「ミモザ」の屋号で活動するフリーランス保育士兼ベビーシッターのまあこさん。「『まあこ先生』と親しみを込めて呼んでほしくて、下の名前のまあこと名乗っています」と少しはにかみながら呼称の由来を教えてくれました。柔らかな空気感をまといながら表情が豊かに変わり、とっても自然体なまあこさんですが、実はフリーランスの保育士に転向するまでは、固定観念にとらわれることが多くネガティブだったそう。その経緯や、フリーランス保育士になろうと思ったきっかけ、現在の活動について伺いました。
周りに合わせることに必死だった子ども時代
まあこさんの生い立ちは、福岡県福岡市で始まります。父親の仕事の都合で、幼い頃から転勤が多く、小学校卒業まで九州内を行き来する生活を送りました。そして、中学1年生のときに家族で札幌への転勤が決まります。友達と離れる寂しさを感じながらも、「転勤族の家庭だから仕方ない」と子どもながらに割り切ろうとしていたそうです。

「周りの友達は泣いていたけれど、私自身は『ついて行くしかないんだな』と思っていました。札幌の中学校では、すでに出来上がっているグループに飛び込むのがつらかったですね。一生懸命楽しく過ごしていたつもりでしたが、今思うと周りに合わせなきゃと必死でした」
この頃からまあこさんの中では「こうしなければいけない」と考えてしまうことが多かったといいます。
高校に進学後、バレーボール部に所属したまあこさん。進学先はバレーボールの強豪校で、監督は厳しい人だったそうです。
「電車の中で泣きながら帰ったこともありました。でも、このときも『自分はここにいなければならない』と思い込んでしまっていたので、辞めるという選択肢はなかったんです」
ただ、高校では信頼できる先生や初めて心を許せる友人との出会いもありました。「子どもの頃から保育士が夢だった」と先生や友人に打ち明けたところ、「まあこならできるよ」という言葉に後押しされ、友人と一緒に保育園のインターンシップに参加。高校卒業後は短大に進学し、保育士の資格を取得します。

「四年制大学に行くことも考えましたが、2年間勉強して現場に出られる短大の方を選びました。早く保育士として働きたいという思いが強かったんです。短大卒業後は、札幌市内にある幼稚園に入社しました。保育園じゃなく幼稚園を選んだのは、私自身が子ども時代に幼稚園に通っていて、すごく楽しかったからです。そこで出会った大好きな先生とは、今でも手紙でやりとりしているぐらい。私も幼稚園で働いてあんな先生になりたいと思いました」
不妊治療のつらさを乗り越え第1子を出産
まあこさんが就職した幼稚園は、当時全園児数が430人という、いわゆるマンモス園。さらに、教育方針にもこだわりがあり、仕事はかなり大変だったと振り返ります。
「園児たちが成長する姿や楽しんでくれる表情を見れることにやりがいはありましたが、私が勤めていた幼稚園は週ごとにカリキュラムがあったので、それをしっかり行わなければと必死でしたね。保育が終わってから、翌日の準備や会議などもありハードでした」
毎日が慌ただしく過ぎていき、入社してから4年ほどたった頃、まあこさんは中学校の同級生だったご主人と結婚。結婚後、自分が妊娠しにくい体質だということがわかり、薬の服用による不妊治療を始めました。ところが、思った以上に副作用が強く出てしまい、仕事をするのもままならない状態になってしまいます。

「吐き気やめまいがひどく、職員室で休ませてもらうことが多くなったんです。これでは仕事を続けるのは難しいと思い、退職を決意しました。仕事を続けたい気持ちはありましたが、子どもを授かりたいという思いの方がその時は強くなっていましたね」
幼稚園を退職すると決めたものの、専業主婦になるイメージが湧かなかったと話すまあこさん。しかし、不妊治療の通院があるため、長時間働くのは難しいと思っていたそうです。
そこで、短時間で働ける仕事はないかと求人を見ていく中で、保育園の勤務にシフト制があることに気づきます。「シフト制の園であれば、短い時間で働けて、子どもたちと関わることもできるかもしれない…」、そう思ったまあこさんはいくつか保育園を見学し、自宅から徒歩通勤できるエリアの保育園に正社員で転職しました。
「不妊治療の病院は、通院のタイミングが読めないことが多いんですよね。保育園に転職してからは、病院にも通いやすくなり、子どもたちとも関われたのでうれしかったです」
さらに、転職先の保育園ではクラスを受け持つことができました。そこで、幼稚園時代との保育の違いに驚きを隠しきれなかったと話します。

