この音楽をCDで聴いたときにものすごく感動して、難しい曲だけれど早く弾けるようになりたい!と。それからはピアノに対してより想いが強くなりました」

その後、ハンガリー国立リスト音楽院の試験に合格。高校卒業後にひとりで初めての国際線の飛行機に乗ってハンガリーに渡ります。師事した先生は英語や日本語を話せたものの、普段の生活は全く習ったことがないハンガリー語。

こちらが、小野寺さんがハンガリーに留学した際に購入した、思い出の詰まったシューマン「謝肉祭」の楽譜です。
小野寺さんが刺激を受けた、数々の音楽。

「空港ぐらいなら英語は通じるんですが、生活する上ではほとんど通じませんでした。例えば、スーパーでは野菜を袋に入れて自分でグラムを量って…というシステムが分からず、スーパーの店員さんに英語で尋ねても、言葉が通じないので売ってさえもらえない。最初の1週間は、日本から持ってきたインスタントみそ汁などで、なんとかしのいでいました」

リスト音楽院では、「30曲を次回のレッスンまでに覚えておく」など厳しい日々ではありましたが、学ぶことの基本的な姿勢に日本との決定的な違いを感じたといいます。

「日本では、とにかくピアノに長時間向き合うことが大切とされてきました。でも、リスト音学院では『いろいろなものに触れることが音楽の練習で、勉強にもなる』と言われて、公園を散歩したり建物を見たり、美術館や国立劇場に行ったりと、あちこちを見て回っていたんです。私が滞在していたブダペストでは、学生だと展覧会やコンサートのチケットが無料か格安で手に入るのでいろんな芸術作品を鑑賞することができましたし、アートが身近な環境で、私にとってはすべてが新鮮でした」

演奏への情熱でアルバイトを掛け持ちする日々

まちの散策とアートを楽しみながら、ハンガリー語も話せるようになり、さらに上のレベルのコースへ進むことを予定していた小野寺あいさん。まさに上昇気流に乗っていたところでしたが、ご家庭の都合により2年間で帰国することになります。

札幌に戻った後は、某有名音楽教室で講師を務めながら、空いた時間はアルバイトを掛け持ちしていました。その理由の一つは、演奏活動を続けたいから。

「例えばメンバーでお金を出し合ってkitaraのホールを借りてコンサートをする、そういった活動のためにお金が必要でした」と小野寺さんは話します。経験したバイトは、喫茶店に居酒屋、レコード店、結婚式場のスタッフ、宅配便の仕分けとさまざま。

ようやく慣れてきたハンガリーの留学生活から、突然の帰国、そしてアルバイト漬けの日々。大変ではなかったですか?と聞けば、「私は逆境ほど燃えるタイプなんです」と明るい答えが。苦労しながらも、みずから演奏の機会をつくって顔と名前を覚えてもらったことで、次第にコンサート出演へのオファーが来るようになりました。あきらめずに続けていたことが、実を結びます。

やがて結婚、妊娠した小野寺さんは、新居で夢のひとつだったピアノ教室を開きます。ちょうど同じころ、協議委員を務めていた北海道立近代美術館での音楽コンサートを提案して実現、ピアノコンサートは大盛況となりました。このことをきっかけに、クラシック音楽をより多くの人に知ってもらおうと、音楽団体music in artを設立します。

「私がつくったmusic in artのコンセプトは『音楽はあらゆる芸術とつながっている』です。芸術だけじゃなくて、政治や社会、関わった人物など、いろいろなものが混じり合って、ひとつの曲が生まれているんですね。音楽家なら誰でもこういったことを調べた上で『理解』するのですが、music in artでは、私がお客さんにも伝えてから演奏することで、たくさんの人にクラシック音楽に親しんてもらい、より深く感じてもらえるようにと思っています」

2月、4月、6月にコンサートを開催します。クラシック音楽が描くアートの世界を体感してみませんか?

「話し好き」と、クラシック音楽への愛を強みに

私より素晴らしいピアニストはたくさんいる、そう小野寺さんは話します。

「でも、あるときに、とても尊敬しているチェリストの方から『あいさんの、音楽が好きな気持ちは絶対に負けないでしょ?』って言われたんですよね。自分でも本当にそうだと思いましたし、落ち込んだ時にはこの言葉を大切に思い出しています」

いまでは、『話すことが、いちばんの強み』だという小野寺さん。music in art だけでなく個人での活動も多くなり、札幌のお隣、北広島市にある北広島混声合唱団、北広島少年少女合唱団の専属ピアニストも務めています。また、八剣山(はっけんざん)ワイナリーに招かれて行ったピアノ演奏は、印象に残ったコンサートのひとつだと語ってくれました。

「小学校のときは喜茂別町の山育ちだったので、景色が素晴らしいワイナリーでの演奏がとてもうれしかったですね。それに、ワインと音楽ってすごく似ていると思うんですよ。時間をかけて出来たものを味わって、ひとの人生を豊かにするというところが共通していると思います」

一生かけて、どれぐらいのクラシック作品を演奏できるか。これにも挑戦したいと話す小野寺さん。だいたいの曲数を尋ねれば、「ひとりの作曲家で、何百もの作品をつくっていたりしますから(笑)」と、さらりと答えます。クラシック音楽にかける彼女の情熱は、とどまるところを知りません。

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小野寺あい

music in art代表、小野寺あいピアノ教室主宰

小野寺あい

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