「今日はなんでも聞いて下さい!」と明るい声で、声をかけてくれたのが自転車専門店「サムズバイク」の松浦奈美さん。二カッと笑う笑顔が印象的な、快活な女性です。このサムズバイクは、夫の松浦修(おさむ)さんが1991年にオープン。夫婦二人三脚でお店を切り盛りしていましたが、2016年に修さんが他界します。それからは奈美さんがお店を支え、今に至ります。サムさんのお話やお店を続けた理由などを、奈美さんに伺いました。
出会う前のふたり。
松浦奈美さんは、千葉県出身。喋ることが大好きで、高校時代は接客のアルバイトに精を出していました。そこで高校の先生から「卒業後は、デパートで企画宣伝の仕事をしてみないか?」と、東京のデパートへ就職を勧められます。
「企画宣伝という名前ですが、催事場の案内など接客がメインでした。バブル真っ只中で、世の中全体の景気が良く、デパートにも人が溢れかえっている時代だったので、にぎやかで楽しかったですよ。夫のサムさんと出会ったのも、このころですね」
サムさんは修さんの愛称。奈美さんをはじめ、お客さまからもサムさんの愛称で慕われていたので、私たち取材班もサムさんと呼ばせていただくことに。
札幌市出身のサムさんは、奈美さんより10歳年上で、東京へ大学進学のため上京。同時に音楽活動も行い、プロとして活動しますが、他のプロミュージシャンと肩を並べた時に、実力の差を感じ挫折。
「ミュージシャンを諦めた時、サムさんは自転車屋でアルバイトをしていたんですよね。このお店は、アメリカのマウンテンバイクを販売しているお店でした。自転車はヨーロッパの文化ですが、当時アメリカでは最先端の自転車が作られていて、かっこいい自転車が多かったんです。サムさんはアメリカ製のマウンテンバイク、BMXを通して、いつしかその文化にも惹かれていきました」
店長の計らいで、サムさんはアメリカでの展示会に同行させてもらえることに。見るもの全てが刺激的なアメリカにサムさんは虜になり、この土地と関わる仕事がしたいと思うようになりました。
「最初は、『ただアメリカに行きたい、仕事がしたい』という気持ちの方が強かったようですが、何回か渡米するうちに『アメリカで見るかっこいいマウンテンバイクやBMXを販売するお店を札幌に作りたい』という気持ちに変わっていったと聞いています」
第一印象は、「変な人」?
「サムさんの話ばっかりしてしまいましたね」と少し笑い、奈美さんはサムさんとの出会いを話し始めます。
「サムさんの友達と私の友達が恋人同士で、『サムさんに彼女を作ろう』と飲み会をセッティングしたんです。だけど、相手の子が来れなくなってしまい、代打で連絡をもらったのが私でした」
奇しくも4人での飲み会はスタート。奈美さんにサムさんの第一印象を聞いてみると…。
「変な人だなって思ってました(笑)。その日雨が降っていて…帰り際、サムさんが私にタクシー代を渡して、アウトドアブランドのピンク色の派手なレインコートを着て自転車で帰っていく姿を見送ったような記憶があります。今みたいにアウトドアブランドの洋服がメジャーな時代でもなかったので、『なんでこんなに派手なんだろう』と、第一印象は良くなかったような気がしますね」
奈美さんはその時、恋愛感情は湧きませんでしたが、翌日サムさんから『ちゃんと帰れた?』と電話がありました。それから連絡を取り合うようになり、自然と交際へ発展していきます。その後、順調に交際を続け、奈美さんが20歳の時にサムさんからこう打ち明けられました。
「『マウンテンバイクのお店を、札幌で出したい』『地元にマウンテンバイク・BMXを広めたい』と、言っていましたね。東京のプロショップ「BMXRIO」での約3年の修業を終え、サムさんは札幌に戻り、1991年にサムズバイクをオープン。私はその時サムさんに付いていかなかったので、札幌と千葉の遠距離恋愛も同時にスタートしました」
「その2年後に『札幌に来てくれる?』とサムさんから連絡があり、結婚を申し込まれました。父は最初、自営業のサムさんとの結婚に反対していましたね。母も少し反対していましたが、サムさんに会うとその人柄に惚れて結婚に賛成。父もその様子や、実際にサムさんと会って話をしたことで最終的には結婚に賛成し、快く送り出してくれました」
始まった札幌での生活。
周りの祝福を受けながら、奈美さんはサムさんが住む札幌へ1993年に移住します。
「知り合いもいないし、雪はすごいしで、最初はなんてところに来てしまったんだ!と思いましたよ(笑)。でも、サムズバイクに来店してくれるお客さんたちと話すようになって、輪が広がっていき自然と札幌に馴染んでいきました」
しかし、ここで豪雪地帯で自転車屋を営む宿命を肌で感じることになります。
