札幌の奥座敷と呼ばれ、温泉で有名な定山渓。近年、その豊かな自然の地形を生かしたアウトドアのアクティビティーも盛んに行われています。今回伺ったのは、定山渓で2022年から営業を本格スタートさせている総合アドベンチャー施設「TERMINAL ADVENTURE STATION」。取材させていただくのは、ここの館長として、夏はSUPのガイド、冬はスノーボードのガイドやチューンナップを行っている跡部竜さんです。自分の「好き」をとことん追いかけてきた跡部さんに、定山渓に来るまでの話やこれからやっていきたいことなどを伺いました!
15歳からはじめたスノーボード。滑るのが楽しくて仕方がなかった10代
札幌の市街地から定山渓温泉街に入る少し手前、朝里方面へ向かう途中に、跡部竜さんのいる「TERMINAL ADVENTURE STATION」があります。かつて日帰りの温泉施設だったという古い建物を、自分たちで約1年半かけて直したそう。入り口を入ってすぐに受付があり、左には物販のショップ、右にはカフェが併設されています。


「実はまだ、完成というわけではないんですよ。今も、空いている時間に少しずつ直したり、色を塗ったりしながら営業しています」と跡部さん。「昔、塗装の仕事を手伝っていたときがあるんですけど、その経験が役立っています。いろいろやってきたことが今に生きているなと思うと、面白いものですね」と続けます。
スノーボードを軸に活動しているという情報は事前にもらっていますが、早速その「いろいろ」について、順を追って伺っていきたいと思います。

跡部さんは札幌出身。大学を卒業するまで実家のある南区・真駒内で暮らしていたそう。「また縁があって、回りまわって南区で仕事をしています」と笑います。
跡部さんがスノーボードをはじめたのは15歳のとき。友達に誘われて南区・藤野にあるスキー場(フッズスノーエリア)で体験したのが最初でした。
「単純に滑るのが面白かったんですよね。その後、たまたま真駒内でやっていたTOYOTA BIG AIR(トヨタ・ビッグ・エア)を見て、凄く感動して、どんどんはまっていきました。海外からやって来た選手がカッコよくて、いつか向こうに行ってみたいとも思うようになりました」
TOYOTA BIG AIRとは、2014年まで札幌で開催されていたスノーボードのストレートジャンプの技術を競う国際大会。世界中から一流のライダーが集まり、さまざまな技を披露する一大イベントでした。
そんな跡部さん、高校の部活はテニス部だったそう。高校3年で部活を引退したあと、卒業までの冬の間はスノーボード三昧の数か月を送ります。
「スキー場のシーズン券を購入し、毎日学校にスノーボードの板を持っていって、学校帰りに友達とバスでスキー場へ通って、暗くなるまで滑っていましたね。楽しくて仕方なかったんですよね」

このまま就職していいのか?自分と向き合い、気が付いた本当にやりたいこと
高校を卒業後は、南区にある東海大学札幌キャンパスに進学します。スノーボードサークルに所属し、いつか出てみたいと思っていたTOYOTA BIG AIRの予選会に出場。大通公園に設置された「白い恋人PARK AIR」で、大勢の観客の前でのジャンプも経験しました。「本選には出られなかったけど、たくさんの人の前で飛べて楽しかったですね」と振り返ります。
充実した大学生活を送っていましたが、4年生になると、「就職」の2文字が目の前をちらつきます。同級生たちと同様に、跡部さんも手探りで就職活動をスタートさせます。
「周りの就活の空気に飲まれて、切羽詰まった感じで就活していました。説明会や面接で何度も東京に行っていたんですけど、移動中の時間に、自分と向き合って自分が本当にやりたいことは何かを考えていたら、やりたいことが明確になってきて…、結局、就職するのを辞めたんです」
海外へ行ってスノーボードに携わりたいとずっと考えていたことを思い出した跡部さんは、無理に就職はせず、大学卒業から半年後の10月にワーキングホリデーでカナダへ行く計画を立てます。