「自分がやりたい保育を提案すると受け入れてもらえることが多くて驚きました。もちろん、ある程度やることは決まっていましたが、幼稚園ほどきっちりしたカリキュラムはなかったので、今日は『天気が良いからお散歩に行きたいな』と思えば、園から許可がでればそれもOKでした。それに、保護者の方がお迎えに来た時に今日の保育の様子を伝えることができるので、しっかり保護者の方と関わりが持てることも私には魅力的でした」
こうして、保育園で働き始めたまあこさんは、2年目に念願の第1子である長男を妊娠。産休育休を取得後、長男が1歳1カ月になると時短勤務に切り替えて復帰します。
「夫は、朝早くから夜遅くまで仕事だったので、ほぼワンオペ育児。復帰後は、家事・育児・仕事と全て1人でやっていたので大変でした。なんで私ばっかり…と思ったこともありますが、実は自分から望んでやっていたところもあったんです。『母親である私がやるのが当たり前』と思ってしまい、子どもの頃からの『こうじゃなきゃいけない』という考え方がここでも出てしまっていました。今思えば、夫に『もっと助けて』と言えばよかったんですよね」
自分を追い込んでしまっていたまあこさん。しかし、育児そのものへの不安はなかったと話します。
「目の前にいる我が子がただただ可愛かったんです。当時は、この子とこんなに向き合っていられるんだから、子どもは1人でもいいかなと思っていました。でも、息子が3歳になったときに、兄弟がいればもっと幸せになるかなと思い、不妊治療を再開したんです」
3つの思いを実現するためフリーランスに転向
自身でも体質改善に取り組みながら不妊治療を再開したまあこさん。やがて、第2子となる次男を妊娠します。しかし2人目の妊娠ではひどいつわりを経験し、体重が8キロほど落ちたそう。気持ち的にも限界がきていたものの、仕事をまっとうしなければと考えて、またもや自分を追い込んでしまっていました。


「あまりのつわりのつらさから、毎日仕事が終わると、母に泣きながら電話をしていました。そうしたら母が『仕事を休んでもいいんじゃない』と言ってくれて。初めて休職してみようと思ったんです。夫からも休んだ方がいいと言われ、体調が落ち着くまでの2カ月間休職しました」
その後、第2子を出産し、育休に入ります。そして、出産後9カ月ほどして短時間のパート勤務に切り替えて職場復帰を果たします。
「勤務時間が短くなって気持ち的には余裕ができたものの、物足りなさも感じるようになりました。パートだと担任の先生にはなれないんですよね。保護者の方との関わりも十分にできなくて、もどかしい思いがありました。そんな状況が続き『もっと保育がしたい!』という思いが徐々に募っていきましたが、ちょうど長男が小学生になるタイミングで、学校から帰ってくる時間には家にいてあげたいという気持ちもあり…フルタイムで働くのは難しいとも思っていました」
「もっと保育がしたい」「もっと保護者と関わりたい」「子どものために家にいてあげたい」
この3つの思いが実現するきっかけとなったのは、とあるSNSの投稿でした。

「SNSで、『ベビーシッター』という言葉を見たんです。たまたま見かけたフリーランスの保育士さんの投稿でした。その頃はまだ保育園を辞めようと思っていなかったんですが、その方とお話をする機会があったときにビビッ!と来たんですよね。『ベビーシッターって子どもだけじゃなく、実は保護者支援も含まれているんだよ』という話を聞いて、私がやりたいのはこれかもしれない!って思ったんです」
SNSで偶然見かけた「ベビーシッター」という言葉がきっかけで、フリーランスの保育士になることを決めたまあこさん。独立することに不安はなかったのでしょうか。
「ベビーシッターを派遣している会社に所属した方が、生活は安定しますよね。でも、私は周りに人がいるとどうしても合わせようとしてしまうので、自分らしい保育ができなくなると思ったんです」
その後、まあこさんは保育園を退職し、フリーランスの保育士として歩み始めます。
フリーランスになって知った頼ることの大切さ
早速まあこさんは、札幌市内の保育園の管理などをする「札幌市子ども未来局」に居宅型の認可外保育施設として登録し、フリーランス保育士の仕事をスタートさせます。とはいえ、集客のノウハウなども全くない状態。2カ月ほどかけてフリーランスとしての働き方などを学びながら、ベビーシッターのマッチングアプリにも登録して、仕事をする土台を整えていきました。