「冬は自転車が全く売れないんですよね。冬季だけ除雪機販売に転換する自転車屋もあるみたいなんですが、『うちはそれをしたくない』とサムさんと話していて…そこでスノーボードも好きなサムさんは、スポーツ専門店に『冬だけスノーボードを取り扱わせてくれないか』と打診しました。結果は断られてしまったのですが、帰ってきた時に『向こうも本気でスノーボードを販売していて、俺が手を出せる領域じゃない』と言っていたんです。おそらく生半可な気持ちで販売するのが申し訳ないと、相手への尊敬の意味もあって販売を諦めたんだと思います」
それからは、冬でも自転車を販売するために視点を変えようと決意。「マウンテンバイクを雪道でも乗れるように」と、オリジナルスパイクを作り、マウンテンバイクを楽しんでいました。
この動きが追い風となったのか『北国でこれ乗ってみない?』と、ある会社から一本の連絡が…。
「『スノースクート』という、雪上を滑ることができる自転車とソリを合わせたような乗り物を大阪の会社が輸入したんです。サムさんも『面白そうじゃん!』と、ノリノリでした。スノースクートがお店に到着後、興味があるお客さまたちと一緒に月寒公園で乗り心地を試したんですよ。『日本で初めてスノースクートを取り扱ったのは、サムズバイクかもね』と笑いながら、楽しい時間を過ごしました」
こうして、夏はマウンテンバイクとBMX、冬は雪道対策用のタイヤスパイクとスノースクートという、サムズバイクの2本柱が完成。この時、サムズバイクはオープンから6年が経過していました。
「やっとお店も落ち着くかな?と思った矢先に、1997年の北海道拓殖銀行の経営破たんがあり、景気は悪化。一気にお客さまが減り、ただ耐え忍ぶことしか、私達にはできませんでした。サムさんも昼は接客、夜は自転車の組み立てを行って、休まずにずっと働き続けていましたね」
さらにサムさんは、無理がたたり体調を崩してしまいます。病院を受診したところ、そのまま2週間の入院へ。サムさんの身体の心配もありますが、奈美さんはひとりでお店を営業するプレッシャーも同時に湧いたと言います。
「自転車の組み立てが、私はできないんです。自転車は、ひとつひとつお客さまに合わせて組み立てます。サムズバイクはカスタマイズできるものが多いので、パターンがいくつもある中で、組付けを間違えたり、締めるのが緩かったりすると事故に繋がることも…。組み立てには、熟練の技と知識が必要なんですよね」
そこで助けてくれたのは、なんとサムズバイクのお客さま。サムさんと互角に渡り合える技術や知識がある方がいました。日中は本職がある方なので、仕事終わりにサムズバイクに寄り、夜な夜な自転車の組み立てを手伝ってくれたそう。
「他にも、みなさんご厚意で手伝ってくれて…本当にありがたかったです。サムさんも無事退院し、サムズバイクの今後を考えた時に、『人を雇おう』と決断。スタッフを雇ったことでサムさんも夜まで働くことはなくなり、夫婦ともに少しだけゆっくり過ごせるようになりました」
にぎやかで穏やかな日常。
体調もすっかり良くなり、時間に余裕ができたサムさんに心の変化が訪れます。それは「趣味で楽器をまたやりたい」というものでした。
「『まわりは趣味で自転車を楽しんでいる』というのが、サムさんの心をまた刺激したんでしょうね。サムズバイクの営業終了後に、すぐにギターを抱えて音楽友達のカフェに行き楽器を奏でていました。音楽を純粋に楽しめることに、サムさんはすごく嬉しそうだったのを覚えています」
サムさんの人柄で音楽仲間はどんどん増えていき、音楽イベントの開催を企画します。しかし、肝心の場所が決まらず開催は難航しました。
「みんなで場所決めをしている時に、サムさんが『サムズバイクがあるじゃん!ここでやろう!』と声を上げたみたいです。ただ、うちはただの自転車屋なので、音楽イベントができるような電気設備はありません。でも、仲間の中に電気工事関係の方がいて、『音楽イベントやりたいんだけど…』と相談して、電気設備を工事してもらっていました」
夏は自転車販売の繁忙期なため、音楽イベント開催は冬が多かったそうです。雪で足下が悪いにも関わらず、イベントは大盛況。サムさんを慕っていたBMX乗りの若い子たちがイベントに来た時は「お金はいいから見ていきなよ」と、声をかけている姿をよく見たと奈美さんは話します。
「『サムズバイクがみんなの居場所になったらいい』と、サムさんは考えていたんだと思います。私もサムさんのそんな姿を見ているのが好きでしたね。ただ音楽イベントは全く儲けがでなくて、まさに自転車操業でした(笑)」
再び生活の中で音楽が鳴るようになり、公私ともに松浦夫妻は平穏な日々を過ごしていました。2010年ごろには「ピストバイク」や、タイヤが太く雪の上でも走りやすい「FATBIKE」にサムさんが惚れ込み、サムズバイクで取り扱いを始めます。
「この頃から1年を通して売上も安定してきていたので、ゆっくりサムさんと時を重ねていける毎日に幸せを感じていました」
サムさんとの別れ。
「俺、長くは生きれないかもしれない」
2015年ごろから、サムさんはこの言葉を口にするようになったと言います。
