台湾人の鄭 書羽(テイ・ショウ)さんは、北海道出身のご主人と国際結婚し、札幌市に在住しています。札幌での生活を「ずっとリゾート地を旅行をしている気分です」と目を輝かせて話す、テイさん。
札幌での生活は既に10年以上となりますが、それでも毎日発見があるそうです。「北海道と台湾の架け橋になりたい」と話すテイさんが今取り組んでいることや、これから叶えたい夢について伺いました。
抜群の行動力で、札幌への留学を実現。
テイさんは、台湾の新北(しんぺい)市で生まれ育ちました。新北市は台湾の首都である台北市を取り囲むように位置する都市で、中心部にはビルが立ち並ぶ場所です。そんな都会的な街で育ったテイさんは、高校まで一般的な台湾の学校に通い、大学では外国語を専攻しました。
「大学の専攻は英語で、第二外国語として日本語を履修していました。当時、私は日本にまだ興味はありませんでしたが、台湾には日系企業がたくさんあるので、就職で困らないために大学では日本語の単位を取るのが必修でした」
大学生活で英語と日本語を取得し、卒業後、テイさんは台湾の会社に就職します。
「薬局や美容関係の事業をしている会社で、私は美容部門の仕事をしていました。在職中にスキンケアに関するライセンスも取得しました」
美容関係の仕事は楽しかったと話すテイさん。しかし、心の中には常に「いつか留学したい」という想いがあったといいます。
「一度、強制的に外国語が身に付くような環境に飛び込んでみたいと思っていました。語学力を上げればキャリアアップにつながりますし、収入アップも目指せるからです」
台湾ではキャリアアップのための転職が一般的であり、テイさんもより良い条件を求めて転職も視野に入れながら美容関係の仕事に就いていました。
そんな中、親戚が結婚し、新婚旅行に着いて行くことに。台湾では、結婚した人たちの家族や親戚も新婚旅行に一緒に行く習慣があり、テイさんも自然な流れでついていくことになったそう。そして、その行き先は北海道でした。
初めて訪れたこの北海道旅行が、テイさんの人生を大きく変えるきっかけとなります。
「北海道に降り立ったときから、空気が綺麗だなと感じたことを覚えています。函館や登別などを周って、美瑛や旭川の方にも足を伸ばし、洞爺湖温泉では初めて浴衣を着て花火を見ました。自然も美しくて、バスに乗ってニセコの羊蹄山へ行ったときには、目の前に畑が広がっている風景に感動しました。台湾では見たことがない景色だったんです」
北海道に魅了されたテイさんは、なんと北海道を旅行した翌年に札幌への留学手続きを開始。2015年3月には、札幌への留学を実現させます。
「私、結構行動力があるんですよ(笑)北海道に惹かれてしまったので、その気持ちに従いました。住むのに札幌を選んだのは、新北市に似て都会でありながら、自然にも近い環境が気に入ったからですね。あと、シンプルに中心地の方が住みやすいかなとも思いました」
初めての就職活動も体験した留学生時代
テイさんが留学先に選んだのは、札幌市内の円山公園近くにある日本語学校。大学で日本語を学んでいたテイさんは日本語の知識が既にあったため、さらに語学力をブラッシュアップさせるために学び始めました。
「学校には、アメリカ・フランス・タイ・ギリシャなど世界各国のいろいろな人が来ていました。授業中はもちろん全て日本語でしたが、授業が終わると中国語やタイ語、スペイン語などが飛び交っていて、すごくグローバルな環境でしたよ。その会話を聞いているのも楽しかったですね(笑)」
2年間日本語学校で学び、2017年に卒業したテイさん。卒業後は道内の大学に行くことも考えましたが、観光系専門学校のエアライン学科に入学を決めました。北海道のインバウンド需要も活気づいていた上に、2020年の東京オリンピックに向けて観光業界などで語学を生かした仕事の需要が増えるという話もあり、決断したそうです。
「航空業界で、中国語や日本語だけでなく、台湾の大学で勉強した英語のスキルを生かして働きたいと思ったんです。学校では、航空業界の知識の他に、語学や観光の分野も学びました。日本語学校時代と環境も変わり、日本人の友だちができたことで、日本語の新しい側面を見ましたね。若者言葉も友だちから学びました(笑)」
