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SNSで魅力を発信!札幌を愛する台湾人の歩みとこれから。

2024.12.30

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台湾人のキョ・ガキさんは、現在札幌で海外向けEC事業に関わる傍ら個人のSNSで北海道や札幌の魅力を発信しています。10年前に台湾から広島県に移住し、その後日本国内のほぼ全ての地域を旅したというキョさんは、6年前に札幌へ移住しました。各地を見てきた彼女が「札幌以外に住む予定はない」と、きっぱりと宣言するほど虜になっている札幌の魅力や今までとこれからを伺いました。

高校生の時に見た、北海道の風景。

キョ・ガキさんは、台湾の高雄市出身。高雄市は、台湾南部に位置する港都市で首都の台北に次ぐ大きな都市といわれています。キョさんに高雄市は地元民から見て、どんな街か聞いてみました。

「高雄市は、古くから港町として栄えていて活気があります。有名な夜市もあり、観光地としても人気ですね。日本でいうと、高雄市は大阪で台北市は東京という感じ。関西弁と標準語のように言葉もちょっと違うんですよ」

▲こちらが、今回取材をさせていただいた、許 雅琦(キョ・ガキ)さん。

キョさんは、小学校4年生まで高雄市に住み、翌年に家族の仕事の関係で新北市に引っ越しました。それから少し経ち、キョさんは初めて日本へ旅行します。その地は沖縄でした。ただ沖縄と台湾は約730kmほどしか離れておらず、言葉の違いにワクワクはしたものの、気候の違いなどはさほど感じなかったといいます。

そして2度目は高校生の時に、北海道へ。道内を巡るバスツアーに参加しました。

「北海道は広々していて、かわいい一軒家もたくさんあるし、台湾とは全然違うなと思いました。7月だったのでラベンダーも美しかったですね。その時に、絶対冬の北海道にも来てみたいと思ったんです」

そう思いながらも、なかなか北海道旅行は実現できずに高校を卒業。その後、台北市にある大学へ進学します。

大学では日本語を専攻したキョさん。「冬の北海道を見るためですか?」と聞くと、この時は日本に行くことは考えておらず、台湾は日系企業も多いため日本語を専攻することは一般的だと教えてくれました。取材中とても流ちょうに日本語を話してくれたキョさんですが、日本語を初めて学んだ時はとても苦労したといいます。

「特に、形容詞と動詞の使い方が難しかったです。大学のクラスメイトには、子どもの頃から日本のアニメやドラマなどを見ていた人も多かったのですが、私は日本の恋愛バラエティ番組を見ていたぐらい(笑)。大学に入り、初めて日本語の五十音から覚え始めました。漢字も中国語とは発音が全く違うので、そこもまた難しかったです」

教科書では学べない日本文化を学びたい。

大学卒業後、キョさんは日本に住んでみたいと自然に思ったと言います。大学時代に学んだこと以上に、日本語や日本文化をもっと知りたくなったそうです。しかし、学費ローンを使って大学に進学していたため、その返済を先に終わらせなければなりませんでした。そこで、キョさんは大学を卒業すると台湾の旅行会社に就職し、1年かけてローンを全額返済します。

「最初は、台湾の大学生向けの卒業旅行の営業をしていました。海外ツアーに同行したこともありますが、お客さまはみんな台湾人で日本語を使う機会がなかったので、台湾に来る日本人向けのツアーを手配している会社に転職しました」

▲北海道の魅力にどっぷりはまる許さん。休みの日は友人と旅行に行っているそう。

とはいえ、いきなり日本語のガイドをするのは自信がなかったキョさん。最初は、旅行を手配する事務の仕事から始めたそうです。

「大学4年生の時に日本語の添乗員とガイドの資格を取得して、繁忙期にはガイドの仕事もするようになりました。観光名所の九份(きゅうふん)や台北101タワー、故宮博物館など、観光地の説明も少しずつ日本語で覚えていきました」

その後もう一度転職し、本格的に日本語ガイドとして働き始めたキョさん。しかし、仕事をしながらも、日本に留学するための準備を進めます。

3度目で試験に合格!広島県の大学へ。

学費ローンの返済で、手持ちの資金を使い切ってしまったキョさんは、日本への留学を果たすためにある行動を起こします。それは、日本に留学するための試験への挑戦です。試験は年に1度行われており、難易度は相当高いものだったそう。しかし合格すると留学費用として、返済不要の奨学金が給付されます。

「試験は、筆記のほかに面接もありました。日本の大学の教授が台湾まで来て、論文の研究テーマなどについて面接するんです。私は働きながら勉強をしていましたが、仕事が忙しく、なかなか合格できませんでした。だけど、やっと3回目の試験で合格できたんです」