「『俺が死んだら、これはこの人に…』と、私の行く末を心配しているような言葉が増えていきましたね。私はそこまで重く捉えないように心がけて『備えておけば、万が一そういうことがあっても安心だね』と、返事していました」
他にもサムさんから『自分が好きなことをやってみたら?』と、奈美さんが好きなことを始めることを勧められたと言います。
「その言葉を受けて、サムズバイクオリジナルブレンドのコーヒーを作りたいなと考え始めました。サムさんが過労で入院したときに『私は自転車も組めないし、なにもできないな』と感じていたのを、もしかしたら気づいていたのかな。『いいじゃん!いいじゃん!』と笑顔で褒めてくれて、嬉しかったですね」
それから2016年を迎え、サムさんは毎年3月開催の東日本大震災復興ライブのリハーサル中に倒れました。3月13日に大好きなベースを抱えながら、音楽機材にもたれて亡くなったそうです。電話で一報が入った奈美さんは当時のことをこう振り返ります。
「『こういうことか…』と、ピンときたという表現があっているかわかりませんが、サムさんがそれまで私に伝えていたことの真意がわかった気がしました。すぐに通夜の手配などが始まり慌ただしくなっていたので、あまりその時のことは覚えていないのですが、サムさんのお母さんにこの事実を伝えるのはすごく辛かったのは、鮮明に覚えていますね」
通夜には沢山の人が詰めかけ、道路が渋滞するほどに…。通夜や告別式を終えて、奈美さんが一番最初に考えたことは「サムズバイクをどうしようか」ということでした。
「サムさんからは『お店は閉めていいから』と言われていました。でも、サムズバイクのことを誰よりも愛していたのはサムさんだったから、なくなってほしくないとは思っていなかったはず。なので亡くなってから約1週間後、3月21日がサムズバイク25周年だったので、それに間に合うようにお店を再開しました」
再開後、店内に溢れかえるお客さまの姿を見て、奈美さんは「人との絆という財産をサムさんは残してくれたんだ」と、心の中で感謝したそう。無我夢中で営業を続け、2018年に現店長の皿井(さらい)さんとの出会いもあり、サムズバイクは大幅リニューアルを決意します。
「最初はサムさんの仕事を引き継ぐことで精一杯だったのですが、徐々に私が自転車の展示会やイベントに参加させてもらう機会が多くなり、自分で考えて動くことが増えていきました。そうすると少しずつ、『私のサムズバイクをやりたい』と思うようになっていったんです」
リニューアルは、その第一歩。それからも周りの人に支えられ、今日までサムズバイクは営業を続けてこれたと奈美さんは言います。
寄り道しながら、これからも。
これからのサムズバイクについて話を聞くと、50代に入った奈美さんは、最近よく「サムズバイクの今後」を考えるようになってきたと話します。
「皿井店長も私も年を重ねて、サムズバイクをいつまで継続していけるのかなとたまに思うようになってきました。誰かに譲るにしても、サムズバイクという名前に縛られて継承みたいなのも、うちらしくないのかなって。なので、60歳まではとりあえず頑張ろうかなと思っているけど…続けてきたからこそ、出会えた人もたくさんいるので、なかなか決めれないんですよね」
出会えたひとりに、2021年からサムズバイク内で『弁当・惣菜 shio(しお)』を営む石尾恵さんがいます。
「友人を介して『お弁当屋さんをやりたいんです』と、可愛い子がきたなと思ったのが恵ちゃんです。サムズバイクに使用していない厨房があったので、『そこで良ければ使って!』と即OKしました。彼女とは、自分たちの好きなことを話したりして、他愛のない会話に癒やされますね。あとは作るお弁当がものすごく美味しいので、胃袋もガッチリ掴まれています(笑)」
恵さんはサムさんがいたサムズバイクを知りません。少しずつサムさんがいた頃が過去になっていくことは怖くないのでしょうか。
「怖くないですよ。それはきっと、変化しているサムズバイクを応援してくれるお客様や仲間がいてくれること。そして今もサムさんが見守ってくれていると感じるからですね」
最後に奈美さんへ、個人的にこれからやりたいことを伺ってみました。
「サムズバイクオリジナルコーヒーも完成し、美味しいおやつとコラボしたいなとか、町をツーリングしてスタンプラリーの開催とか。お店がある月寒を盛り上げるお手伝いをしてみたいなど、やりたいことはたくさんあります。よく『サムさんが亡くなっても、前向き』と言われることがあるんですが、決して前向きじゃなくて、私は目の前にある道をただ進んできただけな気がしますね。寄り道もするし、キョロキョロすることもあるけど、歩くのだけは止めなかったから、今があるのかなと思います」
「個人的にやりたいことにサムズバイクが絡んでいるので、70歳までお店延長ですね」と、伝えるとニヤリと笑った奈美さん。これからもサムズバイクには、その笑顔が長く続いているはずです。