「そのときは英語も全然喋れなかったんですが、とにかく向こうへ行こうと思って、親を説得し、アルバイトを掛け持ちして自分で渡航費を貯めました」
カナダへ渡ったあとの数年は、スノーボードと共にニセコ、豪州、NZで暮らす
無事カナダへ渡った跡部さんが向かったのは、スキーリゾートで有名なウィスラーという街。語学学校へは入らず、独学で日常英語をマスターしようと試みます。「会話ができればいいと思っていたので、実地で学ぼうと思って、学校へ行くお金はバーのビール代にあてました」と笑います。バーに足を運んでは、周りにいる現地の人たちに声をかけ、積極的にコミュニケーションを取ったそう。
「自分たちもそうだと思うんですけど、外国人の人につたない日本語で話しかけられたら、必死で聞き取ろうとするじゃないですか。その逆で、自分が一生懸命英語を使って話していると、彼らも頑張って聞き取ろうとしてくれるんですよ。そうやってコミュニケーションを取っていくうちに、耳も慣れてきて、3か月くらいしたらヒヤリングはできるようになっていました」

もちろんバーでのやり取りだけでヒヤリングできるようになったわけではなく、家では字幕なしの映画をずっと流して、耳を慣らしていたそう。そして、耳が慣れてきたら、現地の人たちがよく話している言葉を聞き取り、それの意味を調べ、使い方を理解してノートに書き記し、自分だけの単語帳を作成。
「日常英語をマスターしたければ、机の前に向かって勉強するのではなく、とにかく話す、とにかく聞く。これが大事。英語をマスターしたいと相談されたら、いつもそう言っています」
カナダの日本食レストランで働きながら、バーに通って生きた英語を習得し、休みにはスノーボードを滑りにいくという生活を続けます。その後、日本食レストランで知り合った日本人の先輩がニセコで働いていると聞き、帰国後はニセコへ。冬の間は、ニセコでバーテンダーの仕事に就き、休みにはパウダースノーを満喫します。
「個人経営のバーだったんですが、お客さんの8割が外国人。帰国してからも英語を使える環境だったのは自分にとってプラスでしたね」
ニセコのウインターシーズンが終わると、鳥取県のキャンプ場へ。オープニングスタッフとして、チェーンソーで木を伐ってグランピング場の整備をしたり、ウッドデッキを作ったりしたそう。そしてまた冬はニセコへ戻ります。そのあとは冬のシーズンが終わると、バーで親しくなったオーストラリア人やニュージーランド人に誘われて、向こうで働きながら、スノーボードを楽しむという生活を送っていました。

「しばらくして、スノーボードのチューンナップのショップを経営しているニュージーランド人と知り合ったんです。僕、その頃ボードを壊しすぎて、自分で直す術を学びたいと思っていたのもあって、彼にその話をしたら、ニセコのシーズンが終わったらニュージーランドの自分の店で働けばいいと言ってもらい、それからはニセコとニュージーランド、半年ずつ暮らす生活でした。結局、2013年から、コロナ禍の2020年まで1年通して英語を話す生活を送っていましたね」
働きながら好きなときに自由に滑るという生活を楽しんでいた跡部さん。カナダで知り合った日本人の仲間と滑っている様子を撮影し、それを発信するうちに、スポンサーもつくようにもなりました。
コロナのあと、定山渓「TERMINAL ADVENTURE STATION」の立ち上げに参加
2020年、世界中でコロナの感染が広がり、これまでのようにニュージーランドへ行くことができなくなり、跡部さんは故郷の札幌で暮らし始めます。
「何か仕事をしなければと思って、先輩の塗装屋さんで働き、半年くらい経った頃、今の会社のオーナーから一緒に仕事をしないかと誘われました。札幌にショップを構え、自転車やアパレルの販売などを行う小売業がメインの会社で、前からオーナーとは知り合いだったのですが、定山渓に拠点を設け、スノーボードの事業を拡大させたいと考えているということで、声をかけてもらいました」
そうして跡部さんは、「TERMINAL ADVENTURE STATION」の館長として、建物を直すところも含め、ここの運営に携わることになります。

