アクセサリーデザイナーのayakoさんは、2018年に自身のブランド「icoro(イコロ)」を立ち上げ、ハンドメイドアクセサリーを制作し販売しています。言語聴覚士として働いていたキャリアからハンドメイドを始めるきっかけとなった北海道富良野市での生活や、コロナ禍を経て起きた自身の心境の変化。そして、今ハンドメイド作家を目指している人たちへのメッセージなどを伺いました。
夫の転勤で北海道富良野市へ移住
札幌市東区出身のayakoさん。転勤族の家庭で育ち、小学生の頃は高学年になるまで東京で暮らしていました。
「東京に行く前は岩内に住んでいたので、東京に移り住んでからのギャップがすごくありました。例えば、東京のエスカレーターの速さについていけなくて、母も私も乗るのが怖かったことを覚えています(笑)」
札幌に戻ったayakoさんは、東区の中学校に通い始めます。好きな科目は美術だったと話すayakoさん。この頃からクリエイティブなことに興味があったようです。
「造形より絵を描くのが好きで、水彩画や漫画、アニメなど、いろいろなものを描いていましたね。部活には入らず、ずっと漫画を描いたり読んだりしていました」

在学時に、就職に向けての職場見学の機会があり、リハビリに携わる人達が働く職場へ見学に行くことに。
「リハビリを行う人たちの中でも、特に言語聴覚士の人が働いている姿に惹かれたんですよね。『私も同じように働いてみたい』と思い、言語聴覚士を目指すことにしました」
高校卒業後は、札幌市内にある言語聴覚士の専門学校に進学し、必要な資格を取得するために勉強に励みます。無事資格を取得し卒業後は、札幌市にあるリハビリテーション医療を中心とした病院に就職。そこで、言語聴覚士として勤務します。
「患者さんは高齢者が多かったですが、20代の若い方もいらっしゃいました。事故や病気からの回復をサポートする仕事はやりがいがありましたし、楽しかったです」

しかし、在職中に結婚したayakoさんは、ご主人の転勤が決まったことで、仕事を退職し、富良野へ移住することになります。さらに、自身も第一子の妊娠が判明。結婚するときからご主人の職種柄「転勤は覚悟していた」と話すayakoさんですが、知らない土地に移ることに不安はなかったのでしょうか。
「富良野に知り合いはいませんでしたし、子育てするのも初めてで、生活がガラリと変わりました。ただ、富良野はとても住みやすい街で子育てもしやすかったです。ちょうど自宅がフラノマルシェの向かい側にあり、まるでマルシェがうちの庭みたいな感覚でした(笑)児童館などの施設も充実していましたね」
育児が少し落ち着いたら言語聴覚士の仕事に復帰しようと考えていたayakoさんですが、現実は思い通りにいかなかったそうです。
「復職を考えていましたが、夫もまたいつ転勤になるか分からなかったので、復職のタイミングがつかめなかったんですよね」

家で1人、コツコツと作り始めたアクセサリー
ayakoさんがアクセサリー作りを始めたのは、富良野に移り住んで少し経ってのことでした。その始まりは意外なもので…
「富良野は、車がないと行動範囲が限られるんですよね。私は免許を持っていなかったので、徒歩圏内で何かしようと思っても、できることは限られていました。子どもが寝て少し時間が空いても、やることがなくて持て余していて…。そこで、自宅でも作れるハンドメイドアクセサリーを始めてみようと思ったんです」
当時、ハンドメイドアクセサリーが少しずつ流行り始めていたものの、まだ自分の作品を販売している人はそれほど多くなかった頃。ayakoさんはなんとなく「今ならいけるんじゃないか」と感じたそうです。そこで、親子お揃いでつけられるブレスレットを作り、オンラインのハンドメイドマーケットに出品してみることにしました。


「ちょうどその頃、ビーズや紐を組み合わせた『ラップブレスレット』というアクセサリーが人気だったんです。それを親子お揃いで楽しめるものにしたら面白いんじゃないかと思いました。金具がないから小さい子がつけても危なくないですし、性別関係なくつけやすいかなと思って。まだ親子お揃いのものがあまり出回っていなかったこともあり、マーケットで反応してくださる方は多かったです」
車の運転ができず買い物に出られなかったayakoさんは、インターネットで材料を購入し、自宅で黙々と作業に励みました。外に出て人と会わない生活は、苦にならなかったのでしょうか。
「なかったですね。1人でコツコツ作業するのが好きでしたし『ハンドメイドアクセサリーを仕事にしたい』という想いで作っていたので。いつ夫が転勤になるか分からない状況や、子どもが小さい中でも、自分で働く手段を持っていたかったんです」