「最初のお客様は、マッチングアプリから依頼してくださった方です。ご主人が単身赴任で奥様が1人でお子さまを見ていらっしゃる家庭でした。1人で世話をするのは大変だったので、ベビーシッターをお願いして本当に助かったと言われたのがすごくうれしかったです」
現在は、マッチングアプリのほかに、SNSを通じて依頼してくれる方も増えてきたといいます。さらに、「フリーランス保育士まあこ」という存在を知ってもらうために、自身で企画した保育イベントなどを開催し精力的に活動の幅を広げています。
ただし、どんな仕事も稼働するのは子どもが学校から帰ってくる午後2時まで。「まあこ先生に夕方も依頼したい」という声や、もっと長時間働いているフリーランスの保育士もいる中で、ジレンマを感じることはないのか聞いてみました。
「最初はありましたが、今はないですね。やっぱり無理に働いて自分が崩れてしまうと、元も子もなくなってしまうし、ほかの人と自分は違うというように考えられるようになりました」
フリーランスの保育士になってから、働き方だけでなくマインドも大きく変わったとまあこさんは語ります。

「私は、よく人から『なんでそんなに自信がないの?』と言われるほど自分に対してネガティブでした。でも、フリーランスになっていろいろな経験をしたことで、少しずつ自分に自信を持てるようになったと思います。それに、子どもの頃からの『こうじゃなきゃいけない』という考え方も変わりました。自分は1人じゃないんだって思えるようになってきたことで、人に頼ることの大切さを知りましたね」
ママたちの心のよりどころになりたい
教育や保育方法など、子どもに特化するベビーシッターが多い中で、まあこさんが重視しているのは、保護者の支援。ママたちの心のよりどころになりたいという思いを持っています。
「自分の休みのために子どもをベビーシッターに預けるのは、悪いことじゃないんです。仕事が理由じゃなくても、リフレッシュのために子どもを預けるママはたくさんいます。パパやご家族に頼るのと同じように、ベビーシッターも頼る先の選択肢の1つとして考えてほしいですね。考え方を変えるだけで、見える世界も変わってきますよ」
まあこさんにとって、ベビーシッターの仕事の楽しさとはどのようなことなのでしょうか。

「毎回どんな保育をしようか考えるのも楽しいんですが、保育中のお子さまの様子を保護者の方に伝えるのがすごく好きなんです。保護者さまとはメッセージアプリでやりとりしていて、お預かりしていた間の様子を、文章の他に写真や動画を添付して細かくお伝えしています。お子さまが言っていた言葉の一言一句も逃さず伝えたいと思うので、ついつい長くなってしまうんですが(笑)、撮影した写真は、コラージュにして最後にお渡ししています」
保育中の様子を伝える文章は、メッセージアプリの画面3スクロール分ほどになることもあるそう。添付する写真も10枚以上になるといいます。
逆に、仕事で大変だと思うことはないのでしょうか。
「仕事で大変と感じることはありませんが、自分や息子の体調不良で予約をお断りしなければならないときは、申し訳なくて心がえぐられるような思いです。代わりのシッターを紹介することもありますが、『まあこ先生にお願いしたいので、また今度お願いしますね』と優しい言葉をかけてくれる方が多いです。すごくありがたいですよね。以前の私なら、自分がなんとかしなくちゃと無理してしまうこともありましたが、今は『自分自身を大切にしながら、自分が今、出来ることをしていきたい』と考えられるようになりました。そこもフリーランスになって変わったことの1つですね」

高校時代に辛い思いをしたバレーボールも、今は仕事の合間にママさんバレーに参加して自分のペースで楽しんでいるというまあこさん。プライベートも自然体で過ごせている様子を教えてくれました。
やっと自分らしくいれる心のあり方を見つけたまあこさんは、今後はどのような仕事をしていきたいと思っているのでしょうか。
「漠然とですが、いつかママたちが気軽に来て話をできるような場所をつくれたらいいなと考えています。女性って誰かと話すことで自分の存在価値を見出すところがあると思うんです。私も1人で仕事をするのは好きだけれど、限界もあると思うので、いつか心から信頼できる人と一緒に仕事ができたら最高ですね」
ついて行こうと必死だった中学時代まあこさん。フリーランスになってからはありのままの自分で会えるようになり、今では友人たちもまあこさんが開催するイベントに来てくれているそうです。屋号の「ミモザ」の花言葉でもある「感謝の気持ちを今後も大事にしていきたい」と晴れやかに話す姿が印象的でした。
