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仕事や暮らし、このまちライフ

企業が目指す未来を一緒に。bauming(バウミング)社労士事務所

2026.1.5

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社会保険労務士(以下、社労士)の小清水晶子さんは、2025年9月に会社を退職し、独立しました。労働や社会保険、年金に関する専門家のイメージが強い社労士ですが「近年複雑化する働く社員の悩みやトラブルなども一緒に解決することも仕事の一環」だと小清水さんは話します。こう話す小清水さんが目指すのは、伴走型の社労士という形。悩みを解決し、企業が描く将来像へ支援していきたいと、新しい一歩を踏み出した小清水さんにお話を伺います。

大学時代に目の当たりにした働くことの儚さ

小清水さんは札幌市西区の出身です。高校は商業系に進学。卒業後は大学の法学部に進みます。

「高校も大学も、やりたいことがあったからというより、どこで学ぶかという環境を重視するタイプでした。高校は新設校できれいな学校がいいなと思い、大学は通いやすさにひかれて(笑)。ただ、法学部で法律を学べば、将来何か役に立つんじゃないかという予感はありました」

こちらが、 bauming(バウミング)社労士事務所の設立に向けて奮闘する、小清水晶子さん

そんな小清水さんが、社労士という仕事を意識するようになったのは、大学時代にアルバイトをしていたときの経験がきっかけでした。当時は、いわゆる就職氷河期と呼ばれる時代。在学中にアルバイトとして働いていた近所のスーパーで突然リストラが行われ、顔見知りの社員たちが次々と職場を離れていく姿を目の当たりにしました。

「すごく衝撃的でした。同時に、働くことの儚さを知り、どうすれば人は長く幸せに働き続けられるのかを考えるようになったんです」

社労士になれば、働く人の役に立てるかもしれない。そう考えた小清水さんは、在学中に初めて社労士試験に挑戦します。しかし、社労士は国家資格の中でも合格率5~7%といわれる難関資格。残念ながら小清水さんは力が及ばず、試験に合格することが叶いませんでした。

「まったく歯が立たなくて。それでいったん就職することに決めました」

就職先に選んだのは、石狩市にある食品メーカー。株式上場(IPO)を目指していた会社でした。当時は管理部門の強化が進められており、労務の仕事に関われればやりがいを感じられるのではないかと思ったからです。ところが、入社時は総務に配属されましたが、半年後に営業事務に異動。期待が外れたことに戸惑いながらも、工場や取引先など、さまざまな人と関わりながら働くうちに、仕事のおもしろさを感じるようになったといいます。しかし、営業の仕事に慣れてきた矢先、欠員補充のために経理部へ異動することに。

「商業高校で得た簿記の知識が役立ちました。お金の流れを通じて会社全体を見られるのがおもしろかったですね。基幹システム入れ替えのプロジェクトにも加わっていたので、深夜まで作業が続いた時期もありました。大変でしたが、終わった後に大変だったけど楽しかったねと言い合える仲間がいて、職場環境には恵まれていました」

経理部には7年間所属。その中で、役員秘書も任されるようになります。役員秘書の仕事では、普段接点のない人と関わることもあったそう。

「最初に就職した会社では、さまざまな職種を経験して多くの刺激を受けました。ただ、何かに挑戦してみたいと思うようになったんです」

ストイックに挑み続け、4度目の受験で社労士資格を取得

多忙な日々を過ごす中で、小清水さんの脳裏にふとよみがえったのは、大学時代に挑戦して、そのままになっていた社労士の資格取得でした。

「最初に受験したときはあまり勉強もしていなかったのですが、ある程度手応えはあったんです。しっかり勉強すれば合格できるかもしれないと思い、もう一度挑戦してみることにしました」

そこから、フルタイムで仕事をしながら独学で勉強を再開。しかし、やはり合格ラインまでは、あと一歩届きません。

「独学では超えられない1〜2点の壁があるんです。どんなに勉強しても、見たことも聞いたこともないような問題が必ず出てくるんですよね」

3度目の受験を終えた後、小清水さんは独学に限界を感じ、予備校に通うことを決めました。学校に通って、仲間と励まし合いながら勉強したい。そんな思いもあったといいます。ところが、学校からすすめられたのは、上級者向けのWeb講座。

「友達をつくりたくて通学を選んだので、まさかのオンライン講座にちょっとがっかりしました(笑)。講義の内容をダウンロードして通勤中に聞いたり、休みの日に自習室で黙々と勉強したりしていました」