2019年に専門学校を卒業したテイさんは、日本で働くために就職活動を始めます。台湾では就職活動という習慣がないため、テイさんにとっては初めての経験です。
「100社くらい面接を申し込んでいる人もいて、びっくり!『日本の子たちは、なんて器用なの!?』と思っていました。私は1つずつ集中してやらないとできないタイプなので、就職活動はすごくゆっくりだったと思います」
叶わなかった夢。でも、私らしく前向きに。
航空業界で働きたいと考えていたテイさんは、様々なエアライン関係の会社の面接を受けました。そんな中、学校からの推薦を受け、エアライン会社で1カ月間のインターンシップも経験します。
「エアライン会社のチケットカウンターで案内をするグランドスタッフの仕事を体験し、アナウンスもやらせてもらいました。『このまま働けたらいいな』と思ったのですが、エアラインの会社は人気で、残念ながら就職は叶いませんでした」
その後、テイさんは有名ブランドの会社に接客販売として就職。配属先は、北海道から遠く離れた静岡県でした。これでは大好きな北海道から離れてしまうことになりますが、内定を断って札幌で他に就職先を探すという選択肢はなかったのでしょうか。
「外国人が日本に滞在し続けるには、ビザが必要なんですよね。私の場合は、学校を卒業しているので、会社に就職して就労ビザをもらわなければなりません。だから、札幌からは離れてしまうけれど、就職先を見つけられて嬉しかったですし、販売の仕事も向いてるかもしれないと真向きな気持ちで静岡県に行きました」
しかし、静岡県で働き始め、接客も板についてきたころにコロナ禍が始まり、状況が大きく変化します。テイさんが働いていた店も休業せざるを得なくなり、仕事を辞めて札幌に戻ることに…。札幌に戻ってからは、なんとかホテル関係の仕事を見つけ、再び働き始めることができました。
そして、静岡から札幌に戻ってきたことで、テイさんの人生に結婚の二文字が浮かび上がることになります。
国際結婚の手続きは、大変!
テイさんとご主人との出会いは、2017年の日本語学校時代に遡ります。アメリカに帰国する友人のお別れパーティーで出会ったのが始まりだったそうです。
「夫は生徒ではありませんでしたが、パーティーに参加していました。そのときは、ただの友人としてLINEを交換しただけで、親しくなったのはその後です。夫が英会話の先生をしていたので、『じゃあ私が中国語を教えるから英語を教えて』という感じで、時々会うようになりました。当時、私は専門学校に入る直前で、英語ももう少し勉強したいなと思っていたんです」
語学交換をしながら、徐々に恋愛関係へと発展していった2人。付き合い始めた頃から、お互いに結婚相手として考えており、テイさんが仕事で静岡に移住した際も遠距離恋愛でずっと続いていたそう。
静岡から戻ってきたことがきっかけで結婚へ。「かなり簡単なプロポーズでした」と笑うテイさんですが、国際結婚に迷いはなかったのでしょうか。
「迷いました。ずっと日本にいるかどうかも分からなかったし、結婚したら台湾国籍ではなくなってしまうのかなという不安もあって。母親も最初は反対しました。でも『自分が選んだ道だから』と、最終的に私の意思を尊重してくれました」
お互いの両親も賛成してくれて、いよいよ結婚することに。しかし、国際結婚の手続きは想像以上に大変だったといいます。
「婚姻届を出すだけでなく、配偶者ビザへの切り替えが必要でした。ビザの申請をするために、出会ってから付き合うまでの経緯を書いた書類や、付き合っている間の写真を提出しなければならないんです。台湾の婚姻届も必要なので、一度台湾に戻って手続きする必要もありました」
3月に婚姻届けを出してから配偶者ビザが下りるまで、半年もかかったそうですが、晴れてふたりは夫婦に。結婚後の生活で、文化の違いを感じることはないのでしょうか。
「食生活の違いを感じる時はありますね。台湾は外食が基本で、朝食も屋台で買ってきて食べるのが普通。朝食を作るという習慣にまだ慣れていなくて、毎朝パンだけ食べています(笑)」
知られていない北海道の魅力を伝えたい
現在テイさんは、ホテルの仕事から離れ、国境を越えて取引を行う越境EC事業をメインとしている会社でプロモーションを担当しています。北海道の観光と物産のブログを書いて情報発信したり、ECサイトの宣伝を主に行っているそうです。