誰かの宝物になるものを作りたい
アクセサリー作りも順調で、オンラインのハンドメイドマーケットでの売上も好調だったayakoさん。しかし、目下の悩みはご主人の転勤のタイミングでした。
「今年こそ夫の転勤の辞令が出るだろうと思っているうちに、富良野での生活は4年経っていました。その間に第二子を授かり、家族4人での生活になったのもあり、生活基盤をどこに置くのかはやっぱり気になるところでしたね。その後、富良野から一度札幌に戻ったものの、今度は小樽に転勤になって。そこから1年後、札幌に戻りました」
子どもたちの進学や居住環境を考えて、札幌に定着を決めたayakoさん。ついに自身のブランド「icoro(イコロ)」を2018年に立ち上げ、アクセサリーデザイナーとして開業します。「icoro」とは、アイヌ語で「宝物」という意味を指す言葉。自分で作ったアクセサリーが、誰かの宝物になってほしいという思いを込めてつけたそうです。

さらに、その頃からayakoさんが作るアクセサリーは、親子お揃いでつけられるものから、大人向けのデザインへと変わっていきます。
「子どもたちが成長し、だんだん大人らしくなってきたので、親子お揃いのモデルができなくなったのがきっかけです。もともと、どんなデザインでも作るのが好きで、それを誰かに届けたいという思いがあったので、ジャンルには特にこだわりはありませんでした。アクセサリーのトレンドも時代によって変わるので、そのときにみんながかわいいと思うものを作りたいんですよね」
その頃も、ひたすら家にこもってアクセサリーを作っていたと語るayakoさん。販売経路はネット通販だけだったので、誰にも会わない生活が続きました。1人で黙々と作業するのは楽しかったものの、札幌での生活が落ち着いてくるにつれて、人に会いたいという気持ちが生まれてきます。
「戻ってきてすぐは、子どもたちも小さかったですし生活もバタバタしていて、イベントなどのお誘いが来てもお断りすることが多かったんですよね。でも、ずっと家にこもっていると洋服も適当になっておしゃれもしなくなってきて…これは良くないなと思ったんです」

しかし、その頃世間ではコロナ禍になり、ayakoさんの仕事にも影響が出始めます。マスク生活が続く中でおしゃれへの関心が薄れ、アクセサリーを購入する人も少なくなっていき、当然ながら売上は大きく減少しました。
「コロナの1年目は大変でした。マスクをしているとチェーンやピアスが、マスクの紐に引っかかってしまうんですよね。それでピアスをつけない人がすごく増えました。そのことに気づいてからは、マスクにおしゃれでつけるマスクチェーンの制作に切り替えて、なんとか続けていた感じです」
コロナ2年目以降になると、世間にも少し余裕ができて、イヤリングやピアスでおしゃれしようという人も増えたといいます。また、イベントの開催も再開され、ayakoさんも出展するようになりました。
「コロナ禍に入る直前に、イベントに出たことがあったんですけど、そのときは、楽しい半面、人見知りな性格もあって自分には向いていないかもと思ったんですよね。だけど、コロナ禍があったからか人と話したいという気持ちが強くなって出展を決めたんです。イベントに出展してみると、やっぱりお客さまの反応を直接見られるのはいいなと思いました」

パーツから選べるオーダーメイドなスタイルへ
イベントには200点以上の作品を持っていくというayakoさん。作品はすべて一点物のデザインばかりをそろえているといいます。さらに、お客さまが石やチェーンなどのパーツを自由に組み合わせて作れるのも特徴です。
「パーツを1つずつ選んでいただき、オーダーメイドのアクセサリーを作っています。アクセサリーデザイナーが増えてきた中で、自分にしかできないことをやってみようと思ったのがきっかけです。パーツから選べるので、金具も自由に変えることできます。なので、ピアスにもイヤリングにもできるんですよ。パーツの種類が多ければ、それだけ組み合わせの幅も広がっていくので作っていても楽しいんです」
イベントに参加するとayakoさんのブース前では、知らないお客さま同士がパーツを見ながら「これもいいね、あれもいいね」と話しながら選ぶこともあるそう。そんな光景を見るのも楽しいとayakoさんは語ります。また、知り合いやSNSを通じてオーダーメイドのアクセサリーを作ってほしいと依頼されることもあるそうです。

