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仕事や暮らし、このまちライフ

小さな一歩で広がった世界。小さなお弁当屋さんの物語。

2024.5.27

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札幌市の南東部にある豊平区。こちらにある自転車専門店「サムズバイク」の一角で営業しているのが「弁当・惣菜 shio(しお)」。店名の「shio」は、店主である石尾恵さんの名字から名付けられました。石尾さんが作る彩り豊かなお弁当のファンは多く、最近では道外からのお客さまもいらっしゃるほど。石尾さん自身の人生や家族への想い、今年で3年目を迎えるshioのこれからを伺いました。

夫が教えてくれた、出汁の味。

石尾さんはお店のある札幌市豊平区出身で、今まで一度も住居を他地区に移したことがない、生粋の豊平区民です。高校卒業後は「動物看護師になりたい」と、動物看護の専門学校に進学します。

「動物が好きで飼いたいと思っていたのですが、自宅では飼えなかったんです。でも親戚がペットを飼っていたので、その子をすごく可愛がっていました。専門学校卒業後は、動物病院に就職し、念願だった動物看護師として社会人生活をスタート。しかし就職して数年経った頃から、少しずつ動物が死ぬことに慣れてきている自分に危機感を覚えたんですよね」

先輩たちを見ていても、業務の都合上やむを得ないとはいえ、動物の死に慣れてきているように石尾さんの目には映りました。

「その頃ひとり暮らしを始めて、自分でもダックスフンドを飼っていたので、余計に動物の死に慣れたくないと思ったのかもしれません。看護の仕事はやりがいもありましたし、運ばれてくるペットが元気になっていく姿は嬉しかったですが、『ペットが死んだ時に悲しめない自分は嫌だ』と、退職を決意しました」

その後、不動産会社に転職し、忙しい中でも充実した日々を過ごします。石尾さんの夫となる方とも、この時期に出会いました。

「夫との婚約を機に、不動産会社を退職しました。 新生活が始まり、一緒に食事をしていたある日、夫が『出汁は、食材から取ると美味しいんだよ』と教えてくれたんです。早速、鰹節などから出汁を取ってみると、その美味しさに感動! それまで既製品の出汁しか使ったことがなかった私は、ひと手間かけるだけで料理の味がこんなに変わるなんて驚きが隠せませんでした」

夫からのアドバイスを受け、料理の基本に目覚めた石尾さん。料理をすることは元々好きだったので、俄然やる気が出て友人を自宅に招いて料理を振る舞う機会も増えていきました。

「本格的に料理をやってみたいなと思い始めたのが、この頃でしたね。不動産会社を辞めてから仕事をしていなかったので、飲食店でアルバイトをしながらプロの料理人の手際を学ばせてもらおうと、円山にある和食店で働き始めました」

石尾さんが働くことになったお店は、女性料理人が作る絶品料理を目当てに、連日お客さまが押し寄せる人気店でした。このお店で働くことを選んだ理由を、石尾さんは…。

「一番は、自分と同性の人が調理していたからです。あとは料理のジャンルですね。家庭料理に近いどこか懐かしさを感じる和食を私は作りたいと思っていたので、似たジャンルのお店で働くことで、ヒントやアイディアを得たかったのがあります」

一歩踏み出すと、世界は広がる。

料理を間近に学ぶことで、食材の選び方から調理方法まで、多くの知識と技術を吸収することができました。 その結果、自宅に帰ってから再現してみると、驚くほど美味しく作ることができるようになり、料理の腕はどんどん上達していくように。

「和食店でのアルバイトは、新しい発見や知識を得ることができ、充実したものになりました。しかし、第一子を妊娠したため、退職することに。出産後は、特定の仕事という形ではなく、人手が足りない時などに限って、元職場の和食店で働いていました」

その3年後に再び妊娠し、第二子の息子を出産後もまだ長期的に働くという選択肢はなかったという石尾さん。ただ出産から4ヶ月ほど経った時に、友人が仕事に忙しく、昼食もまともにとっていない状況を知りました。そこで、石尾さんは友人のために栄養たっぷりのお弁当を作ってあげたそう。友人はすごく喜び、石尾さんに感謝しました。

「このやりとりを見ていた別の友人から『お店を始めてみたら?』と、提案されたんです。私も『面白そう』と興味を持ちましたが、当時は飲食店を開業するイメージだったので、そのためには借金して場所を借り、売上確保のためには夜も営業する必要があるかも…と、お客さまに美味しい料理を食べてもらうことよりも、お金や時間の心配の方が強く、あまり明るい未来を想像できませんでした」