こうして、留学試験に合格したキョさん。しかし留学先の候補は自分で見つける必要がありました。観光業で働いていた経験を活かし、日本の観光について研究してみたいと思っていたキョさんは、観光関連の研究科がある大学を候補にあげます。

「広島大学に留学している先輩が、『総合科学研究科に観光の研究している先生がいるよ』と教えてくれたんです。母校の大学にも広島大出身の先生がたくさんいましたし、私自身も、広島は原爆ドームや宮島などで有名な場所だということは知っていました。もうひとつの候補として北海道大学にも観光関連の研究科があったので、両方の大学の教授に連絡をしてみたんです。結果的に、広島大学の教授からOKをもらえたので、広島県に行くことに決めました」

広島大学の総合科学研究科のキャンパスがあるのは、広島市から約1時間ほど離れた東広島市。周りは、ほぼ山と田んぼという自然豊かなのどかな環境だったそうです。キョさんは、大学の女子寮に入り留学生活をスタートさせます。

▲広島大学・総合科学研究科を卒業。各国からの留学生と青春を過ごしました。

「寮には、学部生のほかに、いろいろな国から来ている留学生もたくさんいました。中国人や台湾人が多かったですが、欧米やアフリカから来ている人もいました。共同のキッチンがあったので、みんなで一緒に料理をしたこともあります。パーティーみたいで楽しかったですよ」

学校生活では、ドイツ人の女性教授の元「しまなみ海道の観光」をテーマにした研究に取り組みました。「観光資源について各地域の考え方の違いを知ることができた」と振り返り、研究生として1年、院生として2年の合計3年間の大学院生活を修了します。

広島県で就職後、恋人が住む札幌市に移住。

大学院修了後、キョさんは日本での就職を決意します。研究結果を持って台湾に帰り、観光の仕事に生かすという選択もあったはずですが、日本に残ることを決めた理由について聞いてみました。

「台湾に帰れば日本での経験を活かし、仕事を見つけるのは簡単かもしれません。でも、日本で就職活動に挑戦してみたいと思いました。台湾には帰ろうと思えばいつでも帰れるとも思っていたので、もう少し日本で頑張ってみようと思ったんですよね」

しかし、台湾と日本では就活事情が全く異なります。台湾の就職活動は、日本のように一斉に始まるわけではないため、個人の裁量で就職時期が決まります。

さらに台湾に戻ろうかとキョさんが悩んでいる間に、周りの人たちは着々と就職活動を進めていました。遅れをとってしまったキョさんは、最後まで就職活動に苦戦したと語ります。そして、苦戦の末に就職先として決まったのは、研究していた観光業界ではなく、広島に本社がある食品の物流会社。観光業界を選ばなかったのはなぜでしょう。

「観光の研究は楽しかったですし、自分自身も旅行が大好きです。でも、観光業界は台湾の旅行会社で働いていた時のイメージがあり、繁忙期と閑散期の差が激しいイメージが強かったんです。なので、安定した仕事に就きたいなと思ったんですよね」

就職先の会社での仕事は、倉庫での商品管理や出庫作業。仕事上必須だったフォークリフトの資格も取得しましたが、就職して1年ほどたった頃にキョさんは札幌への移住を決意します。その理由は意外なものでした。

▲インバウンドの方も多く訪れる夏のラフティング体験。

「付き合っている人が札幌の人だったからです。彼がワーホリで台湾に来ていたときに知り合いました。でも、当時はただの友人のひとりだったんです。私が大学院を卒業した時に、彼が広島まで遊びに来てくれて、それから付き合うようになりました」

奇しくも、就職と付き合うタイミングが同じだったということは、内定を辞退して最初から北海道に行くことは考えなかったのでしょうか。

「内定をもらっていたのに、入社しないのは失礼だなと思って。台湾人の留学生として、台湾人のイメージを壊したくなかったので、きちんと就職しようと思いました。彼とは、1年後に札幌に行くという約束をしたんです。会社を辞めるときも、『付き合っている人が北海道にいるので』と正直に伝えて円満退職しました」

コロナ禍で海外ECの仕事にシフトチェンジ

札幌に移ったキョさんは、保証会社に就職しました。ところが、入社してみると職場環境や仕事内容が合わないと感じ、約半年後に退職。インバウンドマーケティング事業を行っている会社に転職します。

「中国語ができる人、旅行会社の経験がある人など、募集要項が全部自分に当てはまっていたんです。入社して最初の1年間は、海外のインフルエンサーを招待してレストランに連れて行ったり、通訳をしていました。会社のSNSで北海道の情報を発信する仕事も担当させてもらったり、年に数回、出張で台湾に帰れることもあったんですよ」