仕事をしながら社労士の勉強もこなしていた経験を、さらりと話す小清水さん。仕事と勉強の両立につらさを感じることはなかったのでしょうか。

「目標を達成するにはどうすればよいか時系列に整理して、自分で組んだメニューをこなしていたので、つらさは感じる部分もありましたが乗り越えることができました。ゴールが決まっていたから頑張れたんだと思います」

合格するまでは、好きなアーティストのライブも我慢して勉強に専念。そんな努力を重ねた結果、4回目の挑戦でついに社労士試験に合格します。合格後は総務部に異動となり、社会保険の手続きや給与計算、採用など、労務の仕事を任されました。社内での労務の仕事のなかには、人間関係にまつわる相談もあったと小清水さんは話します。

「人が集まるとそれぞれに思いがありますから、ぶつかることも少なくありません。そうした相談があったときに間に入り、双方の話を聞いて最適な解決策を考えるのが労務を担当する私の役割でした」

しかし、小清水さんは、社内社労士として働くうちに、自分の中に力不足を感じる場面が増えていったといいます。問題を解決しても、果たしてそれが本当にベストな方法だったのか、迷いを感じることもあったそう。

「会社の中にいると、他社はどうしているのかわからないんですよね」

もっと広い視野を持てるようになりたい。そう考えた小清水さんは、長く勤めた食品メーカーを退職し、社労士事務所への転職を決意します。

東京で実務経験を積み、コロナをきっかけにUターン

社労士事務所への転職を決意したものの、当時の札幌では、希望する求人がほとんど見つかりませんでした。そこで小清水さんは、東京に視野を広げて転職活動を続けます。

「東京では、社労士の求人がものすごく多かったです。内定をもらえた事務所もいくつかあって、そのうちの一社に転職しました」

東京の社労士事務所では、業務の電子化や効率化が進んでおり、小清水さんは初めて見る世界に大きな刺激を受けたといいます。担当する顧問先は、小規模な会社から1000人規模の企業まで幅広く、その中で約20社の給与計算や社会保険手続きを担当しました。さらに、顧問先から寄せられる問い合わせに対応し、必要に応じてほかの専門家を案内する「交通整理役」のような役割も担っていました。

企業規模や業種、雇用形態の違いによって、求められる知識や業務のプロセスは異なります。また、保険関連の法定手続きが集中する毎年4~7月は、社労士にとっての繁忙期。すべての顧問先の手続きを期日までに終えるため、複数人でプロジェクトを立ち上げて取り組むほどの忙しさだったといいます。

しかし、2020年にコロナ禍が始まると、それまでの働き方は一変し、仕事は突然リモートワークに切り替わりました。

「物理的にひとりにならなきゃいけない時期だったので、ワンルームの自分の部屋に閉じ込められているような気持ちになりました。でも、パソコンさえあればどこでも仕事ができることにも気づけたんです。それに、東京で一通りの業務を経験できたと感じていたので、そろそろ札幌に戻るタイミングかなと思いました」

こうして東京を離れ、札幌の社労士事務所に転職した小清水さん。東京にいた頃と同じように労務の仕事に携わる一方で、次第に経営者としての視点を持つ必要性を感じるようになりました。そこで小清水さんは、働きながら小樽商科大学への進学を決意し、経営学の大学院課程を修了すると授与される学位のMBAを取得します。

「大学で学んでわかったのは、経営には必ず人が関わっているということです。また、会社をより良くするためにはどうすればよいかを考えるためのプロセスが身に付いたことも、大きな収穫でした」

小樽商科大学で学んだことで、より経営者や労働者の悩みに寄り添ったサポートをしたいという思いが強くなった小清水さんは、在学中にコンサルティング会社へ転職。ハラスメントなどの労務相談を中心に、会社の制度改善から従業員のエンゲージメント向上まで、企業の人に関わる課題解決を支援しました。

「コンサルティング会社では、本当にいろいろなことを勉強させてもらいました」と話す小清水さん。さまざまな経験を積み重ねるうちに、やがて独立を考えるときが訪れます。

北海道のために仕事をしたい、独立を決意

コンサルティング会社で労務相談や制度づくりに携わっていた小清水さんは、2025年9月に退職し、現在は独立に向けて準備を進めているところです。

「社労士資格を取ったときから、いつかは独立したいというぼんやりした思いはありました。やはり、大学時代のアルバイト先でリストラされる社員さんたちを見た経験から、雇われない働き方をする必要性を感じたことが影響しているかもしれません」と小清水さん。