石尾さんのお子さんたちは、その時まだ3歳と0歳。夜に幼い子どもたちを家に置いて働くことは難しいと感じ、開業するための解決の糸口は見つからないままでした。しかし、お店を持つ夢を諦めたわけではなく、テナントの空き情報を探したり、違う形で飲食店を開業できないかを模索する日々を送っていました。

そんな中、世の中はコロナ禍に突入します。

「コロナ禍の影響で飲食業界全体が苦境に立たされているのを見て、『今飲食店をオープンするのは、厳しいかもしれない』と感じていました。そんな折、友人から『お弁当屋さんだったら良いんじゃない?』と、ちょっとした一言があったんですよ。確かにお弁当であれば厨房があればなんとかなるかもしれないし、コロナ禍のテイクアウトブームも追い風になり、お弁当屋さんでお客さまに料理を届けることを前向きに考え始めます。そして間もなく、友人の紹介で、現在お店の一角をお借りしているサムズバイクの店主、松浦奈美さんと出会うことができたんです」

このサムズバイクでは、昔スープカレー屋が併設していたことがあり、厨房がそのまま残っていました。ちょうど石尾さんと松浦さんが出会った時は、誰も厨房をつかっておらず、事情を聞いた松浦さんは「空いてるよ!」と快く貸してくれたと言います。

「まさか快諾してもらえると思っていなかったので、出店が決まってからは大慌てでした。手探り状態ではありましたが、4ヶ月間の準備期間を経て、『弁当・惣菜 shio』はオープンの日を迎えることができました。お客さまに来ていただけるかどうか不安もありましたが、ポスティングやSNSでの告知などを行い、オープンに向けてできることに全力で取り組みました」

お客さまに喜んでもらえることが幸せ。

オープン当初は、友人たちがお祝いの言葉とともに、お弁当を買ってくれることが多かったそうです。しかし徐々に口コミやSNSをきっかけに、初めてのお客さまも来店してくれるようになりました。

「少しずつですが、地域の方たちにも知ってもらえるようになり『今日は営業していますか?』と、お店を訪ねてくれる人も増えていきました。今は、営業日が週に3日前後が多いのですが、先日1週間で4日間営業した時に、毎日買いに来てくれたお客さまがいらっしゃって…すごく嬉しかったです。限られた日数と時間での営業ですが、それでもご来店していただけるお客さまには感謝しかありません」

石尾さんの話を聞いていると、オープン後のshioは順風満帆に感じますが、試行錯誤を重ねることも多かったそうです。

「最初の頃は、お弁当の目標販売個数を設定している時もありました。でも、売れないと心の負担になるし、食材のロスにも繋がるのですごくストレスだったんです。お弁当のおかずも、予め食材を決めて作ろうとしていた時もありますが、その食材が入荷しなかった時にまた考え直さないといけないので、それにもまたストレスを感じることがありました」

今は八百屋や魚屋に入荷している旬の食材を見て、おかずを決めるようにしているとリラックスした雰囲気で石尾さんは話します。とはいえ、事前に食材が決まってない中で、この彩り豊かで美しい盛り付けはいつ考えているのでしょうか。

「食材を決めながら、全体の彩りも一緒に考えています。お弁当を開けた人の食欲が湧くように、オレンジや緑など5から6色ほどの食材の色が入るように意識しています。あとは、料理の本を見るのが好きなので、そこからヒントをもらうことも多いです。エスニックの本を買って眺めてみたりなど、他ジャンルも見ますよ。基準は『ごはんの隣にあっても違和感がないおかず』なので、ごはんと合う味付けのものであれば取り入れるようにしています」

この全ての工程を石尾さんひとりで考え調理をしているというから驚きです。誰かに相談したり、頼りたくなったりすることもありそうですが…。

「義理の両親と同居しているので、料理上手な義母に試食をお願いしたり、調理について相談したりしています。一般的な調味料しか使っていなかった私にとって、結婚後に義母が教えてくれた調味料や様々なスパイスは、料理の幅を広げてくれました。それこそ、出汁の味をよく知っている夫のお母さんですから、味付けのアドバイスを的確にもらっています」

義母が料理の腕を振るう時には、生春巻きパーティーが開催されるなど多彩なメニューがテーブルの上に並ぶそう。ただ、ここでひとつの疑問が浮かびます。料理上手な人は、様々な食材を扱うことが多いはずです。個人的な食材の好き嫌いはないのでしょうか。

「私は、食べることができないといった好き嫌いはないですが、実は野菜はあまり好きではないです。なので、野菜の苦手だと感じるポイントは、他の方より知っているかもしれません(笑)。でも、お弁当のおかずの大半は野菜なので、苦手な人でも美味しく食べてもらえるように、切り方や味付けを工夫してできるだけ食べやすいように調理は意識していますね。」

