人間の発声器官を利用してビートを刻み、音を奏でる「ヒューマンビートボックス」。
「ボイスパーカッションのこと?」と思いがちですが、厳密にはボイスパーカッションとは異なるそう。複数人のアカペラのリズム隊として奏でるボイスパーカッションに対し、さまざまな音を発しながら単独で演奏を完結できるのがヒューマンビートボックスなのだとか。
「自分の体の中に楽器がいろいろくっついているような感じですね」と話すのは、札幌在住のヒューマンビートボクサー・YUTAさん。現在はプロのビートボクサーとして活動しており、「札幌はヒューマンビートボクサーにとって聖地のような場所」と話すYUTAさんに、これまでの歩みをはじめ、札幌の町とヒューマンビートボックスの関係や可能性について伺いました。
ビートボクサー・YUTAの子どもの頃の将来の夢は、数学の先生
プロのヒューマンビートボクサーとして活躍の場を広げているYUTAさん。高校までは出身地である旭川で過ごしていました。
「祖父が教師だった影響もあってか、子どものころから数学の先生になりたいと思っていました。高校のときは、先生に代わって数学の授業をクラスメイトに向けてやったこともありました(笑)。音楽は好きでしたけど、特に何か楽器を習っていたとかはありませんでした。ビートボックスでのリズム感を鍛えるために、ドラムセットを買ったくらいかな」
そんなYUTAさんがヒューマンビートボックスに出合ったのは、中学3年のとき。人気ユーチューバー・HIKAKINの動画を見たのが最初だったと話します。
「アカペラ演奏のボイパと重なる部分もありますけど、ソロで全部の音を出すということに大きな衝撃を受けました」
見よう見まねで始めたヒューマンビートボックス。YUTAさんが本格的にのめり込んでいくのは高校に入ってからでした。入学してすぐ、声をかけてくれたクラスメイトと趣味の話をした際、お互いヒューマンビートボックスが好きということが分かり、一気に距離が縮まります。旭川で行われるライブに一緒に出かけ、自分たちでもやってみようと学校帰りに旭川駅の辺りを歩きながら技を磨きました。音楽スタジオを借り、本格的に練習することもあったそう。
「どんどんはまっていって、ヒューマンビートボックスのバトル大会には高校1年から出場していました。当時、北海道で一番大きな大会だった『七変化vol.2』に出たのが最初ですね」
YUTAという一人の人間として仕事をしていきたい。旭川の母は夢を追う息子を応援
その後メキメキと頭角を現していったYUTAさん。高校3年生のとき、「このまま数学の先生になっていいのかどうか葛藤しました。ヒューマンビートボックスで自分の音を作り出していくうちに、もっとクリエイティブなことをしたいという想いが湧きあがって、結局進路を変更することにしました」と振り返ります。
音楽系ではありませんが、映像やデザインは今後ヒューマンビートボックスを続けるにあたって必要になってくるに違いないと考え、札幌市立大学のデザイン学部へ進学します。
進学後も札幌で活動を続け、2018年には「JapanBeatboxChampionship2018」の北海道予選で優勝し、北海道代表として全国へ。さらに、翌年行われた全国規模の「Grand Boost Championship vol.3」では見事優勝を果たします。その後もさまざまな大会に出場し、賞を獲得。その活躍ぶりを認められ、さまざまなバトルでの審査員も務め、現在は札幌市内で指導活動にも力を入れているそう。
大学3年生のときから、「会社員にはならず、YUTAとして仕事をしていけるようになりたい」とYUTAさん。ヒューマンビートボックスで食べていきたい、ヒューマンビートボックスと関わりのある仕事を作り出していきたい。そんな夢が生まれていました。
「就職しないと言ったら母親が悲しむかなと思ったのですが、思い切ってそのことを伝えると、『あなたの夢の話が聞けなくなるのは寂しい。夢を諦めてくすぶったまま会社員になって、会社の愚痴を聞かされるほうがイヤだな』と言われました。それで、母親が応援してくれると分かったので、自分の中から就職するという選択肢は消えました」
そのお母さん、今ではYUTAさんの出る大会やライブがあると旭川から各地の会場まで見に来てくれるように。「いろいろな会場に現れるので、今では母親もちょっとした有名人です」と笑います。
世界でトップレベルの日本のビートボックス。中でも札幌は特別な町
さて、ヒューマンビートボックスはもともとアメリカのストリートから生まれた音楽カルチャーのひとつと言われています。世界的に見て、日本のヒューマンビートボックスはどのような位置づけなのでしょうか。
「めちゃくちゃ技術的なレベルは高いです。日本人は職人気質なのか、細部までこだわった繊細な音を出して表現します。世界大会で活躍しているビートボクサーもたくさんいますよ」
札幌はビートボクサーたちの聖地と話すYUTAさん。どういったところが聖地と言われる所以なのかを尋ねると、「まず、ビートボクサーの間でレジェンドと呼ばれるTATSUAKIさんの存在が大きいです」と話します。
TATSUAKIさんは札幌在住のビートボクサー。何度も日本チャンピオンになったことがあり、海外の大会にも積極的に参加、さらにここ数年は北海道のビートボックスシーンを盛り上げようといろいろなイベントを開催してきたそう。それがきっかけとなり北海道にプレイヤーが増え、さらにその中からアジアチャンピオンや世界大会に出場する強者が次々と現れているとYUTAさんは言います。
「TATSUAKIさんは日本のビートボックスのパイオニア的な存在です。現役プレイヤーとして活躍する傍ら、全国大会の審査員も務めながら、札幌を拠点にビートボックスを広めています」