「北海道には魅力的な商品がたくさんあるにもかかわらず、あまり知られずに埋もれてしまっているのはもったいないと感じています。例えば、道の駅でもたくさん地元の特産品が置かれているけれど、海外まではあまり知れ渡っていないんですよね。そういう商品を海外の人にもっと知ってもらえれば、生産者にも貢献できるし、購入した人にも喜んでもらえると思うんです」
テイさんが海外に届けたいのは、既に知れ渡っている道産品ではないと断言します。その理由は、「生産者からの声」だと教えてくれました。
「海外に販売するのは怖いというイメージを持ったり、お金がかかるんじゃないかと不安になったりする生産者も多いんです。そういう生産者が一歩踏み出すきっかけを作ることができればという想いもあります」
「北海道のために何ができるのか」をずっと考え続けていると話すテイさん。結婚してから、その想いは強くなったといいます。
「北海道が好きで、この土地で暮らそうと思い、夫と出会いました。結婚後に越境ECに関連する仕事に就いて『まだ知られていない商品を世界に届けたい』と思うようになり、具体的に北海道のためにできることを見つけた気がしました。私は北海道が好きで、北海道に貢献したいという思いがあってここにいるので、これからも何ができるのかを探して行きたいです」
仕事以外では、「hokkaido_susu(スス)」さんというハンドルネームで、個人的にSNSで発信もしています。
「北海道の旅行ガイドや物産情報、さらに北海道での暮らしなどについて発信しています。インスタやブログを見た人から、『北海道のおすすめのお店はありますか?』と連絡が来ることもありますよ」
いつか北海道と台湾の架け橋に。
テイさんに、今後の仕事の目標や夢について聞いてみました。
「越境ECの範囲は今は中華圏が主ですが、アジアや北米、ヨーロッパなど、もっと広い地域に広げていきたいと考えています。観光業とも連携して、イベントなどを企画できたらいいですね。それに、今、AIが進化していますが、台湾にはそういうデジタル技術やエンジニア人材が集まっているので、台湾の技術を使って、北海道に何か貢献できないかなとも考えています」
個人的な夢を聞いてみると、「北海道ならではの生活や食文化をまとめて、台湾で本を出版してみたいです」と答えるテイさん。本にはどんなことを載せたいかを聞いてみました。
「季節ごとの自然の美しさは絶対ですね。こっちに来てびっくりしたのは春の山菜採り。これは台湾にはない文化なので載せてみたいかも。夏の釣りやキャンプスポット、秋に収穫される様々な農産物の紹介や紅葉スポットもいいですよね。冬のウインタースポーツの種類やスポットも載せたいです!」
さらに、地元民だとなかなか気付けない札幌や北海道の魅力について、こう話します。
「どこを見ても観光地で、リゾートに住んでいるみたいです。例えば、大通公園は何回見ても飽きないですし、街の雰囲気も大好き。美味しいものもたくさんあって、ずっと札幌にいたいなと思います。札幌市内に限らず、北海道にはそういう魅力的な場所がたくさんあるじゃないですか。生まれたときから住んでいる人には当たり前のことでも、道外や海外から来た人は、『毎日が旅行!』という気分になります」
そんなテイさんですが「北海道のこれだけは苦手…」だと思うこともあるそうです。
「私は寒さが苦手で、冬になると体調を崩してしまいがちなんです。だから、毎年冬の前になるとちょっと暗い気持ちに…。それに、雪かきも大変(笑)。雪解け間近も、雪がグレーに染まってあまり綺麗ではないので、その時期を乗り越えるのがちょっと大変です」
最後に、これからも北海道に住み続けたいか聞いてみました。
「今は、住む場所を変えようとは考えていません。でも、将来もっと成長するためには、札幌と台湾を拠点にして、居住地にこだわらずに挑戦したいという気持ちもあります。その頃には、日本と台湾の架け橋になれていたら嬉しいです」
北海道の魅力を世界に発信したいというテイさんの熱意が印象的なインタビューでした。国際結婚や仕事の苦労を乗り越え、常に前を向いて挑戦し続ける姿が素敵です。行動力のあるテイさんなら、きっと日本と台湾をつなぐ役割を担ってくれるに違いありません。