「結婚式に参列するので、ドレスに合うアクセサリーを作ってほしいというリクエストが多いですね。撮影会でモデルさんがつけるアクセサリーを作ったこともあります。そのときは、世界観に合ったデザインを考えてほしいと依頼されました」
オーダーメイドの依頼があったときは、デザイン画を描くものの、自分のオリジナル作品を作るときは思いのままに作り始めるのがayakoさんのスタイル。アイデアが出てこないときも、作っているうちにイメージが形になるといいます。
「たくさんあるパーツとにらめっこしながら、『君はどんな感じがいいかな?』なんて考えながら作っています(笑)。似ているデザインになることもありますが、パーツの大きさがほんの数ミリ違うだけで、つけたときの印象が全然違うんです。中には、かわいくできたと思ったのに写真に撮るとそうでもなくて、残念ながら世に出ずに終わってしまうものもあります。そういう子たちは、私の手で解体して、またパーツに戻してあげています」

ピアスやイヤリングなら、1時間あれば1つ作れてしまうと話すayakoさん。しかし、作品の写真撮影や動画編集まで全て1人でやっているので、販売するまでにはかなりの時間がかかるそうです。
「それでも、自分がイメージしたものが、自分の手の中でできていくのはすごく楽しいです。どんな作品も、完成すると毎回『かわいい!』と自分で言っています(笑)」
「いつか」ではなく、「今」やることが大切
子育て中に、家の中でコツコツとアクセサリー作りを始めたayakoさん。今では他の作家とコラボイベントを開催するなど、活躍の場を広げています。今後はどのようなことを考えているのか聞いてみました。
「よくお客さまからも言われるのですが、パーツや完成したアクセサリーをかわいらしくディスプレイしたり、収納したりできるものがあればいいなと思っています。私自身は作れないので、小物の制作をしている作家さんとコラボできたらいいですね。革やガラスなど、どんな素材でもよいので、それぞれの良さを引き出せるようなものを作ってお客さまに見ていただきたいです。また、道外のイベントにも出展していきたいと思っています。ECサイトで購入されるのは道外の方が多いので、どんなお客さまが買ってくださっているのか会いに行ってみたい気もしますね。チャンスがあれば、海外の方にも私のアクセサリーを知ってもらいたいです」

これからアクセサリーデザイナーを目指す若い世代へのメッセージも伺ってみました。
「憧れの人を作って目指すのもよいですが、型にはまりすぎず自分のスタイルを見つけた方が自由な作品が作れると思います。あとどんどん人と会って、つながりを広げていくことが必要だと思いますね。誰かにアドバイスされたら、まず一度やってみる。『いつかやってみよう』ではなく、チャンスだと思ったら今日でも明日でもすぐに行動に移すことも大切です」
普段よく行くところは、「愛犬の散歩をしに行く公園」だと教えてくれたayakoさん。公園は、季節を感じながら散歩ができるのが好きだそうです。季節とアクセサリーの相性も実はあるそうで…。

「季節によって作るデザインを変えていますね。たとえば、夏はシンプルなTシャツに似合う大ぶりで派手なデザインにすることが多いです。反対に、冬はマフラーをしても邪魔にならないように、ピアスやイヤリングはコンパクトなデザインにしたり。私自身は、春夏秋冬いつでも長さのあるアクセサリーをつけている人というイメージを持たれていますが(笑)。みなさん、『そんなに派手なデザインは無理』って言うんですけど、つけてみるとどんな人にも似合うんですよ。一歩踏み出してみると、どんどんいろんなアクセサリーをつけたくなると思うのでぜひ試してみてほしいです」
撮影のために見せていただいたアトリエには、輝くパーツたちがずらりと並んでいました。これからこのパーツたちが、美しいアクセサリーに変わり、誰かの宝物になるのかと思うと、私たちも自然に顔がほころんでしまいました。これからもayakoさんらしいアクセサリーをたくさんの人に届けてくれることを楽しみにしています!