YUTAさんはTATSUAKIさんからいろいろなことを学んだり、一緒にヒューマンビートボックスを教える対面特化のレッスンを開いたりしているそう。
「僕にとってTATSUAKIさんは雲の上の人でした。そんな彼を師匠と仰いでいるのがアジアチャンピオンになったタッグチームのRofuです。彼らも札幌在住で、HIKAKINと一緒にYouTubeに出るなど、人気の高いビートボクサーです。彼らの活躍が、日本のヒューマンビートボックス人気を底上げした感じはあります。あと、札幌出身で今は京都在住ですが、TATSUAKIさんやRofuと一緒にグループを組んでいたSHOW-GOも世界レベルの実力の持ち主です。そういう意味で、札幌はヒューマンビートボックスの世界では注目されている町だと思います」
熱いバトルもいいけれど、豊かな音の世界にも触れてもらいたい
近年、各地でヒューマンビートボックスのバトル大会が開かれており、審査員を務める機会も増えているというYUTAさん。審査ではどんなところを見て採点するのでしょうか。
「審査の項目はいろいろあるのですが、音楽性、オリジナリティ、テクニック、パフォーマンス、そしていかに人を魅了する力があるかというところも審査対象になります。テクニカルな部分に走りがちですが、服装も含めたスタイル作り、いかに自分らしさを打ち出せるかというところも見られます」
審査員を務める傍ら、YUTAさんは大学で学んだことを生かし、大会映像の編集やライブ配信のサポートも行っています。その腕が買われて、裏方に携わることも増えました。2023年11月には、日本大会の予選時の配信ディレクターも任されたそうです。これまでバトル大会で活躍してきたYUTAさん、審査員や裏方をやるよりプレイヤーとして大会に集中したいと思うことはないのでしょうか。
「大会に出てバトルをやるときはエナジーが重要。実際、北海道代表になって、全国大会で優勝した2018年、2019年辺りは、僕自身めちゃくちゃエナジーを大事にしていました。でも、少しずつバトルの熱いエナジーが出せなくなっていて…。むしろ最近はライブなどで余裕を持って自分を表現するほうが楽しいと思うように。だから、大会の裏方の仕事も自分のライブのときの勉強になるなと思って楽しく取り組んでいます」
最近はパフォーマーとして単独でライブを行うほか、さまざまなアーティストとコラボするなど、新たなヒューマンビートボックスの可能性を探っていると話します。
「大学で地域デザインや映像を学ぶ中、企画を立てて進めていくことの楽しさを知りました。プロデュース的なことが面白いと感じていて、自分の今あるビートボクサーとしてのスキルをどう生かすか、どうやってマネタイズしていくかなどを考えるのもワクワクします」
また、YUTAさんの大学院の卒論テーマは「ビートボックスの文化的価値とビートボクサーの自己肯定感」。このテーマを選んだのは「僕の中でエナジーが出せなくなってきたことの理由の一つとも関係しますが、バトル大会は優劣を競うことに固執しがちです。でもそれより、僕自身もっと豊かなビートボックスの音の世界を楽しみたいし、たくさんの人にその世界に触れてほしいと思うんです。最近は、バトルにこだわりすぎることで、プレイヤー一人ひとりの自分らしさが消えているような気も…。プレイヤーにも、音の豊かさを感じながらいろいろなアウトプットをしていってほしいという思いを込めて書いています」と話します。
ビートボックスをツールに自分の人生をデザインし、発信していきたい
バトル大会に出場せずとも、ヒューマンビートボックスを一人でも多くの人に知ってもらいたい、そのカルチャーを広げていきたいという思いは変わらず持ち続けているYUTAさん。ただ、「僕はSNSでバズらせるようなタイプではないので、どちらかというとface to faceでコツコツ裾野を広げていきたいと思っています」と話し、ライブもその一つと考えています。また、レッスンもそうした活動の一環として行っていますが、最近は自身のレッスンプラットフォームをはじめとして、札幌市内でワークショップを開催する機会も増えたそう。
「聖地と言われるものの、まだまだ札幌や北海道でのヒューマンビートボックスの認知度は低いのが実情。いろいろな角度からのアプローチでファンの人を増やしていきたいと考えているので、こういうお話はいいチャンスかなと思っています」
道外の大会へ審査員などで行った際、いろいろな人から「札幌スゴイよね」と声をかけられるそうですが、「確かにすごいプレイヤーたちが札幌にはいます。でも、それぞれ個々で活躍しているというところで止まっていて、札幌でファンの裾野を広げるという点では若干飽和状態な感じがしていて…」と話します。それを打破し、次のステップに進むためには、「新しいイベントを立ち上げる、横の繋がりをもっと連携させてコミュニティ体制をしっかり築いていく。そういうことが大事かなと思っています」と続けます。
今後のことを尋ねると、YUTAさん個人としては「ヒューマンビートボックスというツールを使って、自分の人生をデザインし、YUTAという人間を表現していきたいと考えています」と話し、「コツコツでいいので、映像を取り入れたり、ダンサーやシンガーとコラボしたり、マルチ的に活動しながら露出も増やし、札幌から発信をしていきたいです。とにかく続けることが大事だと思っています」と語ってくれました。
札幌を拠点に動き続けることで、結果としてヒューマンビートボックスというカルチャーが聖地・札幌にしっかりと根付く一端を担えると考えているそう。YUTAさんは最後にトレンドカラーの紫色のシャツを羽おり、そのプレイを披露してくれました。ライブで聴くからこそ分かるヒューマンビートボックスの音の凄さを体感できた時間でした。