独立を決めたきっかけは何だったのでしょうか。

「前職のコンサルティング会社の本社は東京にあったので、担当していた顧問先もほとんどが東京の企業でした。私はやっぱり北海道のために仕事をしたいと思うようになったんですよね」

小清水さんには、開業にあたって大切にしたいことがあると教えてくれました。

「私が一番大事だと思っているのは、どんな支援が提供できて、その先にどんな変化が生まれるかを、ご依頼を検討していただいている方に知ってもらうことです。これまで社労士事務所で多くの顧客を担当してきましたが、独立すればゼロからのスタート。ここから自分で開拓していかなければなりません」

社労士として働く中でのやりがいを尋ねると、「相談してよかったと言ってもらえたときです」と答えてくれた小清水さん。社労士だからこそ、気づける問題もあるといいます。一方で、社労士だけでは解決できないこともあるそうです。

「弁護士につないだケースもありました。もう少し早い段階で介入できれば大きなトラブルにならなかったのでは、と思うこともあります」

近年、ハラスメントに関する相談が増えていると小清水さんは話します。特に顧客や取引先による「カスハラ」は増加傾向にあり、小売り業だけでなく、BtoB取引でも起こり得るといいます。

「例えば、契約時間外の休日や深夜に商品の納品を求めるなど、過度な要求はカスハラに該当する可能性があります。従業員を守ることはもちろんですが、加害者にならないために教育も大切なんです」

北海道では2025年4月にカスタマーハラスメント防止条例が施行され、2026年10月には法律でも防止義務が企業に課される予定です。今後は、より多くの企業が対策を講じる必要があり、その相談に応じることも社労士の役割のひとつだと小清水さんは語ります。

「法改正や制度変更への知識が欠かせない社労士は、常に正しい情報を得ておかなければなりません。報道や業界紙を見たり、国会で法改正の動きがあればチェックしたりしています。法案が成立すると厚生労働省のサイトに情報が掲載されるので、こまめに確認するようにしています」

伴走型の社労士として、美しい年輪を重ねていきたい

独立に向けた準備を進める中で、小清水さんが目指しているのは、企業の歩みに寄り添う伴走型の社労士です。相談された内容を解決するだけでなく、企業が描く将来像についても話を聞き、一社一社に合った支援をしていきたいと話します。

「同じ課題を抱えていても、最適な解決策は会社によって変わるんです。会社がなりたい姿を聞いた上で、伴走しながらそれを実現していけたらと思っています」

活動の拠点は北海道。東京で働いていた経験が、その思いをより強くしました。

「東京で働いていたときに、北海道の良さを客観視できたのはとても良い経験でした。道外の人からも北海道は好感度が高くて、道内にいたらわからなかった魅力にたくさん気づかせてもらったんです。Uターンのきっかけはコロナでしたが、そうじゃなくても、いずれ必ず北海道に戻っていたと思います」

会社として掲げる理念や屋号も、すでに決まっています。理念は、「しなやかに、健やかに、美しい年輪を刻む」。屋号は「bauming(バウミング)」です。理念や屋号には、どのような思いが込められているのでしょうか。

北海道小樽市にある、塩谷丸山の頂上で笑顔を見せる小清水さん。

「理念は、円山を散歩しているときに木の年輪を見て思いつきました。1年に一つずつきれいに刻まれていく年輪のように、支援を続けていきたいと思っています。『bauming(バウミング)』は、ドイツ語で木の意味の『バウム』と、進行形の『ing』を組み合わせた造語です」

最後に、未来の社労士を目指す若い世代に向けてアドバイスをお願いすると、「社労士試験に合格するためには、まず基礎をしっかり押さえておくことです」とひと言。そして、自身の経験を踏まえてこう続けます。

「大学を卒業してすぐ社労士として働く道もありますが、回り道も一つの選択肢です。私自身、営業や経理などさまざまな仕事の経験が、今に生きています。お客様からの相談にも、従業員、経営者それぞれの視点で実務的にアドバイスできますから。どんな経験も決して無駄ではありません。必ずどこかで役に立つはずです」

さまざまな経験を積み重ねながら、自身の道をしなやかに切り開いてきた小清水さん。仕事と勉強を両立し、社労士資格をつかんだストイックさには、心から敬意を抱きます。これから、企業や人に寄り添う「伴走型」の社労士として、北海道で活躍してくれることを期待しています。

小清水晶子さん

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小清水晶子さん

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