「今は、夏はSUPのツアーガイドをやり、ショップでグッズの販売やEバイクのレンタルも行っています。冬はここでスノーボードのチューンナップをやりながら、レッスンやガイドも請けています」
定山渓で仕事をはじめてから、温泉だけではなく、自然を生かしたアクティビティーが楽しめる素晴らしい場所だと実感しているという跡部さん。
「国立公園内で自然遊びができるところなんて、世界的に見ても珍しいと思うんですよ。札幌の市街地も四季がはっきりしているけれど、定山渓はさらに四季がはっきりしていて、訪れるたびに違う景色の中で遊べるのが魅力だと思います。夏の緑は濃いし、冬の雪はふかふかしていて深いし、秋は寒暖差があるから紅葉がめちゃくちゃキレイだし。遠方からの観光客はもちろんですが、札幌の人にも季節ごとに遊びに来てほしいと思います」
SUPのガイドをはじめてから知った川の上から見る景色も抜群にいいと絶賛。ひとりでも多くの人にこの体験をしてもらいたいと熱く語ります。

「泳げないからとか、濡れるのが嫌だという理由で体験しない方も多いんですが、本当に1回だまされたと思って体験してみてほしいです。最初、不安そうにしている人でも1回体験すると、ハマってリピートする人が多いんです。気持ちが解放されるというか、自然の持つ力って凄いなって思いますよ。そして、僕のツアーは、安心安全、高い満足度がウリなんで、ぜひ(笑)」
体験して、川遊びの楽しさを知ったら、自分のSUPを手に入れたいという人も多いそうで、「うちでもSUPを販売しているので、SUP仲間が増えるとうれしいですね。それぞれが自然の中での遊びを知ることで、より人生が豊かになるのではないかなと思うんですよね」と続けます。
冬は外国人のスノーボードのお客が多く、近場のスキー場(札幌国際スキー場やルスツ、フッズなど)でレッスン。ガイドも行っているそうです。
「僕の強みは、英語でこの場所の魅力を伝えられること。海外に出ていたからこそ、雪質のことなど、北海道の良さや魅力についてあらためて分かったんですよね。それをここで生まれ育った自分ならではの言葉で、海外からのゲストに伝えたいと思っています」
地域との交流も深めつつ、自然の中での遊びに暮らしをフィットさせていきたい
さらに、アウトドアガイドの仕事だけでなく、「TERMINAL ADVENTURE STATION」の建物の広いスペースを活用して、音楽ライブやスノーボードの映像の試写会、スノーボードの新作展示会なども行っています。

「地域の方たちにも気軽に足を運んでもらいたいので、フリーマーケットなんかもやっています。定山渓エリアは、個人で事業をやっている方や同業者の方なども増えていて、みんなで定山渓を盛り上げようと、一緒にスタンプラリーの企画を組むなど、交流を深めています。一緒にバーベキューをやるなど、仲良くさせてもらっています」
実は大学時代に、スポーツを通して地域の活性化を図るという学びをしていたという跡部さん。「まさに今やっていることが、大学時代に学んでいたこととつながっていて、まさかこんな形で役立つとは思ってもいませんでした。不思議なものですね」と感慨深げ。
最後にこれからのことについて尋ねると、「大学を卒業するとき、スノーボードに関わることを続けたいと就活を辞め、思い切って海外へ行き、あのころはこんな風に仕事をするなんて想像もしていなかったけれど、好きなことを続けてきたら、結果として今のような生活になりました。今は、事業を拡大し、ここをこのエリアのアウトドア活動の拠点の一つとして成長させ、同じベクトルの仲間を増やしていけたらと思っています。そして、いつか定山渓を拠点に独立も視野に入れつつ、四季折々の自然の遊びに自分の暮らしをもっとフィットさせていけたらと考えています」と語ってくれました。