嬉々として話すキョさん。ところが、2020年1月頃からコロナ禍が始まり、状況は一変。海外からの観光客が来なくなり、インバウンド事業が立ち行かなくなったため、会社は新たな取り組みを始めます。それは、テレワークの増加に伴ったネットワーク事業でした。

▲SNSで北海道の魅力を海外に発信しています。

しかし、徐々に各家庭や企業のネットワーク事業が整い始めると、新規のニーズは少なくなります。そこで、会社は新たに海外ECを始めることを決めました。コロナ禍でインバウンドが望めなくなったのなら、こちらから商品を送ろうという考えです。

「コロナ後のメイン担当はSNSの発信業務で、インバウンドで北海道に来ていた時に人気があった商品や台湾で人気のある日本の化粧品など、ECで取り扱う商品の選定などにも関わりました。化粧品や食品など人気商品を揃えましたが、医薬品だけはなかなか取り扱いのOKが出なくて、日本人の上司と一緒にどうしたら取り扱えるかを一生懸命考えて行動しました」

結果的に、キョさんの頑張りが実を結び、台湾向けのECサイトで医薬品の取り扱いが可能になり売上が増加したと言います。そして、少しずつコロナ渦は落ち着きをみせていき、北海道にもインバウンド観光客が戻ってきました。

身近な場所で四季を感じられる札幌が好き。

現在も、キョさんは引き続き海外向けECの仕事に携わっており、社内の翻訳業務や貿易関連の仕事、台湾向けのSNS運営なども担当しています。台湾へ出張する日本人スタッフに同行して、通訳をすることもあるそうです。

「出張で台湾に行ったときは、仕事が終わると私だけそのまま残ってしばらく滞在させてもらうこともあります。仕事はリモートでも可能なので、世界のどこにいても仕事ができる環境はありがたく感じますね」

一見すると華やかに見える仕事ですが、苦労はないのか聞いてみました。

「苦労を感じることはありませんね。強いて言うなら、本社にいる台湾人スタッフが今は私だけなので、繁体字の翻訳を全部一人でやるのがちょっと大変かなというぐらいです(笑)。自分の好きなことやスキルを生かせていると思いますし、元々写真を撮るのが好きなので、そのスキルも仕事で活かすことができています」

実は、個人でもSNSで北海道の魅力を発信しているキョさん。アカウントには、現在約4,000人のフォロワーがいます。

「休日に観光したり美味しいレストランに行ったりした情報を、海外の人に知ってもらいたいと思って始めました。ほとんどが個人的な発信ですが、会社が副業OKなので自治体や企業から依頼されて投稿することもあります。面白いことがあると投稿しているんですが、投稿を作るのに気合が入りすぎて、疲れちゃった時期も(笑)何カ月も更新が止まってしまったこともありましたが、それでも更新するのはやっぱり北海道の魅力を伝えたいんでしょうね」

仕事でもプライベートでも、充実した生活を送っているキョさん。今後はどのようなことにチャレンジしてみたいのか聞いてみると、「知床にしばらく滞在したい」という答えが。

「知床には、現地の漁師さんと結婚した台湾人の友人がいて、冬になると流氷ウォークというツアーをやっているんです。私も2024年の2月に行って、流氷ウォークに参加したり、友人がやっているツアーの手伝いをしたりしました。それが、非日常的ですごく楽しかったんです。前回は3日間の旅行だったので、次はもう少し長く…できれば3週間ぐらい滞在したいと思っています(笑)」

最後に、札幌以外に住む予定はあるのかと尋ねると、「ないです」ときっぱり。広島大学の学生時代には、夏休みや冬休みを利用して31都道府県を旅行したというキョさん。そんな全国のさまざまな土地を訪れたキョさんに、あらためて北海道の魅力を聞いてみました。

▲「人生は一度きり。やりたいことをやるのが私のモットーです」と語る許さん。

「高校生の時に見た景色も素敵でしたが、住むようになってさらに魅力が増しました。春や夏にはいろいろな花が咲くし、秋は紅葉がきれい。近場でも十分四季を満喫できますが、ちょっと足を伸ばせば定山渓もあります。札幌は買い物するのに便利ですし、公園や緑も多いですよね。ただ冬は寒いので、観光にはいいけれど住むのはちょっと、という人もいるかもしれません。でも、実際に住んでみたら、きっとみんな気に入ると思います」

キョさんのお話を聞いていると、北海道生まれの人以上に北海道生活を満喫しているように感じました。「ほかにも素晴らしい土地はあるけれど、やっぱり北海道が好き」と語るキョさん。全国を旅した上でのその言葉は、北海道民にとってとても誇らしく感じられました。

許 雅琦(キョ・ガキ/HSU Yachi)さん

許 雅琦(キョ・ガキ/HSU Yachi)さん

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