仕事も子育ても自分らしく。

shioのお弁当は、小さなお子さんたちからも人気で、お母さんと一緒に買いに来ることも多いそう。プライベートでは2児の母の石尾さんは、その光景をどのような心境で見ているのか聞いてみると…。

「買いに来てくれる子どもたちが可愛くて、私はいつもメロメロです(笑)。キラキラな瞳で『恵さん、お弁当ください』と言ってくれるんですが、子どもは素直なので食べたくて来てくれているんだなと嬉しくなりますね。一緒にきてくれるお母さんから『うちの子、野菜を普段食べないのにお弁当に入ってた野菜はパクパク食べてました』なんて言葉を聞くと、作ってよかったなと思います」

野菜が苦手な子どもが多い中、すすんで買いに来るのはすごいことです。石尾さんのお子さんも、お店を訪れる子どもたちと同様に好き嫌いなく食べるのでしょうか。

「いえ、好き嫌いはありますよ。でも、食べないのは『園や学校では頑張るけど、家では頑張りたくない』という、お母さんへの甘えの部分もあるのかなとも捉えています。第一子の時は、食べないことへ神経質になってしまう時期もありましたが、今は『お味噌汁だけしっかり食べればOK』と、食事をすることを楽しむように切り替えています」

そう話す石尾さんの眼差しからは慌ただしい毎日の中でも、しっかりとお子さんたちへ愛情を注いでいるのが伝わってきます。

「自分でやりたいとお店を始めましたが、仕事と子育ての両立は難しいなと思うことばかりです。言っちゃいけないと思いつつも『早くしなさい』と言ってしまい、自己嫌悪になることもあります。でも、少し大変でもお母さんが楽しんで好きなことをしている姿は、きっと子どもの成長にも良い影響を与えるのではないかなと信じて、今は頑張っています」

石尾さんのお子さんたちからも、働くお母さんの姿を見て嬉しい言葉があったそうで…。

「7歳になった娘からは『shioでお菓子を作りたい』と言ってくれています。そんな嬉しいことを言われたら、お母さん泣いちゃうよ…と思いながらも『自分の好きなことをやっていいんだからね』と、伝えています。子どもたちには自分の好きなように羽ばたいてほしいので、お店を継いでほしいという気持ちはないです。のびのび自分らしく生きてくれれば、私はそれだけで十分だと思っています」

恩返しと他地域での販売が、今の夢。

お店を持ちながら、子育てができている環境に「満足している」と話す石尾さん。そんな彼女に、これからやりたいことを聞いてみました。

「サムズバイクの松浦奈美さんへ恩返しをしていきたいです。奈美さんがこの場所を快く貸してくれなかったら、私はお弁当屋さんを始められませんでした。私ができることはお弁当を作ることなので、ちょっとした恩返しですが今はお昼の賄いを作って食べてもらっています。いつまでも奈美さんには、健康に元気でいてほしいですね」

石尾さんにとって松浦さんは、どのような方なのでしょうか。

「私が母のように慕っていて、いつも相談にのってくれる優しく思いやりのある人です。他愛ない会話の中でも、人への気遣いを感じることができ、周りを大切にしているので、奈美さんのまわりにはいつも人が集まってきていますね。shioがきっかけで奈美さんと一緒にいれるようになったので、お店の場所を探している時に諦めなくてよかったなと本当に思います」

松浦さんも娘のように石尾さんを可愛がっており、「長くお店を続けてほしい」と熱望されているそう。shioとしては、今後どのような展望があるかも聞いてみると…。

「今後は、イベントに出店していきたいと考えています。ひとりで作っているので、自分のキャパとの折り合いは考えなきゃいけませんが、いろいろな地域の人にshioのお弁当を食べてほしいという気持ちがありますね。shioがある月寒でも地域マルシェのようなものがあれば参加し、貢献できたらいいなと思っています」

※サムズバイクを運営する松浦奈美さんの取材記事も近日公開予定です。

優しい中にも芯の強さを感じさせる人柄の石尾さん。その人柄はお弁当にも現れていて、美味しい中にも食べる人の健康を考えて作られていました。今後お子さんたちの成長と共に、石尾さんのライフスタイルはまた変化していくでしょう。その時も、しなやかに変化を楽しみながら石尾さんはお弁当を作っているのだろうなと、輝く未来を想像させてくれる取材でした。

石尾 恵さん

弁当・惣菜 shio(しお)

石尾 恵さん

札幌市豊平区月寒西1条8丁目1-5

TEL. 080-9680-5163

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